#11話 竜討者
2021年1月3日:
新年あけましておめでとうございます。
今年も『狩猟騎士の右筆』をよろしくお願いします。
黒い炎のような魔力に染められていく亜竜、いやもはや竜というべき存在。逆巻く黒い魔力はやがて怪物の額にある魔力結晶を染め上げ、同時に狂気に満ちた眼球が哀れな獲物を見据えた。
護民騎士団十人の前に現れたのは正真正銘の怪物だったのだ。
「だ、団長、この怪物は一体。我々はどうすれば……」
勝利寸前から絶体絶命に突き落とされた団員の多くが身を震わせることしかできない中、辛うじて声を出したのは副官のマリウスだ。団員達は一斉にリーダーを見る。そう、ここまではすべてこの頼りになる男の計画通りだったのだ。ならばこれから先のことも……。
だが、カインは部下に答えずただ巨大な予定外を眺めるだけだった。彼の優れた頭脳は外界の現実を拒絶し、ただ一つの感情に支配されていた。
これは自分の役目ではない。カインの頭の中に渦巻く感情を一言で言えばそうなるだろう。
普通の狩りすらおぼつかない団員を十人という規模で統率し、他は少数精鋭ばかりのこの狩猟大会に参加した。巨大勢力グンバルドの将軍と狩猟騎士の力ならリューゼリオントップのグリュンダーグ家、あまりにも力が違いすぎる相手。そして、未知の猟地での狩り。その前提から無理難題なのだ。
その困難の中、リューゼリオン王家直属の騎士団として実現の可能性がわずかでもある計画を立案、他のパーティーのあざけりと、内部の不安を抑えてここまで実現してきたのだ。
自分以外にこれができる人間などどこにいるだろうか。
だが、その挙句に現れたのはこの絶体絶命である。
これに対処できないのは当然のことだとカインの優秀な頭脳は結論する。同時に、その奥から湧いてくるのはこの状況に彼を追いやった元凶への積もりに積もった感情である。
そうこの状況を作った、あの先輩への……。
もともと気に食わない存在だった。
生まれながらに優秀な頭脳を持つカインには、この世の中の不条理は悲しいほどよく見えた。それはたまたま魔力が発現したことで、街の“内側”に足を踏み入れることで確信となった。
彼の見たところ、騎士とはただ魔力を持って生まれただけの人間だ。それなのに自分たちは選ばれし者と信じて疑わず、平民とは隔絶した存在だと勘違いしている。
滑稽だ。では、彼らの多くが平民出身の自分以下の実力しか持たないのはどう説明するのだ。
同時に彼は新しく入った騎士社会の仕組みをいち早く理解する。確かに、騎士の世界でモノを言うのは狩りの実績だ。だが、狩りにおいて個人の能力と同様に重要なのが縄張りであり、猟地を管理する騎士院の力、つまり既得権益は大きく影響するのだ。
平民上がりが騎士院に席を得ることは極めて難しく、わずかな例もすべて引退間近になってである。それも有力者からの推薦が欠かせない。つまり、長い間有力者のために働いて、その褒美として最後に形だけの名誉を与えられる。これが、自分に望める最良の未来の形だ。
そういう意味では周囲の騎士家の子の中でも一番イラついたのが、レキウス・グリュンダーグという先輩だった。騎士院名門の本家に生まれながらもどう考えても魔力を持たず、にもかかわらず特例のような形で学院に在籍している。
家の力だけで生きている人間、その象徴だと思った。
だが、実際に接した結果見方が変わった。それは彼が先ほどのような意識をまだうまく隠しきれないときに引き起こした名門の同級生との争いだ。その先輩が仲介に入り捌いた時だった。
それ自体に感謝しなかったわけではないが、むしろそのやり方から受けた印象の方が彼の目を開いた。この先輩は自分と同じように冷めている。誰もそういう物だと信じて疑わない社会を、どこか冷めた目で見ている。
つまり、同類だと思ったのだ。
文官落ちが決まり周囲の態度が一変した時も「うーん、まあ実際にはどう思われてたかは大体わかってたしなあ」というあまりに達観した態度はそれを確信させた。
だからこそ、その後も付き合いを続けた。文官に伝手のないカインにとっての情報源としての利用価値以外にも、唯一に近い言葉が通じる相手だったのだ。
しかも、彼の実は高いプライドを決して脅かさない。その頭脳と視野に一目置いているが、決して並び立たない関係だ。
それが一変したのは二年前だ。彼が既存の騎士社会の仕組みに従い、学年副代表という名のデュースター家次男の小間使いに甘んじている間に、騎士の最底辺からも転げ落ちたはずのその先輩は、錬金術という全く新しい技術で、騎士の社会をひっくり返すようなことを始めていたのだ。
