#3話 原材料
昼過ぎになってシフィーが騎士団本部に来てくれたので、早速魔力を使った実験を開始した。
まずは、魔力結晶の溶解液から得られた色素バンドが魔力触媒の色素と同じ素子であるかの確認だ。
クロマトグラフィーで分離した褐色のバンドをエーテルに再溶解して微量の魔導金属を加え、シフィーに魔力を通してもらった。ちなみにこの実験は充填台があれば効率が上がるのだが、充填台はサリア指揮で設置中だ。
実験は上手くいった、ごくわずかだが鮮やかな魔力触媒のバンドが表れたのだ。つまり、魔力結晶の色成分は魔力触媒の色素部分と同じものだということが証明されたのだ。
魔力結晶の合成という目的を考えた時、材料の一つ目が確定すると共に、容易に手に入ることが分かった。魔力結晶内の色素成分は量的には多くないようだから、まず不足することはないだろう。
だが、肝心の魔力を加えながら魔力結晶の再結晶化をするという実験は失敗した。シフィーは整っていた髪の毛が額に張り付くまで頑張ってくれたが、得られたのは色付いた粉末だけだった。
念のため虫眼鏡の下で魔力を注いだ場合と、ただ濃縮した場合を比較したが、違いは見えない。例えば塩の場合、小さくともよく見ると透明感があることが分かるのだが、これはどちらも粉だ。
「シフィーはどう思う」
「はい。この粉に魔力は溜まってないと思います」
助手は少し考えた後答えた。
「なるほど、つまり結晶の大きさ云々じゃなくて、結晶化そのものが起こっていないということかな」
「そう感じます」
さすがにいきなり実用に足るような結晶が得られるとは思っていなかったが、少しでも魔力を溜める“何か”が得られればと思っていた俺の思惑は完全に甘かったわけだ。
「そういえば未使用の魔力結晶がエーテルに溶解するとき、魔力はどこに行くんだろう」
「ええっと、溶ける時に周囲に放出される感じです」
シフィーははきはきと答えてくれる。前までだったらこういったネガティブな結果が出た場合、遠慮がちな態度になりがちだったのだが、今はしっかりと自分の考えを伝えてくれる。助手として頼りになることこの上ない。
「魔力を放出して曇った結晶の場合はどうなってる?」
「少しだけですが、魔力が発生しています。魔力の小さな粒みたいなものが残っていますから」
「結晶の中にひびが入ってる部分とそうじゃない部分があるって感じかな」
「そうだと思います。ただ、残っているのは本当に少しだけです」
「なるほど。確か錬金術の本に種結晶を使う方法があったな……。少しずつ分かることは増えていくな。ただ、魔力結晶が触媒の色素成分、結晶成分、魔力の三つだけで合成可能だという仮説は単純すぎたかも知れない。とはいえ、現状でできることも限られているしな。どうしたものか……」
俺たちが次のことについて考えていると、上からシフィーを呼ぶ声がした。魔導艇絡みのことらしい、騎士団の魔導艇は今のところシフィーの専用だ。充填台が設置されるまで魔力が補給できないので、管理は経験者にしか任せられないのだ。
シフィーが上に上がったので、実験が出来なくなる。俺は錬金術の結晶関係の記述を調べる。
種結晶を使う方法はすぐに見つかった、小さな結晶をいわば芯としてその周囲に結晶を成長させる方法だ。ただし、今の様にそもそも結晶化を引き起こせていない現状では役に立たない。
俺は種結晶の記述を実験ノートに写し取ってから、再び考えに沈む。
再結晶化という目的自体は妥当だと思う。魔力結晶の再結晶化が出来れば、魔力結晶の再生ができる。結晶化の過程に魔力が必要だというのも妥当だろう。いったん使い終わった魔力が勝手に復活するというのは錬金術の保存則に反する。
ただ、先ほどシフィーが身をもって示してくれたように、それを騎士にやらせるのは非現実的だ。充填台が設置し終わったら活用できるかもしれない。まあ、これも将来の課題だな。
そういえば、透明な魔力結晶と有色の魔力結晶が同じであるということは証明していない。透明な魔力結晶は魔力が尽きても曇らないのは無視できない違いだ。結晶の性質そのものが違うなら、材料も違うかもしれない。
将来の課題だけが積み重なってくる。考えるのは楽しいが、将来なんて言葉を使うには時間がなさすぎるんだよな……。
考えてみればあの粉末、結晶成分はどこから来てるんだろうか。騎士には魔力結晶は出来ないし……。それを考えれるなら魔力触媒もだよな。待てよ、仮に騎士の心血を…………。
って、考えが物騒な方向にいっているぞ。シフィーやリーディア、いやそもそも人間を実験サンプルとして考えるなんてどうかしている。
