#4話:後半 遠足
「あ、あのリーディア様?」
ラウリスからの帰還後に突然機嫌が悪くなった理由を聞いたとたん、それまで楽しそうだったリーディアの雰囲気が変わった。彼女は今、顔を伏せて肩を細かく震わせている。
「……だけ……ったから」
「すいません、その、よく聞こえないのですが……」
恐る恐る聞き返した。リーディアは顔を上げ、こちらをキッとにらむ。
「なかった。私にだけお土産なかったから」
「え、お土産?」
思いもよらぬ単語に戸惑う。いったい何の話なんだ。
「シフィーには櫛、レイラにはハンカチ、三枚も。私にだけ何もなかった」
「…………あ、ああ、お土産ってラウリスの……」
ようやく意味が分かった。ラウリスでシフィーとレイラの為に買った品のことを言っているらしい。シフィーの櫛が『お土産』に当たるかどうかはともかく、何でレイラに渡したお土産まで知ってるんだ?
意味が分かっても俺の困惑は続く。
確かにラウリスの名店の品となれば、リューゼリオンでは貴重なものだ、王女と言えども手に入れるのが難しい。リーディアには向こうで買い物の時間などなかった。大会まではそれどころじゃなかったし、大会後も帰国前は本当に慌しかった。
そもそも俺とシフィーが店に出かけたのは、彼女が隣都市トランとの外交中だった。なるほど、そう考えれば気を利かすべきだったと言えなくもないけど……。
「し、しかし上司にお土産とか賄賂……。じゃなくて。私が選んだものなどリーディア様のお好みには合わないでしょう」
「レイラとシフィーには選んだのに」
「レイラのハンカチはラウリスとの交易が盛んになった場合の参考で。だから、いろいろな色をそろえたんです。シフィーの櫛はデザインよりも道具としての機能性が問題でして……」
「そんなことじゃないの。そんなことじゃなくて……」
首を振って俺の言葉を拒むリーディア。悔しそうな、悲しそうな。こんな彼女の顔を見たのは幼い時以来だ。
「レキウスにとって私は上司、王女という立場だけの存在なの? 私自身のことは見てくれないの……」
震える声で聞かれた。怒りより不安と悲しみが強くなった声音に昔を思い出す。そういえばあの時も、彼女は父親が自分に対して王としての立場で接したことに傷ついていた。
彼女の十歳の誕生日、彼女が父親にお願いしていたプレゼントではなく、王女としてふさわしい品が送られたときがこんな感じだった。その時に誤解を解いたのは俺だ。
そうだった、リーディアは王女としての責任感が強いから忘れがちだが、だからこそそういった扱いに対して敏感なところがある。
もちろん俺はリーディアのことを立場で見てはいない。むしろ彼女が王女という難しい立場にあるからこそ、彼女自身にとって少しでも良い将来を祈っていたつもりだ。結界の不調の解明と修復、リューゼリオンとラウリスの対等な同盟。護民騎士団の設立だって王家の力を強化することを通じて彼女の将来の選択肢を広げるためだと思ってのことだ。
……言い換えればすべてリューゼリオンの“王女”リーディアに対してだな。なるほど、完全に部下としての働きに見えなくもないか。なんというか、自分の忠臣ぶりにちょっとあきれた。
何しろこっちはそんな意識は欠片もなかったんだから。
「…………答えてくれないの」
「では、正直に言わせていただきますが。リーディア様を本当の意味で主と思ったことはありません」
文官としては首が飛ぶクラスの暴言にリーディアが大きく目を見開いた。
「もちろんこの前のラウリスでの大会など、リューゼリオンの王女として堂々と振舞う姿など、立派になったなと思っています。ですが、私にとってリーディア様はなによりも昔から知っているリーディア様です」
「…………本当に? シフィーやレイラと違って、私だけがどうでもいい存在じゃない」
リーディアは目じりに涙の粒を浮かべたまま聞く。
「当たり前です。むしろ王女として難しい立場にあるからこそ心配なんですよ。それこそ、お土産みたいな形で気を使う余裕がないくらいに」
いささか言い訳じみているが、実際あの直前もレイアード王子からリーディアの政略結婚のことで揺さぶりかけられたのを突っぱねたりしていた。まあ、あれは兄同士の仁義があるので言わないが。
リーディアはやっと涙をぬぐった。
「じゃあ私はレキウスにとってどんな存在?」
熱のある、どこか期待するような瞳が俺を見上げる。まいったな、さっきの答えでは足りないらしい。
