#4話:前半 遠足
「我々と騎士院でこの光景が全く違うものに見える。そう考えるとおかしいですね」
風になびく一面の“草”を見てカインが言った。
俺たちの目の前には、新しく採取地に割り当てられた草原が広がっていた。カインの言葉のようにここは特別な地形だ。悪い意味で。
城の外、つまり猟地のほとんどは縦横に河が流れ多くの木々が豊かに茂る場所だ。つまり、魔獣の狩り場としても、果物や芋などの採取産物も豊富な土地ということだ。だが、ここは中心にあった河が干上がったようで一面の草地に低木が散らばるだけ。
そんな不毛な土地で小さな草の実を集める採取労役者と、その周囲で獲物も狩れずに立っているだけの護民騎士団員。普通の騎士なら嘲笑する光景だろう。
だが、俺達には彼らが集めているのは金の粒に見える。料理も含めて知識と技術というものは実は錬金術、商業的な意味で、ということを教えてくれる光景である。
「これからもなるべく違ったままであってほしいな」
「ええ。今後は私が騎士院とやり取りをする機会が増えそうなのです。しばらくは騎士院の嫌がらせに従順に耐えている情けない団長、である方が都合がいい。実は例の狩猟大会について話し合うという名目でグリュンダーグ家に招待されています」
「騎士院の一角が直々にか」
「魔導艇の影響が大というところでしょう。グリュンダーグはラウリス側の情報が足りないでしょうから」
なるほど情報の扱いはいよいよ注意が必要だ。最終的にはこの麦が高級食材であることを知らしめることになるとしても、それはこちらの準備がもっと整ってからだな。
俺たちはイカサマ師のような悪い笑顔を交換した。だが、カインはすぐに取り澄ました顔になる。
「団長。東隊が川の中に強めの魔力反応を見つけました。念のため背後に回ってもらえますか」
騎士団員の一人がこちらに向かってくる。確かマリウスという団員だ。騎士団の副官的な役割をしているから幹部の一人だな。俺のいない間に騎士団が充実したため、覚えるのが大変だ。
「では、私は行きます」
カインはマリウスの方に向かう。だが、その足を途中で止めると動かない俺を見る。
「先輩もそろそろ自分の仕事に向かった方がいいでしょう」
カインは俺の背後に目をやり現実逃避を窘めた。
俺はしぶしぶ背後、枯れていない川に振り向いた。その岸に多くの小舟と、そして二隻の魔導艇が止まっていた。その前には赤と白の髪の毛の二人の操縦者がいて……。
「先生を守るのは私の役目ですけど……」
「今回の“調査”は私の記憶が元になっているのだから……」
しがない文官を森の中で守る役目を巡って争っていた。
「それにシフィーはヴェルヴェットについていないとね。そうでしょヴェルヴェット」
「は、はい。デュースター家は私がシフィーの伝手で魔導艇の情報を入手できるという話に飛びつきました。私が騎士団に出入りすることもかなり容易になります。それに、この光景も……」
先輩と親友の間で居心地悪そうにしていた金髪のマーキス嬢が答えた。ヴェルヴェットの口から護民騎士団の活動状況、つまり騎士院の思惑通りに動いていることが伝わるわけだ。
「先生の助手は私なのに……」
「実験室ならともかく、森の中では私の方が適任でしょ。二年生の学年代表としてどう思う?」
「そ、そうですね。シフィーも最近は頑張っていますけど……。森の中でのご経験ということならリーディア様がやはり一日の長が……。ああでも、シフィーも最近は頑張っていて……」
マーキス嬢が早くこちらに来いと目で俺に催促する。確かにそろそろ出発しないといけない。俺は足を上げた。
