#7話 灰色の石ころ
騎士院の大会議室の窓から外を見るカイン。彼の愁いを帯びた瞳に映るのは最近改装されたばかりの一つの屋敷だ。一角獣の青い旗がはためく建物はラウリスの大使館だ。現在この大都市はリューゼリオンの同盟都市である。
だが、両者の関係がたった一本の糸で繋がる事を知る彼にとって同盟という言葉は安心材料にはならない。今そこに向かっている彼の妹は、身分的には王宮の一使用人なのだ。しかも、妹を連れているのはそういった意味ではリューゼリオン、いやこの大陸一危険な男だ。
何かするたびに巨大な衝撃を発生させ、周囲を巻き込んできたことを彼は間近で見てきたし、彼自身がその影響を常に受けてきた。つい最近、奔流の中で自らの足場を見出したとは言え、自分と違い幼い妹が嵐の中心にいることに平静を保てるわけではない。
「ラウリスを排して二人だけで話をしたいとは、いったいどういう意図だ」
彼の極めて個人的な思考を遮ったのは、乱暴に開いたドアの音だった。入ってきたのはグンバルドの将軍ヴォルデマールだ。カインはもう一度建物を見てから、涼しい表情で剣呑な交渉相手に振り返った。
「最近、協議の行方が思わしくないですからね。共通の話題で殿下と親交を深めようかと思いまして」
「はっ、何を言っている。共通の話題など――」
「例えば、狩猟大会の時の話とかですね」
カインはそういうとテーブルに二つの金属で挟まれた小さな物体を置いた。
「……お前があの黒い竜をどうやって屠ったか、という話か」
「私“達”が倒したと言ってほしいですね。まあ、そういう話です。いかがでしょうか?」
ヴォルデマールの射るような視線が彼の手元に突き刺さった。
彼の妹がやることは、今の彼の仕事ほどは危険ではないだろう。だが、やはりそれで安心できるわけではないのだが。
◇ ◇
騎士団二階の団長室。俺はグンバルドとの二者協議から戻ってきたカインと向かい合っていた。
「…………つまりラウリス大使館で向こうの料理を見せられたことで、マリーはますますやる気になっていると」
「ああ、頼もしい限りだ。あっ、いや、もちろん俺としてもちゃんと気を付ける。ただでさえ王宮では気を張ってるみたいだし」
「………………先輩がそんなことに気が付くとは意外ですね」
「帰り道でちょっとな……」
ラウリス大使館からの帰り、あの子は自身を思わず名前で呼んだ。おそらく普段の彼女の言葉遣いなのだ。俺の知る限り、王宮というなじみのない環境で元気で前向きに見える少女。だが、彼女なりに言葉遣いなど一生懸命気を使っているのだと気が付いたのだ。
「…………まあいいでしょう。では、こちらの話です。これを見てください」
「これがグンバルドを動かした物なのか?」
カインは自分の前に置いた拳ほどの物体を俺の前に押し出した。何の変哲もない石ころに見える。
「魔力結晶マガジンと引き換えに手に入れました。グンバルドの王宮の奥にずっと保存されていたものと“同じ”だそうです」
「ただの灰色の石に見えるな」
石を手に取る。ざらざらという感触がするだけ。しいて言えば、見た目よりも軽いくらいだ。
「同感です。ただ、向こうの言うには旧ダルムオン猟地にこれが見つかったという情報はかなり重要のようです。嘘を言っているとは思えませんでした。先輩の仮説では、グンバルドが求めるのは旧ダルムオンの白金鉱山、つまり最上級の魔導金属だということでしたね。ボクの感触では間違いなく関係しています」
「となると、この石は魔導金属絡みの何か。でも、魔力に対する反応はないんだろ」
「ええ、騎士の感覚からしても、ただの石と変わりありません。おそらくですが、向こうも完全にはこれが何かは把握していないのでしょうね」
「鉱山の位置を知りたがっていることを考えるとどこにあるかも知らないということだな。なるほど……。となるとこちらの流儀でこの石を調べてみるしかないな」
俺はカインから灰色の石を受け取った。物が手に入ったなら、後は錬金術の出番だ。
「グンバルドとの話し合いでもう一つ収穫がありました。狩猟大会で黒い魔獣を嗾けたと思われる白い魔力反応についてです。やはり、我々の騎士団が感知したのと同じ反応のようです」
