#閑話 グリュンダーグ邸
鉄格子のような分厚い窓枠の外は曇り空だった。
彼が案内されたのは一言で言えば典型的な有力騎士の部屋だ。壁に並ぶ大虎の巨大な牙は彼に向かって顎を開いているよう。足の下にある褐色に金毛が波打つ毛皮は、テラノ・ベア。目の前のテーブルは四つ目大蛇の鱗を埋め込んだ足が支える。騎士ならそのまがまがしい鱗模様から推定される元の大きさに感嘆するだろう。
そして、彼の向かいに座るのはこれらの魔獣を狩った狩猟団だ。中心はダレイオス・グリュンダーグ、リューゼリオンの騎士家の中でもデュースターと並ぶ名門の次期当主だ。筋骨たくましい大男は、血縁上は親戚であるはずの彼の“先輩”とは対照的な威容だ。
ダレイオスの左右には二人ずつ、計四人の騎士が座って居る。その一人一人が鍛えられた肉体と高い魔力を持つ。一人で乗り込んできた平民上がりに無言の圧力がかかる。
「この度はお招きいただきありがとうございます。ダレイオス卿」
カインは慇懃に挨拶をする。柔和な表情、落ち着いた礼儀正しい所作、いつもの彼のスタイルを微塵も崩さない。護民騎士団は王家所属で彼はその長だ、へりくだるわけにも威張るわけにもいかない難しい立ち位置だ。
だからこそ、彼は部下を連れずに一人で来たし、加えられている圧力を感じてないが如くに振舞う必要がある。そして、そういう冷静な分析ができる自分を認識する余裕が彼にはある。
そんなカインに対し、ダレイオスが太い眉を僅かに上げた。
「貴様の騎士団とやらの流儀については聞いている。一匹の魔獣相手に十人もの人数で掛る。まるで役人のようなやり方だ」
「護民騎士団の主務はあくまで採取労役者の守護です。おのずとそれに合わせた流儀となっております」
挨拶も抜いた言葉は詰問にすら聞こえる。カインは動揺を抑えながら答えた。騎士院、つまり名門騎士の中での己の評判など重々承知だ。
だから、彼を焦らせたのはダレイオスの詰問ではない、「十人」「役人のような」というある意味彼のやり方を正確に把握していなければ出てこない単語に対してだ。
今回の会合の名目を考えれば不思議ではないのだが、累代の名家の言うところの『ゴミ騎士団』に対するものとしては予想を外された。
「騎士でありながら狩りは二の次だというか」
「従来とは違うやり方でリューゼリオンに貢献するのが我々の設立目的であります。微力を尽くすための流儀とご理解いただければ」
「なるほど微力か。だが、その微力の割には獲物の数や質、それほど悪くはないのではないか」
「数少ない狩りの機会を逃さぬよう大勢で囲んで仕掛けますゆえ。取りこぼしは少ないのです」
嘘はつかない。今説明しているのは文字通り彼の決めた方針だ。ただ、採取労役の拡大で得られる成果の大きさ、そして数少ないチャンスを捉えるための秘密の道具について言及しない。
「…………」
「ダレイオス殿が我々のことをご理解いただいていること、正直いささか意外です」
ダレイオスが次の言葉を発しないので、あえて己が素直な感想をぶつけてみる。発言一つ一つが、強大な魔獣に向かって繰り出す選択の連続のようだ。足の下のごとく、魔獣の尾を踏むような心地というわけだ。
それでも情報収集である以上、彼はやるべきことはやらねばならない。そのために必要なことは危険でも口にするし、必要ないことは言わない。そこには迷いはない。
「ともにリューゼリオンを代表して狩りに赴くのだ。当然であろう」
ダレイオスは右手を軽く上げた。動作と同時に、四人が立ち上がり無言で退出していった。
「では、次の狩りについて狩猟団リーダー同士の話だ。これがグンバルドから来た狩猟大会の規約だ」
「狩猟ルールですか?」
グンバルドの紋が裏に染められた書状を受け取る。王宮ではなくグリュンダーグ家に届いていることは問題と認識しながら、カインは黙ってそれを読む。最重要の情報であり、このために来たといってもいい。
獲物に対する優先順位や、縄張りの区分など、狩り自体についてはリューゼリオンの騎士院が定めている掟とほぼ同じだ。だが、狩りの獲物の等級によって明確な点数が付く。参加する狩猟団の点数は狩った魔獣の魔力結晶を日ごとに集計することでなされる。
さらに、点数は狩猟団の数で割ることになる。大人数で挑めば効率が悪くなるのだ。しかも、配点の傾斜が大きい。中級魔獣と上級魔獣で十倍。ちなみに下級魔獣はゼロだ。
強い魔獣を狩るのは確かに騎士の誉れであり、猟地における他の騎士の狩りや採取を守るためにも必要なことだ。だが、普通はここまで徹底しない。純粋に食糧その他素材としての価値も考慮する。
なるほど狩猟という言葉に相応しい。徹底的に騎士としての力の優劣に重きを置いている。つまり、彼のチームにとっては……。
「どう考える?」
「……実質上は上級魔獣を狩った数で勝敗が決まることになるのでしょう。魔力運用の効率も重要でしょうか。このルールだと、狩った魔獣の魔力結晶を利用すれば点数が下がります」
「そういうことだ」
返答は短いが「お前たちに上級魔獣が狩れるのか」と聞かれているのは明白だ。ちなみに強力な魔獣の狩猟実績ならダレイオスの狩猟団はリューゼリオン一だろう。
「健闘できるように全力を尽くすつもりです」
最悪の場合、点数のけたが一つ下ということもあり得るという、悲惨な予測を脳裏に描きながらも、彼は答える。
