#4話:中編 遠足
大きな尾を左右に振りながら地面に上がったそれは、扁平な口を限界まで開いて目の前の獲物の群れを威嚇した。狼の体にワニの頭を付けたような魔獣、大祖鯨だ。
半分は水中で生活するが、巨体を支える四肢は陸上においても十分な狩りができる。
少なくとも目の前の二本足の猿、それも弱い魔力しか持たない部類は獲物にすぎない。実際、十匹はいるそのすべてが周囲に散らばるように逃げ出した。川の中の魔魚の群れですら、もう少し気概がある。
背後には魔力すら持たない多くの同種の猿がいる。食い放題の獲物を前に大祖鯨は勇んで突撃を開始した。
「左右の連携を意識して中央に誘導してください」
どたどたという魔獣の足音の中、指揮官の通る声が響いた。獲物を取り囲むように左右に分かれたそれぞれ五人一組が、タイミングを合わせ左右から交互に攻撃を仕掛ける。
いくつもの魔力がぬめる体表にぶつかった。
だが中級の中でも巨体を誇る魔獣は揺るがない。分厚い皮膚は狩猟器を跳ね返し、まるで水の流れをかき分けるように前進する魔獣。だが、寄せては返す波のように護民騎士団員の攻撃の流れはいつまでたっても途切れない。
いらだった魔獣が咆哮と共に総身に魔力を満たした。尾が地面を叩きつけると同時に、跳ねるように前に出る。強引な突進に、ついに団員たちは左右に大きく分かれて途を開ける。
魔獣は前傾した体勢を立て直し、体内の魔力を回復させながら無力な獲物に向かおうとする。
だが、その目の前にたった一人の騎士が立ちはだかった。
団員とはけた違いの魔力を巨大な斧槍に込めた団長は、放出しきった力を回復させる暇を与えずに、無慈悲な一撃をその太い喉元にみまった。
草原に大量の血が飛び散った。
…………
木の船が並ぶ河原に焚火が煙を上げていた。焚火の周囲には血の滴る赤い肉が立ち並び、ジュウジュウと香ばしい音を立てている。
「これまでで一番の獲物ですよね。まさか俺らがクジラ野郎を狩るなんて」
串にかぶりつきながら団員の一人が言った。
「まあ止めは団長にお願いするしかないんですけど」
その隣の団員が調子を合わせる。
「皆の成果ですよ。今日の連携は見事に決まりましたからね」
カインは部下たちに言った。
確かに護民騎士団の狩りのスタイルは彼の思い描いた形に近づいてきている。一人一人の力が弱いからこそ、その連携により巨大な相手に対する。それも、今回の狩りでも一人の負傷者も出なかったように安全に。
ただし、彼の心中はその表情ほど朗らかではない。
完成に近づいたということは、限界が見えているということである。団員の言葉通りそれは彼らの魔力の資質によるところが大きく、組織的運用では解決が難しい。
それでも団長として表情を崩したりはしないのが、彼がリーダーとして自らに課す役割だ。その顔を崩すような言葉が一人から上がったのはその時だった。
「そういえばあの文官なんですけど。何者なんです」
「どういう意味でしょう?」
不審と不満のこもった言葉に、部下たちの多くが頷いているのを確認してから、カインは笑顔のまま聞く。
「いえ、団長も名誉団長も、なんか特別あつかいしているというか、なあ」
「こっちに来た時はずっと地下で何かしているし。何をやってるのかわからないというか……」
「そもそも肝心のこの一か月、外にいて何もしてないし」
「そうそう、そのくせシフィーちゃんやレイラにやたらと絡むし……」
「今もリーディア様と二人で森の中ですよね」
こういった疑問はいずれ出てくることは予測の範囲だ。大所帯になった団において、かの先輩に対する情報管理は頭の痛い問題だ。当人がラウリスに行っていたこともあり、名誉団長の右筆としか説明していなかったのはある意味迂闊だった。
