#6話 ラウリスへの対応
王の執務室を出た俺は一階の厨房に来ていた。俺の前には小さなフライパン。その後ろには同じく小さな料理人が両手をエプロンの前に揃えて立っている。
かぐわしい香りを鼻に満たしながら、白い衣をまとった赤身を口に入れる。適度な歯ごたえと香ばしさを纏った独特の魚獣の味が口の中に広がった。
小麦粉を塗してフライパンでたっぷりの乳香油で炒めた料理だ。カリカリになった表面の食感、バターの香りと身の風味の相性も抜群で、魚獣の生臭さが綺麗に消えている。
ちなみに旧時代のレシピから見つけたもので、麦の粉を作る職人の奥さんが考案したというムヌエリという料理だ。
「小麦粉を衣にすると味が染みるね。口当たりもいい。うん、今まで試した中じゃ一番だと思う」
「ありがとうございます。私も美味しいと思います。ただ、これじゃ麦の料理とは言えない気がしてて……」
「なるほど。麦の粉は表面だけ、圧倒的に魚獣の身が主役だね。パンとの相性はどうだろう」
「はい。乳香油のおかげで合うのは合うんです。でも、ちょっと味が負けちゃってしまいます」
マリーは円盤状に切ったパンを出してくれる。パンと一緒に残った身を口に入れる。
「確かに、腸詰を挟んだ方がインパクトはあるね……。合わせるなら茹でた芋の方がバランスがいいかも」
「でもこれだけ美味しいし。候補としては残して、新しいレシピを探そう。でもその前に……」
文献に伸ばした手を止めて後ろを振り返った。そこにはこちらをじっと見ている男がいた。マリーと同じ髪の色の男は、先ほどの会議よりも難しい顔でこちらを見ている。まるで監視するような視線だ。
「護民騎士団長はどういうご用件でしょうか?」
俺は対グンバルドで忙しいはずのマリーの兄に聞いた。
…………
「何か火急の事態か」
マリーが次の料理を試している間、俺は厨房の裏で改めて聞いた。
「ああなるほど、先輩にはわからないですか、僕の心配が」
「カインの立場的に心配が山積みだということくらいはわかるが……。もしかしてグリュンダーグか。そもそも、どうやってダレイオスを副使の立場で引き出したんだ」
「そっちではありません。妹についてです」
カインはため息をつかんばかりだ。狩猟大会から戻ってきたカインは、以前のどこか力の入った雰囲気の歪みみたいなのが消えた。おかげで街の方でも王宮でも、特に若いご婦人なんかに、より人気がましたと評判の姿が、いまは見る影もない。
「マリーちゃん? 彼女は頑張ってるぞ。さっき見たとおりだ。カインも味見してみればわかる」
「マリーの料理ではなくそれを出す先です。さっきの話だとリューゼリオン、ラウリス、グンバルドの三王に出されることになるのですが」
国家を揺るがす事件を憂う深刻な顔でカインが言った。確かに、最初は使節団の会食でそれとなくって話だったからな。グランドギルド滅亡後では大陸最大の舞台での披露になった。
「いやいや、マリーちゃんに責任を負わせるようなことをするわけないだろう」
「本当ですね。いいえ、それは疑いますまい。ですが、心配なのはマリー自身もです。どうも最近妹が先輩に毒されているような気がして心配なんですよ」
「い、いや、そんなことはないと思うぞ」
二人でああでもないこうでもないとレシピをひっくり返していると、時間があっという間に過ぎるけど。そういえばリーディアにもこの前同じことを言われた気もするな。
「レキウスさん。さっき渡してもらったこの小麦を使った白いソースなんですけど。もしかしたらさっきの料理に……」
カインと一緒に厨房にもどった俺に、マリーが小走りで近づいてくる。手には俺が渡したばかりのレシピの一枚がある。確かに自分が誰に料理を出そうとしているのか全く意識していないな。
「それなんだけど。そろそろ次の仕事に行かなくちゃいけないんだ。ラウリスとの話を進めないといけなくてね。そうだ、味見はお兄さんにお願いしたら」
俺がそう言うと、マリーは自分の兄をじっと見る。
「兄は私の料理には美味しいしか言わないので……」
妹の言葉に兄はガクッと顔を落とした。カインよこの手の人間には無条件の称賛は逆効果なんだよ。
「あの、ラウリスということはあのパンを作った綺麗なお姫様の所ですか」
「ああ、そうだけど」
「そうですか……あの、無理だとは思うんですが……」
マリーは珍しく言いよどんだあと、意を決した瞳で俺を見る。
「私もつれていってくれませんか。パンのこととか、お聞きしたいことがいろいろあって」
「ああ、なるほど。確かにそうか。旧時代の料理関係だと、マリーとクリスティーヌ殿下が直接話すと色々はかどりそうだな」
俺はちらっと後ろを見て言った。そこには頭を抱えんばかりにしているカインがいた。しかし、彼女の提案は理にかなっている。
「じゃあそうできるように聞いておくよ」
「はい。よろしくお願いします」
元気よく頭を下げた妹。俺は兄の抗議の目からさっと顔を逸らした。
◇ ◇
「だから私はレキウス殿を信じるべきだと何度も言ったではありませんか」
「し、しかしだな、状況が状況だったのだ。こちらにはこちらの判断がだな……」
リューゼリオンの王宮に近い元空屋敷に、高貴なる兄妹の言い合いの声が響いていた。