俺が頭を振ったとき、階段を下りてくる音が聞こえた。どうやら上の用事はそんなにかからなかったようだ。足音がドアの前で止まった。以前はすぐにドアが開いたのだが、最近はなぜか一度立ち止まるようになっている。
俺が紙に目を落とすと、しばらくしてドアが開く音がした。
「シフィー。次のことなんだけど」
「…………」
「シフィー?」
「……シフィーはまだ上よ、レキウス」
顔を上げると赤毛の少女が立っていた。
…………
「というわけで、現在魔力結晶の再結晶化に取り組んでおりまして。今までの実験結果では……」
明らかに機嫌を損ねた上司に丁寧に実験結果を説明した。
「なるほど、そうなのね」
リーディアの反応は短く、硬い。ここ最近機嫌が悪い。ラウリスからリューゼリオンにもどってくるときは普通だったのだけど。何かへまをした記憶もないんだけどな……。
「それで、これからのことなのですが。次の方向が定まっていません。まずはサリア殿が充填台を設置してくれるのを待って複数の再結晶化条件を効率よく試すというのが一案です」
「サリア……。他には?」
「私自身が魔力を使えないので」
「うん」
「シフィーとよく相談して魔力結晶自体についてもう少し調べるとか。シフィーは三色の魔力を使えますから」
「またあの子……。他には何かないの?」
「そうですね。そうだ、レイラに魔獣の血液から曇った触媒も回収してもらうことも考えないと。まだ、再合成は遠いですけど、準備だけは――」
「他には!!」
考えられる限りの案を上げていくのだが、上司の機嫌はどんどん悪くなる。
「……ええっと、怒ってます?」
「別に、レキウスの考えを聞いているだけ」
いや、絶対に怒っていると思うんだけど。
「結晶成分と仮定しているこの粉末がそもそもの問題かもしれません。魔力を蓄える性質が見られないということは、エーテルへの溶解、あるいは一度結晶化したことで何らかの変化が起こってるのかも。例えばですが、紙は一度折ると反対側に折り返してもその跡が消えることはありません。そんな感じでこの粉末も、元には戻らないのかもしれないです」
俺は粉末をリーディアに見せた。
「となると再合成の原料としては不適格ということになって。これは正直考えたくないですが…………、リーディア様?」
さっきまで俺に厳しい目を向けていたリーディアが、粉末を凝視してる。
「これ、似たものを森の中で見たことある気がする」
「同じもの、森の中に、本当ですか」
「ええ、魔獣を追って洞窟に入ったときのことだわ。ターゲットだった魔獣は反対側から逃げてしまったのだけど。獲物には足りない弱い魔獣が岩を舐めていたの。岩の下にざらついた白いものがあって、それがこれに似ていた気がするわ……」
「岩塩ではないですか?」
「明らかに違うものだった。確か岩肌に鈍い半透明なものが張り付いていたわ」
魔獣が摂取している魔力結晶の成分に似たもの。これは面白いぞ。
「魔獣は体内に結晶成分を取り込む必要があるはずです。となると可能性はあります。それにもし結晶成分が、それも原料の形で手に入るなら重要ですね。すごくいい情報かもしれません」
「そ、そう。まあ、森の中のことなら他の子よりも私の方が詳しいものね」
「となるとそれを手に入れることを考えなければいけませんね……」
今のことで思い知ったが、俺の魔獣の知識はどうしても紙の上の物だ。森の中での魔獣の生態についてもっと実態を知らないといけない。そうだな、ここは実際に見に行く必要があるかもしれない。
「カインの出動についていくのが一番現実的かな。シフィーに同行をお願いして……。ええっと、リーディア様、先ほどの洞窟のことですが具体的な位置とか、あるいは地理的条件とかについてもう少し……」
質問を投げかけた。だが、リーディアはそれに答えず、恨めし気な目で俺を見る。
「あのリーディア様?」
「……私」
「……?」
「私がいるじゃない。私が付いていってあげる」
「えっ? しかし……」
「実際に見た私が一番でしょ。それに森の中のことなら私の方が……」
「それは、狩りの経験が豊富なリーディア様の方が確かに、ですが」
「そうよね。だから私が一緒に行く。いいわね」
さっきまで明らかに怒っていたのに、リーディアは必死な眼差しで自分が付いていくと主張する。俺はその勢いに押される。
「わ、わかりました。よろしくお願いします」
文官の護衛を王女がするみたいなことになるけど、いいのだろうか。まあ、まずいと思ったらサリアが止めるだろうけど。
2020年10月11日:
次の投稿は来週日曜日です。