#0話 来訪者
2021年1月17日:
第七章開始です、よろしくお願いします。
リューゼリオン王宮の『応接の間』に二人の男が座っていた。
両人の間にある正方形のテーブルには、純白のテーブルクロスが皺ひとつなくぴんと張った形で掛けられている。本来なら騎士の衣服にしか用いられない蜘蛛絹の布地だ。壁には真新しいタペストリーが吊るされている。目ざといものが見れば、その配置が少々歪んでいるのが分かるだろう。
左右に向かい合って座る男性の一人は隻腕、この王宮の主だ。もう一人は禿頭でリューゼリオン王を前にして屈託なく見える笑顔を浮かべている。こちらは隣国となったトランの王だ。
完成間近だったこの部屋を急遽使うことになった理由を作った人物だ。本人の主張によるとふらっと遊びに来たらしい。
「うむ、やはり自分の目で見て正解だった。想像とはだいぶ違う。まさか森に埋もれるような小さな……。おっと、いやいや、これは口が滑りましたな。非公式の気楽な訪問故ご容赦を」
王と文官長が眉一つ動かさずに放言を流すのを見て、私もこわばりかけた表情を消す。非公式、遊びに来ただけ、物は言いよう……ですらない。
気楽なのは本人だけだろう。対応するこちらの苦労など承知の上での明らかな暴挙だ。都市連盟の一員であるトランの王が、外交を知らないはずがないのだ。ダルムオンが滅んだ後は半ば孤立していたリューゼリオンとは違うのだから。
つまり、王に対しては王が対応するという形で何とかするしかない。結果、王の下にある私たちは完全に振り回されることになった。ちなみにトランとの関係を担当するサリア様は隣室で随員であるエベリナ様という騎士見習の相手だ。
もちろん、この厄介な人物が遊びに来たわけではない以上、それは昨今引き起こされた大陸規模の勢力変動の影響である。その中心にある土地はかつてダルムオンと呼ばれていた都市の猟地であり、そして……。
(この件の中心にいる人間は、何をしているのかしら)
胸中に渦巻く“下僚”への不満を何とか抑える。
冷静に考えればトラン王の意図は明らかだ。リューゼリオンとラウリスの同盟が本格的に稼働する、つまり自分の頭越しに色々決められる前に、隣都市という立場で直接の関係を築いておこうというわけだ。リーディア殿下が向こうにいかれた時も接点を求めていたと聞く。
おそらくだが、気楽な顔をしていながらも相当急いだに違いない。そう考えると、この迷惑客もあの下僚の被害者といえなくもないのだろうか……。
そう、一連の事件の元凶ともいえるあの下級文官だ。信じがたいことに彼の職位は私のいくつも下だ。文官組織の中枢から飛ばされたという顔で、普段は護民騎士団の本部地下に潜っている。王宮には碌に顔を出さずに、来たとしても最近は地下にばかり用があるようだ。
とにかく地面の下に潜っているのが好きなのだ。ついたあだ名は土竜だ。たまに地上に頭を出すと…………。いや、今は目の前の事態に対する対処に集中しないと。
「むしろこの小さな規模でラウリスの中枢と渡り合っているのですからな。ラウリスで行われたボート大会の決勝。その後のご息女の堂々たる振舞い。トランとしてもあやかりたいくらいだ」
東西の両連盟と渡り合っている強力な都市が、その一方の傘下である一都市に振り回されている現状も知らず、まるでこちらが何か裏があるような言い様。一瞬だけ芽生えかけた同情の念が消えていく。
「気の強い娘故、遠方に出しても物おじしないのが唯一の長所ですよ」
「それに何よりも今現在もグンバルドと正面からやり合っている。聞くところによれば王家直属の騎士団を出されているとか。どれほどの精鋭なのでしょうな。そろそろ結果が出るころだということですが、グンバルド相手に一泡も二泡も吹かせているのでしょうな」
「さて、我らとしては旧ダルムオンの情報とグンバルドの力を測ることができれば上々と思っているのだが」
「ほう。さすがに両連盟を手玉に取る国は言うことが違う」
陛下は鷹揚に構えているように見えるけど、目の前のやり取りは実情を知る者にとっては冷や汗ものだ。ラウリスとリューゼリオンの対等な同盟はあの下僚があちらの王女と企んだ離れ業だし、グンバルドが強引な東進に代わり狩猟大会にリューゼリオンを招く形を取ったのは、そのラウリスとの同盟が梃子として働いた結果だ。
私達にとってはそれが事実なのだ。
つまりどういうことかというと、ここにいるリューゼリオン側の人間全員、まるで自分が詐欺師の一味であるような居心地の悪さを感じているのだろうということ。
あの形だけの下僚は「鉛をもって金となすのが錬金術なんですよ」などと言ったそうだ。種が分かってやっている本人以外には、本物の金にしか見えない物が次々とその手から飛び出してくることに頭を捻るしかない……。
私がここにいない責任者のことを考えていると、後ろのドアが小さくノックされた。