衝撃だった。“既存の騎士社会の仕組み”の中では決して自分と並び立つことはない同類が、既存の騎士の常識外の力を獲得している。それも自らの頭脳一つで。
いや、同類であるという彼の認識が全くの見当違いだったのだ。
デュースターの愚かな息子相手なら「本当は自分の方が上だ」と思うことが出来ても、文官落ちした元先輩にはどうあがいてもプライドを守れない……。
そして彼の呪わしい頭脳が再び災いする。先輩の錬金術が理解できれば理解できるほど、彼はいやおうなしに先輩の作る新しい仕組みに取り込まれていったのだ。
彼が護民騎士団の団長を引き受けた理由は合理的なものであり、彼自身の判断である。自分は冷静に利害に基づいて最良の選択をしてきたと言い聞かせてきた。
ただ、本当の意味で自分の意思かといわれると、強い力に流されていることを無意識にずっと感じていたのだろう。この大会に出発前にダレイオスの指摘に反論できなかった理由だ。
そうだからこそ、だからこそだ。
(この事態はボクのせいじゃない。ボクには責任などない)
カインのうつろな目が湖岸の魔導艇に向いた。あれに乗れば……。
まるで流されるように彼の足がそちらに向かおうとした時、両側から腕を掴まれた。
◇ ◇
カインの外では事態が動いていた。
「私が時間を稼ぐ。その間にお前たちは団長を魔導艇で逃がせ」
呆然自失なリーダーの前で狼狽する団員に対して、さっきまで誰よりもカインに指示を求めていたマリウスが言った。
「し、しかし」
「団長がいなくなればこの団はどうなる。リューゼリオンに残った仲間に、街の人たちに護民騎士団は潰れましたっていうのか。ここにいる人間みんな二度と胸を張ることが出来なくなるぞ」
マリウスの言葉に団員たちは一瞬戸惑う。だが、すぐにその言葉の意味を理解する。
「逆に言えばここで負けても団長さえ無事なら立て直しはきくってことだ。わかった、この足じゃ逃げるのもきついし、俺も副官に付き合いますよ」
「だな、まあ団長もまだ若いし。時間が立てば立ち直るだろう。よし、俺も副官殿に従いましょう」
マリウスにそう答えたのは団員の中でも年配の二人だった。さらに二人、団の半分が黒い魔獣に対することを選ぶ。そして、残りがカインの元に向かった。
◇ ◇
両脇を掴まれ魔導艇に向って足を進めるカインの目に、黒い魔獣に向かっていく男達が見えた。カインはますます混乱した。アレはなんだ? 自分は命を捨てて殿をしろなどといつの間にか命令したのか……。そんなことはしていない、はずだ。
訳が分からない。いや、だがこのまま引きずられていけば自分はこの事態から逃げられる。自分のもたらしたわけではない事態から、自分の能力を超えた事態から……。
…………本当にそうだろうか?
…………今自分が捨てようとしているのは本当に、ただ押し付けられた役目だけだろうか?
靄がかったような思考がそんな疑問を見つけ出した。
この護民騎士団という組織が先輩の意図からはじまったとしても。それを作り上げたのは彼だ。ここにいる九人とリューゼリオンに残してきた十三人の団員達と一緒にだ。
そして、十人という騎士団として最大の力を発揮できる体制を作り、そしてその体制で最大の獲物を狙うという方針を決めたのも自分だ。ここまでそれを実行してくれたのはいまカインが責任を放棄しようとした彼らだ……。
その事実に比べて、社会の不条理だの、押し付けられた役目だの、自分を振り回す先輩だの、そんな彼のプライドを守るためだけの事実は本当に重要なことなのか……。
「そうじゃないでしょう」
胡乱な瞳に映る光景が僅かに鮮明さを増し、周囲の世界が彼の認識に映り始める。
合理的ではない、考えられないくらい単純な答えが口からこぼれた。
自分は平民上がり。騎士の誇りなど理解できない。それは未だに変らない。だが、今彼の前にいる九人はそんなこととは関係なく彼が責任を持つべき人間達だ。
王家直属の騎士団、あの先輩の錬金術の実験部隊。違う、これは彼の騎士団だ。自分の騎士団を自分で守るのは当たり前ではないか。
まさに魔導艇に運び込まれようとする直前、カインは手に持っていた彼の狩猟器の石突を地面に突き立てた。
「団長?」
戸惑う二人を手で制し、彼は振り返った。黒い巨獣は団員達を追い回している。次々に失われる魔力結晶マガジン、今にも崩壊しそうな奮闘だ。
彼らの元に駆け戻り、狩猟器をふるって先頭に立つ。そうしたい欲求を無理やり押さえつける。それでは団長の責任を全うできない。