急遽しつらえられたラウリス大使館の客間で、来訪者である俺ともう一人をよそに、レイアード王子がクリスティーヌ王女に問い詰められているのだ。
「では、これを見てもそう言えますか?」
「そもそも、それが本当に合成された魔力結晶だという証拠は……」
「ここにあります」
クリスティーヌは一枚のシャーレを兄に突き出した。小さな結晶が入ったシャーレの蓋には手紙にするような封蝋が成され、そこには王女の指輪の印が押されている。
「昨日、私が封じた時はただの液体でした。そして、今朝充填台から取り外したのがこれです。そもそも、これがどれほどの成果かお解りですよね。レキウス殿も何か言ってください」
明るい金髪を振り乱す勢いでこちらを向いた姫君。俺は沈黙を守った。この状況で俺が何か言ったらますますこじれる。
「解った。解った。リューゼリオンは充填台を使って地脈の魔力から無尽蔵に魔力結晶を作り出せると。いいだろう、ラウリスとリューゼリオン王家の協定の価値を示すに十分すぎるほどの成果だ」
レイアードは沈黙した俺を恨めし気に見る。
「リューゼリオン側が協議ではまず互いの主張を優先したい、などといってきたことにも原因があるのだぞ」
「それに関しては返す言葉もありません」
俺の意識が裏の目的に傾いていたことは否めない。どこにいるか分からない黒幕を見つけることを優先して情報を絞った結果、同盟相手に誤解を招いたのは確かだ。
……
改めてテーブルに付いた俺と二人の兄妹。俺は用意した魔力結晶についての報告書を説明した。
「肝心の透明な魔力結晶に関してはいまだ道半ば、というよりも結晶として形を得ることができていません」
「グランドギルドがあそこまで秘匿しようとしただけあって、容易ではないか」
レイアードはそういうと「入ってきた情報と合致するな」と呟いた。
「グランドギルド時代に旧ダルムオンで起こった反乱が鎮圧された後、グランドギルド直轄になった白金鉱山にはある設備、孤立しても戦力を維持するため特別な魔力結晶に関する設備があったという情報が入ってきたのだ」
「なるほど。確か以前クリスティーヌ殿下はダルムオンで黒の禁忌の乱という反乱が起こったというお話をしておられましたね」
「そうなのです。レキウス殿が戻られたあとも情報を集めていたのですが、骨董品を扱うオークション市場でいくつかの掘り出し物が持ち込まれました。その中に、古い手紙の断片があったのです」
「つまり、ラウリスを出る前から旧ダルムオンに存在する白金鉱山の情報が入り始めたと」
やはり黒幕は東西両方にその根を張っていることになる。
「今の話を前提に、協議でのラウリスのふるまいを調整しよう。向こうの急所を掴むまで、表面上は今まで通り、対立を続けて行けばいいのだな」
レイアードが使節団との調整のため場を離れた。
…………
控室から出てきたマリーにクリスティーヌが歩み寄った。
「さて、小さなお客様をお待たせしましたね。あなたは確かマリーさんだったかしら」
「よろしくお願いいたします。クリスティーヌ様」
「ふふ、あなたが来ると聞いていたので、特別な料理を用意したのですよ」
クリスティーヌの合図で、侍女が茶器とバスケットを持って入ってきた。お茶が淹れられると、クリスティーヌは自らバスケットを開いた。俺たちに向けられたその中には重なった白い紙に包まれた、茶色いリング状の食べ物が入っていた。
クリスティーヌに勧められるまま、俺たちは見たことのない丸いお菓子を口にする。表面はサクッとした歯ごたえがあり、にもかかわらず中身はほくほくと柔らかい。表面に塗られた蜜の甘さと、焼いた小麦とは違う香ばしさが相まって凶悪なまでにインパクトがある味だ。
「もしかして、油で揚げてあるのですか」
「ええ、旧時代のレシピから復活させた。オリークックという料理です。味はいかがですか?」
「す、すごくおいしいです。こんな作り方があるなんて。びっくりしました」
「パンに関しても新しいものができています。ぜひお土産に持って帰ってください」
目を丸くして驚くマリー。クリスティーヌは我が意を得たとばかりにほほ笑んだ。そして彼女の言葉と同時に開かれたドアから焼きたてのパンの香りが漂ってきた。
◇ ◇
「…………オリークック、すごくおいしかったです」
王宮への帰り道、無言で俺の後ろについてきたマリーが言った。
「クッキーの香ばしさとパンケーキの柔らかさをあわせたようなお菓子だったな。さすがにたくさんは食べられないけど」
口の中にまだ油が残っている。考えようによってはとんでもなく凶悪な料理だ。
「レキウス様。マリー、油で揚げた料理に挑戦したいです」
「わかった、その方向でレシピを探してみるよ」
「ありがとうございます。マリー……。じゃなくて、ええっと私……」
普段とは違う人称で自分を呼んだ少女は、赤くなった頬を隠すように手で覆った。
「私、今日は驚かされてしまいましたから。次はクリスティーヌ様に驚いて頂きます」
その幼さの残る仕草と違い、聞こえてきたつぶやきは、大国の姫君への挑戦ともとれる言葉だった。どうやら兄の心配はまだまだ続くようだ。まあ、兄というのは妹に振り回されるものだから仕方ない。
でも、俺の影響だっていうのは違うはずだ。だって、この子の負けず嫌いは最初に会ったころの兄そっくりじゃないか。
2021年2月28日:
次の投稿は来週日曜日です。