そういえばもう予定の時間だった。一礼をしてドアに向かう。ドアの向こうにいたのは小さなメイド服の少女マリーだ。立場は調理担当の使用人の一人にすぎないが、素直で働き者なので周囲の評判もいい。今も、自分の兄のことが心配だろうに、しっかりと役目をはたしている。
私は少女から盆を受け取った。二つの皿に載ったシンプルな軽食だ。ああ、なるほど陛下も人が悪い。
「軽食を用意させた。口に合えば幸いだが」
「ほう……。いや、これはなかなか珍奇な食べ物ですな。何とも香ばしいが、見たこともない土台、上に掛かっておるのは赤い果実のソースですか。挟んである肉は保存肉に見えますな」
騎士が普通は食べない保存肉をナイフもフォークもない状態で出す。狩り場ならともかく、都市の中それも一国の王に対しては、本来ならば明確な無礼だ。歓迎する気はないからとっとと帰れ、もしかしたら我々の本心かもしれない気持ち、そう取られても仕方がない。
だが、こちらの王が手づかみでそれを食べているとなると、相手としては文句も言えず対処に困るであろう。私と文官長はその対応をしっかりと観察する。
トラン王はしばらく自分の前に出されたものを興味深げに眺めたあと、陛下に倣うように手づかみにすると大口を開けてかぶりついた。
「…………ふむふむ、香り通りなかなか香ばしい。……不思議な食感の…………。むむっ、なるほど保存肉の油を吸うこの土台と、酸味のある赤いソースがよく合う。これは確かに他にはない味だ。リューゼリオンの特産というわけですか」
トランの王がその顔を驚きに染める。おそらく初めて素の表情を出したのだろう。
「半分は、ということになるかな。この土台はパンという物でラウリスのクリスティーヌ王女と我が方の文官が協力して復興させた旧時代の食べ物なのですよ」
「……旧時代…………クリスティーヌ王女の骨董趣味は聞いておりましたが、ははは。なるほど、なるほど…………。うーむ、これは美味ですな」
我が物顔に振舞っていた狸がようやく吐き出す言葉にこまっている。
陛下も人が悪い。このような品で意表を突くとは。もっとも、マリーの作ったあの食べ物は実際陛下のお気に入りなのだけど。まさか自慢したかっただけじゃないわよね。
「こういう物があるのなら船に置いたままの我が国の特産を持参すればよかった。実はトランでは太湖から上がってくる珍しい魚獣が取れるのです。魚獣には珍しいピンク色の身で、そのルビーの如き卵が珍重されるのですが……」
立場が逆転した両王を見て留飲を下げていると、再び後ろでノックの音がした。軽食の他に仕掛けはなかったはずだけど……。
私がドアを開けると、文官の一人が一通の書状を差し出した。書状には護民騎士団の紋がある。封は団長であるカイン様の物。なるほど、今まさに二人の王が一番気にしている情報ですね。
私は書状を文官長に手渡す。文官長は手紙を開き、中身を取り出した。一枚の紙に書かれた短い文章を読んだとたん、目の前の危険な茶番にも微動だにしなかった練達の表情が、明らかに引きつった。
文官長はそのまま会談中の両王に近づいていく。
「ご歓談中に申し訳ありません。陛下、北の件について報告がまいりました」
「…………わかった。早急に対応を考えねばならんな。一刻も早くあの者を呼び出せ」
…………
「一刻も早くあの者を地下から引き出さねばならん」
戻ってきた上司と共に、廊下に出る。
手紙を渡された。私はそれに目を通す。カイン団長の文官組織内の評判はすこぶるいい。
勤勉、優秀、与えらえた仕事をしっかりとこなす。余計な問題は起こさない。文官にとって扱いやすさとしては理想なのだ。仮にも騎士の組織の長にこんなことは言えないけど。
報告はいつもながら簡潔にして明確。文官よりも優れた文章で書かれた理想的な報告書だ。
旧ダルムオンで黒い魔獣の出現により大会は中止……、その討伐によりリューゼリオンの威信は守られた……、参加者にけが人多数も犠牲はなし。
かなり予定と違う事態が起こり、その対応に護民騎士団が活躍した。ここまでは疑問はあれど問題ないどころか最良の結果に見える。
だが、その続きが問題だった。
東西両連合とリューゼリオンの三者で旧ダルムオンの管理について話し合いたいという提案がグンバルドよりなされた、という内容を認識して一瞬目の前が暗くなった。
東西の両連盟にリューゼリオンの三者の話し合い、なるほどではその開催場所はどこになるのでしょう。私には分からないし、わかりたくない……。
具体的な内容が一切不明でその数だけは膨大だとわかる仕事のリストが脳裏に次々と浮かんでいく。
あの土竜を一刻も早く地下から呼び出さないと。ああでも、あの土竜は地面に現れるや、それこそ竜のごとくに暴れるのよね。
2021年1月17日:
別サイトの『狩猟騎士レキウス』を多くの方に読んでいただきありがとうございます。
前回後書では七章開始までには一章投稿完了と書きましたが、終盤の書き直しのため来週まで掛かる予定です。申し訳ありません。
本作『狩猟騎士の右筆』の投稿はこれまで通り週一で進める予定ですので、よろしくお願いします。
次の投稿は来週日曜日です。