「そうですね。いい機会ですから説明しておきましょうか」
カインは真面目な顔を作り、とっておきの機密を口にするかのように声を潜めた。
「実はこの護民騎士団の構想そのものを出したのがあの“先輩”なのですよ。いわば我々の騎士団の生みの親なのです」
出したのは、もっとも当たり障りのない情報だ。当然、その小さな情報は団員に大きな衝撃を与えた。
「ええっ!!」
「そ、そうだったんですか」
信じられないという顔の団員達に、カインは諭すように説明する。
「この騎士団の立ち位置を考えてみてください。騎士と平民のどちらの仕組みも熟知している人間にしか作れない仕組みだと思いませんか。つまり、文官のそれも元々は下級の立場の視点です」
「なるほど。それは確かにそうですね」
「こんな風に平民と近い仕事なんて、最初は俺らだって抵抗あったくらいだ」
「次に、この一ヶ月の間、団を空けていた件ですが。知っての通りリーディア様のための事前調査としてラウリスに派遣されていました。ですが、それだけではないのです。あの魔導艇を入手するための交渉は先輩が主導したのですよ。東方の大都市ラウリスの王に直談判して提供を認めさせた、そう聞いています」
「つまり、ああ見えてとんでもなく優秀な交渉役ってことですか」
カインは一瞬答えに迷う。あれに交渉という名前を付けるのは、彼の常識と真っ向からぶつかる。だが、引きつりそうになる笑顔を何とか保ち、頷いた。
「リーディア様だけでなく、陛下もその力には期待しているのです。そして今後我々が活動を広げていくのに欠かせない人材、そう心得てください」
「はあ、そうなんですね。全くそんな風に見えませんでしたけど。そりゃ、そこら辺周りの仕事をする人間も必要ですよね」
「なるほど、その口の上手さで、あれだけ女の子を……」
やっと謎が解けたという顔の団員達。だがその中で一人マリウスだけが表情を固めたままだ。
「でも、それでも文官ですよね。いくら何でも団長と対等みたいにというのは引っかかりますよ」
副官であるマリウスは魔力の強さは団員の平均程度だが、視野は広く頭の回転もいい。さらに言えば休みなく忠勤に励んでいる。
本来五人程度のパーティーで動く騎士を二隊連携させる運用方法は、通常の倍の人数を使うということだ。カインの直下で二隊の連絡をとるという重要な役目を果たす。このような平原ならともかく、森の中においてその役目は重要で難しい。つまり、団のナンバーツーだ。
「実は、先輩の騎士団における役割はもう一つあります。ですがそれを説明するのはもう少し先になるでしょう。ただ、それに関連することを一つ話しておかなければなりません。あなた達も聞いているでしょう。旧ダルムオンで行われる狩猟大会にリューゼリオンが招待されていることを」
カインは団員の視線を集めてから北を指さした。
「そして、このリューゼリオンの未来に大きくかかわるこの大会に、我々の中から五人が参加することになります。つまりリューゼリオン代表の一角を担うわけですね。おそらく、グリュンダーグ家のパーティーと並んでです」
カインの言葉に、マリウスも含め団員の関心は一気に狩猟大会に向いた。
◇ ◇
俺とリーディアは洞窟から魔導艇まで戻った。このまま帰った方が、という俺の言葉は無視され、彼女は今船の中から食料を取り出している。
「あのリーディア様、食事の用意でしたらやはり私が……」
「森の中での調理なら私の方が上手いわよ。レキウスは薪でも集めてきて、少し足りないかも」
狩りは森の中で日を跨ぐことは珍しくない。足手まといの従者を連れていく狩猟団はいないので、騎士は狩りの途中、基本的に自分たちですべてを用意する。それが分かっていても、リーディアが自分で調理している光景が想像できないので困っている。