「……下らん駆け引きで言っているわけでもなさそうだな。先ほどの流儀では何もできそうにないが」
「それに関しては実際の狩り場で、別の流儀をお披露目できるように努めましょう」
本当はハッタリに近い。かの先輩の言葉を借りれば「確証はない」になるか。彼にとっては精神的に負担となるやり方だ。だが、そのはったりを支えるのは彼の組織の地下にいる人間によるのだ。
「一つ問題があるとしたら。最後の項目でしょうか」
カインは書状の最後を指さした。このルールはグンバルド連盟においては都市間やパーティー間の争議を解決する物でもある。点数の明確化は都市を超える大領域を騎士の流儀によって律するという意味では合理的という理由があるのだろうと察せられる。
ただし、今回の場合はリューゼリオンが参加するのだ。
「我らがリューゼリオンとグンバルドの間に旧ダルムオンを巡る争いがあると見なし、大会の結果にかこつけ不利な条件を強要してきた場合の対応が難しくなるのでは」
グンバルドによる一方的な旧ダルムオン猟地の実効支配を認めぬための大会参加だ。それが逆に向こう側の大義名分になっては本末転倒だ。
「こちらが力を示せなければどちらにしろそうなる」
「それも確かではあるでしょう」
ラウリスとの同盟が動き出すまでの時間稼ぎという点では問題ない。
そして、それは国内状況ともかかわる。ラウリスとの同盟、特に両王家間の関係が確立すれば外の敵に対する牽制だけではなく、内の敵を身動きできない形にできる。
後は残ったグリュンダーグに集中できるというわけだ。もちろん、これは理想的にいった場合であるが、この家の利害と真っ向からぶつかる。
だからこそ彼は言葉の綱渡りをしているわけだが、どうにもやりにくい。何しろ、彼をしてまだ目の前の男が何を目的に呼び出したのか把握できないのだ。普通に考えれば今彼が思い浮かべたような、王家の意図を探るためなのだが……。
そもそも、本来ならグリュンダーグは親グンバルド、つまり敵の尖兵だ。だが、そういった空気がここまでの探りから全くかんじられない。まるで本当に狩りに出向くようにしか見えない。
「一つお聞きしてよろしいでしょうか。デュースター家が今回の大会に参加しない理由についてどうお考えでしょうか?」
「引っ込んでいれば好転する状況と勘違いするほど無能な家でもなし。別のことを考えているのだろう。昔から迂遠な手段を好む。ただし、参加せぬものに興味は払わん。騎士の獲物は狩り場にしかないのだからな」
「なるほど」
デュースター家とグリュンダーグ家は長年のライバルである。今のが本音なら、その分析は大枠で正しいのだろう。最後の結論は乱暴すぎるが。
やはり策を弄している気配がない。ルールについての確認はできた以上、今日はここまでだろうか。
「ではこちらからも一つ」
「はい」
退出の挨拶を考えていたカインはその言葉に姿勢を戻した。
「そちらの持つ魔導艇とやらを一隻、こちらに回せ」
「それは……」
二つの意味でカインは混乱した。一つ目はこれが明らかな無理難題であること。二つ目は、ダレイオスが大会の為に魔導艇を必要としているのなら、最後に思い出したように出す話ではないということ。
「魔導艇は王家がラウリスとの協定に基づき運用している物。残念ながら難しいかと」
カインが答えた瞬間、巌のような表情を崩さなかった男が、口角を釣り上げた。混乱する、今の自分の言葉を思い返すが、問題は見つからない。
「つまり、お前にはそれを決める力はないということだな」
ダレイオスの視線が背中まで突き刺さった錯覚を覚えた。今の無茶な質問の意図がやっと飲み込めたのだ。背筋に汗が流れる。
「二十を超える都市を束ねる東方の大勢力ラウリスに数人で乗り込み、遺産を提供させるという大事をなした。リーディアもサリアもシフィーという小娘も、すべてお前の騎士団の関係者だな。にもかかわらず、団長であるお前にはその権限は全くないわけだ」
ダレイオスは頬杖を突いた。ここにきて初めて向けられる種類の表情だ。
「わからん。今のように泥をかぶるばかりの仕事をつづけた先、何がある。今日話して分かったが、王家の犬には収まり難い器ではあろうに」
カインは返す言葉が浮かばない。王家と自分の離間、動揺を誘う揺さぶり、そういう当たり前の駆け引きであると考えるには、目の前の男は泰然としすぎている。
いや、そうではない。最初から彼の認識に問題があったのだ、自分を通じて王家の意図を見ているのだと思っていたが、この男は最初からカイン自身を見極めようとしていた。
先ほど当人が言った「参加せぬ者に興味は払わん」という言葉をひっくり返せば当然の結論だ。
交渉には自信があった彼が、最後の最後までそれに気が付かなかった。それは、ダレイオスの言葉通り自分の立ち位置が揺れているからではないか。
…………
館を出たカインの頬に水が垂れた。いつの間にか雨が降っていたらしい。
フードに手を掛ける。グリュンダーグ邸の広い庭には、訓練の跡であろういくつもの溝が出来ている。そしてそこを雨水が流れていた。
フードを下ろすため地面に落ちた彼の目に、水に流される木の葉が見えた。巧みに水の流れを御しているように見えて、実は流されるだけのその頼りない葉から、彼は目を背けた。
2020年11月15日:
次の投稿は来週日曜日です。