「そ、そうですね。……妹のように大切な存在というところでしょうか」
仕方なく、昔なら問題なかった答えを返す。だが、リーディアは再びガクッと頭を下げた。
「……私もう十八になるんだけど。それでも妹?」
「……リーディア様が一歳を重ねると、私も一歳年を取りますので」
もう大人になってしまうから難しいところなんだ。さっきリーディアの料理を食べながら、彼女と同じ立場だったらこんな未来もあったかも、とうっかり思ってしまったなんて言えないのだから。
下級文官とか平民にとって「毎日君の料理が食べたい」って確かプロポーズの言葉だ。もちろん騎士同士でこんなことを言ったら使用人扱いしたと怒られる。
大体、彼女は二言目には「私の“右筆”」だし、たまに昔にもどったら「兄様」扱いだ。こちらがいろいろと悩ましいことをわかっていない。こちらはそれなりに苦労して折り合いをつけているのだ。
「つまり兄様はずっと私のこと妹扱いするつもりと……」
それなのにリーディアは完全に矛盾したことを言ってくる。
「つまり、このまま待ってても……ことなのね。昔から一緒だったから私が一番って思ってたのに、それが逆に……ってどういうことよ……」
「あの、リーディア様?」
よくわからないことをぶつぶつと呟き始めたリーディア。口の端から「そうよ、もう油断しないわ。それに、騎士なら獲物は狩りにいかないと」など物騒な言葉が漏れている。
「…………じゃあ、兄様は……レキウスはこれからどうしたいの」
獲物を見るような鋭い瞳で聞かれた。話が次から次へと変わっていく。
「どうしたいとはどういうことでしょうか。私はさっき言ったように……」
「私のことじゃなくて、レキウス本人がこれから何をやりたいのか。どういう将来を求めているのか聞きたいの。レキウスが私の将来を考えるように、私だってレキウスの将来のことを考えてもいいはずでしょ」
「私自身のこと、ですか……」
意表を突かれた。少し考える。ここ最近はラウリス行きなどであまり考えていなかったからな。だけど、リューゼリオン以外の状況を見たことで、それなりに考えも整理できる。
「まだうまく形になっていないのですが……。私は錬金術こそがこの世界の理を現していると思っています。旧時代とグランドギルド時代そして現在、騎士の魔術と平民の技術、そういった断絶を超えることができる可能性を持つということです。ええっとそうですね……。分かりやすく言えば、錬金術でグランドギルドの遺産に依存している後ろ向きの世界を再び前に進めることができるのではないかと……そんなことを考えています」
「なんだかラウリスのあの……クリスティーヌ王女みたいな考え方……」
「ラウリスでの影響を受けていることは否定しませんが、錬金術がこの世界の理であることは私の信念ですし。遺産に頼った歪な現状を打破する方法であると思うのです。リューゼリオンの結界の危機や、ラウリスの魔導艇の劣化問題を考えればなおさらです。そうですね。いささか大げさに聞こえるかもしれませんが……」
「別にそこはレキウスらしいけど……。でも、まあそうね、この世界をひっくり返してしまうのなら立場も何もないわよね……」
リーディアはどこに引っかかったのか、少し考えこむ。
「わかった。レキウスの目標がかなうように私も協力する。私がいつまでもレキウスに守られるだけじゃないって証明してあげる。そしたら……」
リーディアは強い意志のこもった瞳で俺を見上げる。
「私のこと妹扱いできなくなるわよね」
「それは……。ええっと、心強いです。はい」
何かに吹っ切れたようなリーディアの顔は、なんだか急に大人びて見えた。俺は気圧されたようにうなずいた。
その後俺たちは荷物を整理して魔導艇に積み込んだ。
「しかしですね」
「なにかしら」
「いえ、立場のことを言うのならですね。事あるごとに右筆、右筆と言わなくてもよいのでは。いえ勿論私はリーディア様の右筆ですよ。ですが、これまでことさらそう強調していたのに、なんというか……」
最後に小さな恨み言を口にした。だが、魔導艇の準備をしていたリーディアは、俺の言葉に再び肩を震わせる。
「それは兄様が次から次へと色々な女を連れてくるからでしょう!!」
2020年11月1日:
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