まず考えるのは、今からやるべきは撤退の指揮を執ることかどうかだ。
あの合同演習の時、黒い猿たちは騎士見習いたちを狂ったように襲った。幸い黒猿はしばらくして活動を停止し全滅したが今回それは期待できない。あの黒い竜には尽きることなく魔力が供給されている。
しかも、アレの元は水棲の魔獣だ。魔導艇に乗せられるだけの団員を乗せたとしても、果たして追いつかれないで済むだろうか。そもそも、魔導艇の魔力容量にそこまでの余裕はない。
その上、周囲の森からもいくつかの異質な魔力が感じられる。先ほどとんでもない勢いで走り去った遺産らしき白い魔力の反応。あれがあちこちで魔獣を黒化させているとしたら……。
状況は最悪だということが認識できる。だがそれが認識できるのは自分が黒い魔獣との戦闘の経験者だという証拠だ。しかも、彼には黒い魔力についての知識がある。
どれだけ強力で巨大でも、あの魔獣を動かしているのが黒い魔力だというのは変わらない。そして、黒い魔力は三色の魔力をぶつけることで相殺できるという知識も知っている。
おそらく、この猟地で彼だけが、だ。
ならばこの二つの条件から導き出される勝機は……。
その時、彼の目は見た。団員を追い進路を変えた黒い竜の後ろに“右足だけ”色が違う足跡が続いていることを。
「アレは張りぼてです」
「張りぼて?」
沈黙する団長の前に集まっていた団員が戸惑いの声を上げる。
「そうです。あの魔獣に我々が与えた傷は回復していません。アレはただ黒い魔力でおおわれているだけで、中身は我々が狩りかけた獲物だ。あれならば、あの黒い魔力を除いてやればいい。後ろ足の一部だけでいい。それで、我々に勝機は生じます」
カインは前に進みながら団員達に指示を出す。
「訓練通り三人ごとの分隊を組みなさい。あれを倒します」
◇ ◇
「ついに現状判断能力も失ったか」
眼下の烏合の衆が突然隊列を組みなおしたのを見てヴォルデマールはあっけにとられた。どうやらあの男が指揮を回復したようだが、この期に及んで何を考えているのか。
ここは撤退しかない。それも、ばらばらに逃げることで少しでも犠牲者を減らす。それが出来るすべてではないか。
騎士には“勝利不可能”な魔獣との突然の遭遇とはいえ、これではリーダー失格といわざるを得ない。
「最初にあれを追い詰めるところまでは見所があったが……。ちっ、こいつらにかまっている暇はないか」
ヴォルデマールに対しパーティーの救援信号が上がった。信号の方向を見ると森の中に湖同様に異様な魔力が見えた。さすがに眼下のアレほどではないようだが、十分すぎるほどの危険だ。
ヴォルデマールは舵を引いた。老朽化した魔導金属がきしみを上げるが、何とか機体の制御を取り戻す。
「急ぐためとはいえ薄い中を飛びすぎたな。それにしても、黒い魔獣が大量発生とは……」
ヴォルデマールはグライダーの舵を切り、自分の狩猟団の元に向かった。
◇ ◇
狂ったように手と尾を振り回す黒い竜に向かって、三組の騎士が連携しながら戦っていた。三色の役割分担を放棄し、とにかく一分隊でも魔獣の足元にたどり着くための戦いだ。
おとり役となった分隊で、持続型の魔力結晶マガジンが次々と光を失う。その間を縫って瞬発型の魔力結晶マガジンを持った分隊が何とか魔獣の懐に入り込んだ。
三色の攻撃が同時に魔獣の足に加えられる。黒と白の光の衝突。だが、黒い魔力は三人掛かりでも全く揺るがない。だが、すぐに黒に飲み込まれるはずの白い光は尽きない。次々に発生する魔力の塊が、辛うじて強大な黒い魔力に対抗しているのだ。
煩わしさを感じた魔獣が足を振り上げ、小賢しい虫けらを踏みつぶそうとする。そこに別の方向から、おとり役だった分隊が取り付く。
白く光る分隊が次々と魔獣の足に攻撃を繰り返す。本来ならあり得ない力とその持続は当然魔力結晶マガジンの後を考えない連続使用によるものだ。
だが、九人の総力を挙げても、魔力結晶マガジンが次々と光を失っていっても、右後肢を覆う黒い炎はその密度をほとんど落としていなかった。もはや残ったマガジンは各自僅か。
そんな中、湖を走る魔導艇があった。乗っているのはカイン、もちろん逃げるためではない。魔獣の背後に回り込んだのだ。彼の手には緑の魔力結晶があった。団の決定力である彼の為に特別に作られた瞬発型のマガジンだ。
だが相手は通常の魔力など掻き消してしまう黒い魔獣、緑一色では対抗できないはずだが……。