「グンバルドは白い魔力を感知できるのか?」
「いえ、同じと推測したのは理由があります……」
カインの説明では白い魔力と同時に複数の色の魔力を発していた、そしてそれらが同じスピードで動いていたことから一体と思われるということだった。
「つまり、白い魔力以外の要素がグンバルドの狩猟団の感じたものと共通だったということか。森の中を高速で移動、遠距離から青い魔力の操作能力と赤い魔力の威力を併用した狩猟器を使う遺産だな」
「ええ。例えば魔導艇に三人の騎士を乗せて、それぞれに狩猟器を使わせたのとは違うと考えます」
「魔導艇や飛行遺産もすごいと思ったが、下手したらそれ以上だな」
「それが複数ですね。狩猟大会に参加したパーティーのほとんどが襲われているわけですから」
この大陸は多くが森におおわれていることを考えれば、きわめて強力な戦力といえるだろう。直接の戦闘ということになれば最強かもしれない。
「クリスティーヌ殿下は旧ダルムオンでグランドギルド時代に反乱が起こったと言っていた。グランドギルドの力で鎮圧され、鉱山が接収されたわけだ。仮に、その鉱山を守るためのグランドギルドから遺産が配備されていた、そういう筋書きが浮かぶな」
「あり得ますね。しかし、それならば『黒幕』は既に鉱山を手中に収めていることになります。動きがおかしくありませんか?」
「確かにそうだな、わざわざこちらにちょっかいをかけてくる理由が分からないな」
「これまでもそうでしたが、どうにもちぐはぐですね」
「東西両方に、それも騎士だけではなく文官や商人にまで手を広げている組織だが、まだまだ全貌は見えないってことかもしれないな」
「商人、文官、騎士まるで巨大な僕たちですね。錬金術士がいないことを祈るだけです」
カインが笑えない冗談を言った。俺は肩を竦めて部屋を出た。
…………
石を眺めながら階段を降りる。
俺達の考えが正しければ、黒幕はこれが何か知ってるってことだ。これまでやつらのやってきたことと何か繋がっているとしたら……。
まてよ、この色どこかで見た気がするな。もしかしたら…………。
頭の中で今からやることを考えながら地下のドアを開いた。まず最初にすることはあの時の実験サンプルを……。
「あ、あの、せ、先生……」
一歩、二歩と足を運んだ後、戸惑うような声に顔を上げた。目の前に固まっている女の子に気が付いた。女の子は最近伸びてきた白い髪の毛で辛うじて胸元を隠している状態。しかも、下半身は脱ぎかけの衣服が絡まっているだけ。つまり半裸だった。
「ごめんシフィー。ちょっと考え事をしていて」
俺は一目散にドアの外に舞い戻った。考えてみればこの時間なら彼女が来ていてもおかしくはない。言い訳すると、最近は彼女に手伝ってもらう実験はしてなかったので、いるとは思わなかったのだ。
やがて、中からもう大丈夫ですという声がした。俺はゆっくりとドアを開けた。中には学院の制服の上に実験用のエプロンをしたシフィーが立っていた。やはり顔が赤い。
「本当に申し訳ない」
「ええと、大丈夫ですから。私がこんなところで着替えてたから。私、他の人と違って貧相だし恥ずかしかっただけです」
「いや、シフィーは学院とこっちの掛け持ちで大変なんだから、俺が気を付けないといけなかった。それに貧相なんてことは……。あっ、いや、ええっとちゃんと成長してると思うというか……」
俺の言葉にシフィーは両手で頬を抑える。いえばいうほど墓穴を掘っている。
「そ、そうだ先生、もしかしてこれから実験ですか」
「ああ、もしかしなくても実験だけど。本来はこっちが俺の本業だからな」
わざわざ確認するシフィーに俺は答えた。
「よかった。最近先生ここに来てもすぐに別の所にいっちゃうから」
「そ、そうだったかな」
「はい。この前はリーディア様と魔力塩を探しに行って、昨日もマリーちゃんと一緒にクリスティーナ様の所に……」
「確かに、協議が始まって以来ここには寄るだけだった、かもしれないな」
まるで仕事をさぼってばかりの上司みたいな感じだ。さっきまでよりもシフィーの視線が厳しい。