「ええっと、マーキス殿への対応はシフィーが適任なんだ。リーディア様が直接というのはあからさますぎて向こうに疑われる可能性が高いだろ。ほら、もし今回の調査で首尾よく結晶の原料が手に入ったら、シフィーには助手としてやってもらいたい実験はたくさんあるから」
捨てられた子犬のような目で俺を見るシフィーを何とか説得する。
「…………先生がそう言うのなら」
…………
水しぶきの向こうに木々が次々と通り過ぎる。何度乗っても魔導艇の力は凄いものだ。さすがはグランドギルドの遺産である。
ただしこの遺産は残念ながら本来一人乗りである。エンジンの出力なら小舟くらいは簡単に引けるのだが、今回は調査が目的ということで、身軽さを重視している。
つまり二人目の乗員である俺は操縦者のリーディアの後ろで彼女に掴まる形の搭乗になる。
「次、右に曲がるわ。しっかり掴まっていなさい」
弾むような言葉と同時に船が右に撥ねた。俺は恐る恐る目の前の少女の腰に回した腕に力を籠める。眼前で揺れる髪の毛が頬を撫でる。同時に柑橘系の香りが強くなる。さらに、両手に感じる服越しの体、時折腹にぶつかるお尻。五感全てが密着している女性の情報をこれでもかと伝えてくる。
不埒なことを考えていてはいけない。彼女は若い娘である前に上司であり、今は仕事中である。それも、下手をしたらリューゼリオンとラウリス連盟の未来に関わるかもしれないレベルの大仕事だ。
そう考えれば邪念など吹き飛ぶはずだ。俺は背中の背嚢の中で音を立てる実験器具に意識を向ける。
ただ、今後のことを考えるならベルトか何かを備え付ける必要はある。間違いなくそうだ。
「前から流木、スピード落とすわよ」
「は、わぶっ」
言葉が終わる前にスピードが落ち、俺は首筋に顔をうずめる格好になってしまう。リーディアの香りとぬくもりに突っ込んだ形だ。
「ちょ、ちょっとレキウス。耳、耳がくすぐったい」
「す、す、すいません」
俺は赤らんだ小さな耳から慌てて顔を離した。この子は上司、今は仕事中……。
…………
目的地近くの岸に魔導艇が止まった。念のため緑色の覆いを船体に被せ偽装した後、河原に降りた。ガタガタの足で踏む地面の感覚が怪しい。河原の石に腰を下ろし、疲れた体と心を休める。
「これくらいでへたばるなんて。実験ばかりしているからじゃない?」
「……なんというか姿勢とかいろいろ気を使ったせいですね。実験器具が壊れないようにとか…………」
俺は背中の背嚢を背負いなおした。
「帰りはもう少しゆっくり操縦するわ。出発前に充填したとはいえ残り容量の問題もあるし」
「充填ですか? 確か充填台はまだ設置途中で、サリア殿が今回同行できなかったのはその為だったのでは?」
「えっ! ええ、そうよ。そう、まだ安定しないの。地脈との位置関係が大事らしいから」
「なるほど」
まあ、最低限動くようになっているのなら設置完了も近いだろう。充填台は魔導艇運用の要だ、がっちり王家で固めておかなければいけない。
「さあ、目的の洞窟に向かうわよ」
「そうですね。日が暮れたら大変ですから」
俺は荷物から魔力測定器を取り出し、リーディアの後に続いた。
…………
リーディアが記憶していた洞窟はあっさりと見つかった。入り口にかかるシダの大葉をくぐって中に入る。洞窟の地面には小型の魔獣の足跡がある。蹄を見ると森の果実を食べるタイプだろう。
「大丈夫。中には何もいないわ」
俺達はゆっくりと中を進む。一本道でなだらかな下り坂だ。
「確かここらへんだったわ」
入り口から少しだけ歩いた場所でリーディアが立ち止まる。ランタンが照らす洞窟の岩肌に半透明の何かが張り付いているのが見えた。硝子を融かして塗りつけたようなそんな物体だ。下には、それが溶けた後乾燥したらしい白い粉末がある。話に聞いていた通りの光景だ。