湖の上を飛ぶように進む魔導艇。それが魔獣に到達する瞬間、彼は舵を大きく切った。砂浜に乗り上げた魔導艇が回転する。そして、魔導艇のエンジンが丁度魔獣の後ろ脚に向いて止まった。カインはエンジンの出力を最大にすると、魔導艇から飛び降りた。
エンジンから放出された白い光が後方から魔獣の足を照らす。遺産の力が夜を照らす白い光のように闇を吹き飛ばしていく。同時に、団員たちの決死の攻撃が前方から魔獣の後肢を襲った。
魔獣の後ろ脚を覆っていた黒い炎が一瞬、そして一部だけ消し飛んだ。
むき出しになった血だらけの足が現れた。まるでやっと痛みという感覚を取り戻したように魔獣が白い光を避けようとする。だが、カインは既にハルバードを振り上げていた。彼の手の中で残った全ての直列型の魔力結晶マガジンが光った。
緑色の一閃が巨大な足を通過した。
◇ ◇
集合宿泊地に到着した十人はひどい有様だった。魔導艇の一隻は完全に魔力を失い、エンジン表面の魔力触媒が焼き付いている。辛うじて動けるもう一隻の魔導艇が引く丸太で組んだ筏に、ぼろぼろの団員達が乗っているのだ。
だが、それでも胸を張って彼らは宿泊地に到着した。歩けぬものに肩を貸しなんとか丘の上に凱旋した。
カインは得点板の前にすすむ。そして、黒い結晶を自分たちの区画に置いた。たった一つだけの黒い結晶。だが、それは並ぶ他の狩猟団の魔力結晶の最大のものと比べても倍はある。
自分たちの成果を囲み、団員達が疲れた顔をほころばせた。その時だった、
「まさかアレを討ったというのか」
二つのパーティーが宿泊地に到着した。ヴォルデマールとダレイオスのパーティーだった。そして、彼らもまたカインたちと同じくらいにぼろぼろだったのだ。
何とか自分の足で歩ける状態のヴォルデマールがカインたちを見て驚きの顔になり、さらに彼らの区画にある黒い物体に目を止めると、はっきりと息をのんだ。
ヴォルデマールは、台に置かれた巨大な黒い結晶を信じられない物を見るような目で見ている。
「討った? ええ、何とか獲物を一つ狩ることが出来ました。残念ながら肉は食べられそうにありませんでしたのでおいてきましたが。そうだ、ちなみにこれは得点になるものでしょうか?」
カインは少しおどけたような口調でそう尋ねる。だが、無言のヴォルデマールを見て思考を切り替える。
「得点云々をいっている場合ではなさそうですね。その様子ではお二方も黒い魔獣に襲われた、ようですね。それも、遺産と思われる森の中の何かの差し金で」
カインの問いはヴォルデマールとダレイオスにより同時に首肯された。
「やはり、これでは大会どころではありませんね。そして、どうやらこの猟地の扱いについては改めて協議する必要がある。そうではありませんか」
カインはまっすぐヴォルデマールを見て言った。
「どうしてお前が仕切る」
ヴォルデマールは苦虫をかみつぶしたような顔になる。だが、黒い魔力結晶を見て表情を改めた。
「まあ、討竜者の言葉は無下には出来んか。いいだろう、まずは今回の黒い魔獣についての情報の交換からだ」
2021年1月3日:
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ブックマークや評価、多くの感想や誤字脱字の報告など感謝です。
おかげさまで第六章『狩猟大会』を最後まで書き上げることができました。
さて今後のことですが、まず狩猟騎士の右筆七章は『大陸会議』というタイトルで二週間後の1月17日から投稿開始の予定です。
六章最後は主人公不在でバトル展開になりましたが、七章は権謀術数渦巻く国際会議。レキウスが暗……活躍しそうな舞台です。
二週間ほど空きますが、狩猟騎士の右筆を今後ともよろしくお願いします。
話は変わりますが。本作『狩猟騎士の右筆』の設定とキャラで『狩猟騎士レキウスの錬金術』を本日よりカクヨムに投稿開始しました。
魔力の“少ない”騎士学院生レキウスが錬金術で自分の魔術を強化して、“同級生”リーディアと共に魔獣に挑む感じの、右筆よりも少し王道寄りの小説になります。
カクヨムに投稿する理由は『狩猟騎士の右筆』と分けるためと、カクヨムで行われるコンテストに出すためです。
作者にとっては一つの挑戦ですが『狩猟騎士の右筆』を読んでいただいている皆さんには共通要素も多く、もろ手を挙げてお勧めできる作品とは言えないかなと思います。
というわけでぜひどうぞとは言えませんが関心を持っていただけるなら
『狩猟騎士レキウスの錬金術』
で検索していただけるとありがたいです。
ちなみにこちらは一章分ほぼ書き終わっていますので右筆の第七章開始までには投稿完了の予定です。