一方、俺が昔彼女から食べさせられた表面は黒く、中は赤い何かの味は記憶に刻まれている。
ちなみに俺は官舎では自分で料理するし、何よりも実験は料理に似ているので得意なつもりだ。つい先日も、旧時代レシピから見つけ出したカップケーキを焼いてみたくらいだ。まあ、現在でも作れるようにマリーが改良したレシピに頼っての成功だけど。
いや待て、猟中の食事は簡単なもののはずだ。燻製肉を軽くあぶり乾燥した果実を添える程度ならだれがやっても失敗はないはず……。
薪を探しながらちらちらと後ろを伺う。
彼女が取り出しているのは葉に包んだ肉の塊に果物に芋と多彩だ。小さな鍋のようなものまで用意している。
「レキウス。薪を探すなら河原の端。そんな近くじゃまだ濡れてるわ」
「すいません」
慌てて朽ちた流木の方に向かった。そして、薪を集めた時にはすべての材料は鍋の中に投入された後だった。
「さっきから何か落ち着かないわね。周囲に危険は感じないわよ」
「上司に食事の準備をさせているというこの状況に慣れないというか……。というかずいぶんと色々と持ってきていたんですね」
俺が危険を感じているのは、とっくに死んだ魔獣の一部である鍋の中の物体だ。
「万が一の時の為に食料は余裕を持つでしょ。帰りの目途がたったらこうやって片付けるのよ」
「なるほど」
実験も料理も理屈さえ整っていればうまくいくならどれだけ楽だろう。そういえば彼女が味見をするのを見ていない。
そうこうしているうちに鍋からぐつぐつと音が立ってきた。漂ってくるのは心なしか……。
「いい匂いでしょ」
「え、ええ確かに。焦げた感じじゃないですね」
「当たり前でしょう。さあ、もう煮えたわ」
リーディアが用意した二つの木の椀に鍋の中身をよそい、盛りの多い方をこちらに差し出した。俺は上司手ずからの有難い料理に、震えを抑えて手を出した。椀に突き刺さった匙を手にし、覚悟を決めて中身を口に運ぶ。
「あれっ、美味し……い?」
ちゃんと切り分けられた肉にきちんとした味が付いていて、ほくほくの芋は調理時間を短縮させるためか薄切りだが、それでもぐちゃぐちゃになっていない。
「何度も作ってるんだから失敗なんかしないわよ。まあ、気に入ったならよかったけど。まだお代わりあるわよ」
「は、はい。いただきます」
温かい食事に疲れが癒される。心身に対する危険の予感が去ったら、別の感覚が認識され始めた。つまり、王女殿下が俺に給仕しているという主従逆転の状況だ。
「はい。お茶どうぞ」
「ありがとうございます」
手渡された持ち手のない木のカップを受け取る。やはりいい香りがする。
「どう?」
「いい香りです」
「私の好みなの、実は二種類の葉を一緒に……」
二人だけの食事。かいがいしく世話を焼いてくれる女の子。明らかに異常事態だ。騎士と文官ではなく、文官同士の親しい男女みたいな空気。リーディアのことをまるで手が届く相手の様に錯覚してしまうのが怖い。
もしも彼女が王女はおろか騎士でもなく、俺と同じ立場だったら。もしかしたらこんな関係もあったのではないか、そんな風に考えてしまいそうになる。
「ふふっ」
なぜかとても幸せそうなリーディアのほほ笑みに引き込まれそうになる。
待て、ここは危険な森の中、文官同士なんて生き残れない。だからそんな状況はあり得ないのだ。いつもと違うことに戸惑っているだけにしておかなければならない。
「そういえばラウリスから帰ってきた後で、怒っていた理由なんですが、そろそろ教えてもらえませんか?」
浮かんできた妄想を打ち消そうとして、おもわず口からこぼれた言葉だった。
次の瞬間、リーディアの顔から微笑みが消えた。
2020年10月22日:
次の投稿は来週日曜日です。