「これ自体に魔力の反応はありませんね」
俺は岩壁に魔力測定器を近づけた。そして地面の粉末を指で触る。確かに塩の手触りとは違う。
次はいよいよ壁の半透明の物質だ。用意してきたスコップで叩くと、ガラスのように砕け半透明の欠片が落ちた。光に透かして観察する。魔力結晶に比べたら脆いし、透明度も低い。
「どう?」
「そうですね。これだけでは見たことのない物質だということしか。ちょっとテストをしてみます」
欠片を一つ試験管に入れてエーテルを注ぐとかき混ぜた。このために簡易的な実験道具を持ってきたのだ。
「溶ける成分とそうじゃない成分があるみたいです。これは面白い」
試験管の中には飴色のもやもやが残った。もやもやを木の串で巻き取って除き、透明な液体だけにする。次は用意してきた赤の触媒色素をエーテルに溶く。その両者を混ぜ合わせる。一滴一滴、慎重に加えながら撹拌していく。
「ではこれを……」
赤褐色に色づいた液体をリーディアに渡そうとした。だが、彼女は俺を見るだけで手を伸ばしてくれない。
「あの、お願いできますかリーディア様。赤の魔力で実験できるようにしてますから」
「あっ、え、ええ、任せなさい」
なぜか慌ててサンプルを受け取ったリーディアは、両手で魔力を通してくれる。すると心なしか液体の色が鮮やかになった。皿に空け、エーテルがとんだあと現れたのは赤褐色の粉末だった。ただ、地下室での実験のよりも若干赤みが強い。粉末を試験管に移し水で洗ってみる。
試験管の下に赤い砂粒がつもり、上には褐色の懸濁液が残る。懸濁液を丁寧に除き、下の赤い粒子をもう一度乾燥させる。
色は薄赤になった。どうやら曇りは余った触媒色素だったようだ。この結晶成分(仮)と触媒色素の割合で触媒色素が多すぎたか。
改めて得られた砂状の物質を見る。見た目は砂で、結晶というには無理がある。ただ、ざらざらの感触はこれまでの実験とは違う。光に透かすと僅かに透明感があるようにも見える。
「これに魔力は溜まっていますか」
砂の一部をリーディアに渡した。リーディアが指先でそれを転がす。
「どうかしら……ええ、意識しないと分からない、本当に微かだけどあるかも……」
「本当ですか。ちょっとこちらでも測ってみます」
俺は魔力測定器を前に試験管に取った赤い砂をエーテルに溶かした。測定器の赤い環がピクリと動いた。
「反応は弱いですがそうですね。求めていたもののようです」
形状は結晶とは程遠いが、ほんのわずかでも魔力が溜まる性質を持つというのは重要だ。
「そうなの? 言ってはなんだけど魔力結晶には程遠い感じだけど」
「もちろんこれ自体は全く用をなさないと思います。ですが、魔力を溜める性質が得られたのが重要なのです。これでやっとスタートラインに立てます」
「そうなのね。よかった。てっきり失敗かと思ったわ」
リーディアはほっとしたように言った。考えてみれば彼女に実験の初期過程を見せるのは久しぶりかもしれないな。最初の魔力触媒のときとか、魔導艇のエンジンなんかは完成した後で彼女に引き渡したし。
「いつもあれを見てるなんてあの子たちはやっぱりズルい」よくわからないことを呟いているリーディアを背に、俺はなるべく沢山の材料を採取した。
背中は重くなったが、その重さが心地いい。
「戻る前に食事を済ませましょう。多少なりとも荷物が減るし」
洞窟から出たところでリーディアが振り返った。
「用意は私に任せなさい」
「そ、そうですか。恐縮です」
にこりと笑ったリーディアに俺はぎこちなくうなずいた。大昔の黒くて苦い記憶を思い出した。
2020年10月18日:
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