#9話 実験確認
一年生の実習室に向かう。一階に降りたところで目的の部屋のドアが開いた。女生徒一人が出てきた。さっきの金髪少女だ。また何か言われるかと身構えたが、幸い背を向けたまま反対方向に行く。スカートから白い膝裏が見える。なんか足取りが粗いな。
マーキス家令嬢の背中が廊下の角に消えたのを確認して、実習室の中をうかがう。白髪の少女一人しかいないことを確認して、ドアをノックした。密会でもしてるみたいだな。
「今いいかい。この前の触媒のことで少し確かめたいことがあるんだ」
「レキウス先生。はい。もちろんです。確かめたいことって言うのは……」
振り向いた顔が弱弱しい笑顔になる。彼女の手元には丸と線を組み合わせただけの単純な魔術陣が書かれている。
「ああ、これなんだけど……」
シフィーの前に短冊を取り出す。そして分かれたバンドの一本を指さす。
「この紙の青い線に魔力を流してみてほしいんだ」
「この色……青の触媒でしょうか。わかりました」
シフィーは文官に言われるままに紙に指をあてた。ちょっとだけといっても魔力がらみのことだ。普通の学生なら罵倒した上で監査委員会に言いつけてもおかしくない。
「下の曇ったバンドに触れないように頼む。曇るかどうかわかればいいだけだから。軽くでいいよ」
「はい。気を付けます。これくらいなら私でも…………ひゃっ」
シフィーの指と紙の間にわずかに青い光が生じた。びっくりした顔になって自分の指を見つめるシフィー。何かあったのかと心配になるが、彼女の指先には別に異常はない。
「大丈夫?」
「はい、思ったよりも吸われたんでびっくりしただけです。ええっと、これでいいんでしょうか」
触媒の本来の用途は魔導金属に魔術陣を描くことだ。魔力は魔術陣の意味する効果を、魔導金属に発現する。その場合、魔力は触媒から魔導金属に流れていくから、簡単に劣化しない。
一方、この紙の様に流した魔力を受け入れられない場合、触媒は行き場のない魔力ですぐに劣化する。
渡された紙を見る。きれいな青だった上の大きなバンドは、下の小さなバンドと同じ、曇った色になっている。
当たり前だが、俺が触っても何も起こらない。やっぱり俺と違って素質はあるんだよ。小さいかもしれないけど。
そんな俺の実験にシフィーを付き合わせているのはともかく、シフィーからもらった青の魔力触媒を分離した青いバンドが曇った以上、予想通り青いバンドが触媒の主成分だったということだ。
更に、曇った結果が下の細いバンドとまったく同じ色に見えるということは……。
「ありがとう。まず一つ確認できたよ」
何をさせられているのかわからないという顔のシフィーに俺は説明する。
「実はこの紙は触媒の成分を分けたものなんだ。今シフィーに魔力を流してもらったバンドと、下の最初から曇っていたバンドの比率を見てほしい。曇ってる量が結構あるだろ。つまり、シフィーが使っていた触媒は、劣化した成分が多かった。最初から劣化していたってことになる。多分使用期限が切れてるものだと思う」
「期限切れの触媒……」
シフィーの顔が沈む。実はこれは平民出身者にはたまにあることだ。学生が訓練として使う触媒は、先輩である卒業生たちの言わば寄付だ。シフィーの机にある単純で短い線長の魔術陣なら、古くても何とかなる場合が多いという理由もあるといえばある。
もちろん、初期教育が遅れている平民出身者の教育という意味では非効率だ。俺に力があれば改めたいくらいだ。
ただ、今もっとも深刻なのはもう一つの方だ。
俺はその下の薄い緑のバンドを指さした。
「こっちにも同じことをしてもらえるかな」
「わかりました。……あっ、これも触媒ですね。緑……のですね」
緑色のバンドもシフィーの指により曇った。これで間違いない。シフィーの触媒には別の色の触媒が混じっていた。
「念のため聞く。ミスして混ぜたってことはないよね」
「はい。必ず一度に一色の触媒しか使わないようにしています」
シフィーの顔がはっきり曇った。自分が嫌がらせをされたことに気が付いたのだろう。まずは事実を告げる。
「この触媒には問題が二つある。一つは古いことだ。多分だけど、これまでずっと期限ぎりぎりか、過ぎた触媒をシフィーは使っていたんだと思う」
これに関しては対処不可能ではない。学務課の触媒が入れ替わるタイミングは分かる。書類の書き方についてもコツがあるから、アドバイスできるだろう。