「でも、今からはこっちに集中する。これまでと違うサンプル相手の実験だから一筋縄ではいかないと思う。そういうわけでシフィーには手伝ってほしい。忙しくなるけど、大丈夫か」
「もちろんです。私が先生の助手ですから」
シフィーはぱっと笑顔になった。
「まずは昔のサンプルを探さないと……」
ぱたぱたと足音を立て、器具を用意するシフィー。しばらく触ってなかったら実験器具に埃が積もっているかと思ったら。綺麗に整頓されていた。そういえばさっきエプロンに着替えていたし。シフィーが掃除とかしてくれていたのだろうか。
働き者の助手に感謝しながら、俺はこれまでのサンプルを仕舞っている奥の戸棚に向かった。棚の奥から瓶に保管していた灰色の土を取り出した。
テーブルにもどり、カインから渡された石と瓶の中の土を実験机の上に並べる。期待の目を向けてくるシフィーにサンプルである石を見せる。シフィーはそれを手に持って、不思議そうな顔になる。
どうやらシフィーにとってもただの石に感じられる様だ。俺は次に、取り出してきた土を見せる。
「この何の変哲もない石だけど、これと色が似ていると思うんだ」
「確かに、どっちも灰色ですね」
「そう。どちらも魔力に反応したりしない。でも、この灰色の土の方は魔導金属に関係している」
「ええと、そうですね。こっちはエーテル泉の溝で採取されたものですから」
シフィーは瓶に張り付けた記録をちらっと見ただけで答えた。
そう、これは黒幕がエーテル泉を通じて、リューゼリオンの結界を汚染しようとした時の証拠だ。そして何より、この土からは魔導金属が検出されている。この灰色は白と黒の魔導金属がまじりあったものだ。
「この土と同じようにこっちの石も白と黒の正反対の魔導金属が混ざっていて、結果として魔導金属としての性質が打ち消されているかもしれない」
「つまり、この石も魔導金属ってことですね」
「ああ、これからする実験はその確認だ」
「まずは何をすればいいでしょうか」
「うん、このままじゃ分析できないから、まずは粉にしてしまおう」
土の場合は乾燥させて水を飛ばした後エーテルに溶かし、正負の魔力色媒の色素部分を加えることで取り込んだ。だが、今度のサンプルは完全に固まっている。
地下の実験室にしばらく音が響いた。石自体はその砂が固まったような手触りからわかるように、細かく砕けやすい。比較的簡単に粉にすることができた。その粉を試験管に移し、エーテルを注ぐ。
錬金術において、物を溶かすというのは基本的に素子レベルに分解することだ。もしこれで、白と黒の魔導金属に分かれてくれれば、それで実験は成功といえるのだが……。
「溶けないな」
「上澄みにも魔力の気配はありません」
どうやら一筋縄ではいかないようだ。仮に俺の仮説が正しければ、白と黒の魔導金属は相当強く結合していることになるのだろう。土との違いだな。
「とにかく溶ける条件を探そう。俺は加熱の為の火を起こすから、シフィーは魔力を当ててみてくれ」
「わかりました」
俺達は灰色の砂に対していろいろな条件を試していった。結果、加熱したエーテルに魔力を通しながら粉末を溶解することで、僅かに石の粉末を溶かすことに成功した。
溶解した成分を触媒の色素部分に添加、それをクロマトグラフィー分離した。現れたのは二色のバンドだ。
「ちょうど同じ量の正負の魔力触媒になったな」
「魔力の伝導率を比較しました。火竜の物に匹敵する最上の触媒です」
「となると、この石に含まれているのは最上級の魔導金属ってことだな」
これで石の正体は分かった。おそらく白金鉱山から持ち出された魔導金属の“鉱石”だ。確か白金レベルの魔導金属の精製方法はグランドギルドの秘匿技術だった。
正負の魔導金属が結びついて傍目には岩にしか見えない鉱石。グンバルドには何らかの形で白金の鉱石は伝わっていたものの、それをどうしていいのかはわからなかった。話は全て合う。
2021年3月7日:
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