「はい」
シフィーはかみしめるように言った。
「問題はもう一つだ。最近余計にうまくいかなかったって言ってたよね。原因は二色目の触媒のわずかな混入だ……」
「異なる色の触媒で魔力が反発……ですね。使っていて思い当たることはあります」
なるほど、やっぱり感覚でわかることはあるんだな。だが、それはあくまでヒントがあったからだ。落ちこぼれのシフィーは、自分がおかしいと思ってしまう。
「こっちの方が深刻だ。これじゃあ練習どころじゃないからね」
スカートの端をつかんで耐えているシフィーに、なるべく明るい声で言う。
「逆に言えば、この二つの原因を解消すれば、これまでよりもいい条件で練習できるようになるはずだ。一つづついくよ。まず、劣化した触媒を押し付けられないようにするコツだけど……」
俺は触媒の在庫の移動のタイミングを教える。申請書の書き方もだ。
「わかりました。気を付けてみます」
シフィーはスカートから手を放し、俺の言ったことをメモする。
「うん。次に二つ目なんだけど。これをやった人間に心当たりは?」
「いえ、ありません」
さて、どうするか。緑の触媒成分でも、魔獣ごとに違いがあると仮定すれば、犯人の目星をつけることは可能かもしれない。同じ場所にバンドが表れる緑の触媒を使っていた人間が疑わしいことになるからだ。
念のため、サンプルを証拠として確保はしよう。だが、告発するかどうかは別の問題だ。まず、この方法に証拠能力はない。そして、俺にその権限はない。
さらに、これをやればこちらが相手の手段を見抜いているという、アドバンテージを捨てることになる。まずは、手持ちの唯一の札を使わずに済ませるべきだ。
まあ、念のため今の触媒は取っておいてもらおう。証拠が必要になったときのために。
「一番簡単なのは、だれか信頼できる人間に付いててもらうことだけど。そういう人はいる?」
「一人います。ヴェルヴェットさんなら。厳しいんですけど公平で、落ちこぼれの私にもちゃんとしてくれます。さっきも実習後で疲れてるのに様子を見に来てくれました」
「ヴェルヴェット……ああ学年代表のマーキス嬢?」
確かにさっき出て行ったな。
符号は合うな。お目付け役の学年代表が演習で忙しくなったタイミングでということか。考えてみれば、平民出身者のカインを真顔で称賛していたし、信用できるだろう。
「よし。それでいこう。後は、またおかしいなと思ったときだ。この前と同じように俺にサンプルを渡してくれればいい。すべてに対応できるとは限らないけど、劣化と混入に関してはある程度判断できるみたいだから」
俺が言うと、シフィーはあっという間に涙ぐんでしまった。まずい、一つ一つと思ってたのにキャパシティーを超えたか……。
「えっと、シフィー。これは確かに対症療法で、本質的な解決にはならないけど」
「……違うんです。最近、どれだけ頑張ってもダメで。だから……原因がわかっただけでも。いつも、気にかけてもらえるだけでも……なのに……」
シフィーは涙をぬぐって言った。
「はは、これでもシフィーの先輩だからね。落第したけど」
「そんなこと……。こんな方法全然知りませんでした。紙の青い触媒に触れた時もびっくりしました」
シフィーが尊敬の目を向けてくる。そうだ、ちゃんと言っておかないと。俺の今回の分析はあくまで異端のやり方だ。
「評価してくれてありがたいんだけど。実はこれ、騎士にとってはあんまり褒められた方法じゃないんだ。何しろ錬金術……っていっても解らないよな。ええっと、職人技術の応用なんだよ。だから、このことは誰にも言わないでほしい」
染色工房の技術の応用だと告げる。ただでさえ風当たりが強いシフィーだ。もし職人技術で魔力触媒を扱ったなんてわかったら、立場がさらに悪くなりかねない。
「わかりました。絶対に誰にも言いません。レキウス先生との秘密ですね」
シフィーは潤んだままの瞳で俺を見る。まだ涙は残っているけど、何とか笑顔になってくれた。取り合えず俺にできることはここまでだ。後はあの一年生、マーキス嬢に期待しよう。
油断はできないが、一つ肩の荷が下りたかな。俺は念のため今の触媒を保存するように言ってから、実習室を出た。
学院での用事はこれで終わりだ。よし、城にもどって文書保管庫で火竜の調査をしよう。カインの頼みのこともあるが、リーディアの命令について方針をもう固めないといけない。