#閑話 土産
橋を渡ろうとした足が思わず止まる。運河の向こうには多くの人間が行き来する雑多な光景。茶色い街。最近は何度も行っているけどいまだ完全に慣れない。空気の味も違う気がする。
だけど、私の役目も、そして会いたい人も向こう側にいる。意を決して橋を渡り、市場に踏み込む。
茶色の建物の中に一つだけある白い建物が見える。先輩の組織、護民騎士団の本部だ。みすぼらし……小さかった建物は少しだけ立派になっている。新しい棟は職人が総出で組み立てたらしい。
カイン先輩の活動がこちらで支持されている証拠だ。今までの採取警護があぶれた騎士がいやいやするような状態であったのに対して、新しい護民騎士団は採取労役をする人たちの安全のために組織化されている。それはカイン先輩の有能さの証だ。
こちらでの評価が上がれば上がるだけ、騎士の世界では嘲笑の対象になるのが悔しい。そして、同じ意識が少しだけ私の中にあるのも……。
首を振って雑念を振り払う。私は入り口に向かう。
入り口に入る前に髪の毛を整える。そして、自分の役割を改めて確認する。
ここに入り浸っているうらやましい……じゃなくて困った同級生に、もっと学院での練習に身を入れるように指導に来た二年生の学年代表。これが表向きの私。
実はデュースターの意を受けた父上の指示で、騎士団に配備された魔導艇の情報収集をするのが裏の私。そして、実際には王家にとって都合のいい情報だけをデュースターに伝える密命を受けている。
……難しい役目だ。カイン先輩に会えるからって浮かれているわけにはいかない。むしろ厳しい立場にある先輩の為にもうまくやらないといけない。それに、自分の家を守るためにも。
意を決して入り口をくぐった私は、入り口近く積まれているものにぎょっとした。褐色の草束が地面に置かれている。
……これって麦よね。なんでこんなものが? ……そういえば新しく採取労役の範囲に割り当てられた場所は麦が沢山生えてるって話だった。騎士院の先輩への嫌がらせだ。でも、だからってなんで本部の中に、まさか麦を食べるの……。
…………
「はぁ、せっかくお昼ご飯も抜いて急いだのに……」
私はため息をつきながらシフィーがいる二階への階段を上る。留守番の団員の人から、カイン先輩は予定よりも早く出動したと聞いたのだ。
まあ、シフィーと気兼ねなく話すのも久しぶりだし。ラウリスから帰ってきてからなんだか雰囲気が変わった。つやつやになった髪の毛のこととかちょっと気になってるしね。
そういえば、一階の方でなにかいい匂いがしてたわね。香ばしくて甘い、初めての匂い。何の料理なんだろう?
…………
ノックをして会議室に入ると、大きなテーブルには三人が三角形の配置で座っていた。
正面中央で難しい顔をしている赤毛の先輩。リューゼリオンの王女殿下であるリーディア様。団長不在の会議室を我が物顔で使っているのは、リーディア様がここの名誉団長だから。
右に、白いふわふわの髪の毛の女の子。私に気が付いて小さく手を振ってくれる。同級生で親友のシフィーだ。
左で私に対して頭を下げた茶髪の女性はレイラ。騎士団出入りの商人ということになっている年上の色っぽい人だ。実際には騎士団の財務や、それに秘密の一部も担っている。カイン先輩からも評価されてるみたい。
王女、平民出身の騎士見習、商人が同じテーブルについている。ここ以外ではありえない異常な光景だろう。まあ、この騎士団には文官の身で都市を振り回しているさらに異常な人がいるけど……。
それはともかく、なんだか空気が重い気がするわ。三人で何を話してたんだろう。
「……そう、これがレキウスがあなたの為に買ってきたラウリス土産なのね」
私がそれを聞こうとした時、リーディア様が言った。その視線はレイラの前に広げられているは鮮やかな三枚のハンカチに向いている。赤、青、緑の三色で描かれた模様は素晴らしく綺麗で、洗練されている。
とても平民の持ち物ではない。それどころかリューゼリオンで目にするような品ではない。
そういえば、父上からデュースターのお屋敷でそういう立派な品々を見せられたと聞いたことがあるわ。なるほど、東方の大国ラウリスの物なのね。
「三つもお土産を貰うなんて、とても大事にされているのね」
とても祝福しているとは思えない、こわばった口調の王女の言葉に、レイラは一瞬だけびくりと身を震わせたが、
「ええとですね。「この一枚を私の為に選んだ」の方が嬉しくないですか? これじゃ商品サンプルですよ。というか、渡されるときにそんなこと言われました」
王女の視線に悪びれない平民娘はすごいわね。それはともかく、言っていることもわかる気がする。おおよそ女心とは無縁の男性だもの。多分だけど最初の一枚を受け取って感動している彼女の前に、二枚目、三枚目と並べたのではないだろうか。
「……あなたは私たちが留守の間、騎士団の財務や魔力触媒の精製に大変だったのだし。本業の為にそういう配慮があってもいいわよね」
リーディア様は何かを飲み込むように言った。そして、反対側の一人を見る。
「最近とても髪の毛が整っているわね」
「はい。先生に櫛を買ってもらいましたから」
シフィーは一瞬きょとんとした表情を浮かべるが、すぐにうれしそうに懐から櫛を取り出した。琥珀のような色合いの繊細な浮彫、リューゼリオンでは見たことのない材質にデザイン、これもすごい高級品なんだろう。
大切そうに櫛を胸に抱いて見せるシフィーは、とても女の子らしい。最近、というかラウリスから帰ってきてから、どうも年頃らしくなってきたのよね。そこら辺のことは私も気になっていた。同級生の中にも今更シフィーの可愛さに気が付いたのがいるみたいだし。
ただし、今の状況でのこの態度は、反論する形で追及をかわしたレイラよりも、命知らずだ。その先生は生徒にいったい何を教えているのかと聞きたい。
なるほど、様子が分かってきたわ。どうやらあの文官レキウスさんのお土産が議題なのね。これで二人の分が披露されたわけだけど、唇をかまんばかりにそれらを見ているリーディア様の前には何もない。
何で直属の上司で王女殿下に対して気を使わないの!!
こんな女の闘い、私が来る前に終わらせていてほしかった。そういえば、いつもはリーディア様の側にいるサリア先輩がいない。カイン先輩、そんなに大きくないトラブルに対応するために早出したって聞いたけど、この状況から逃げたんじゃないわよね。
「そういえばヴェルヴェットは何の用事だったのかしら。まさかあなたもレキウスからのお土産を……」
「もちろん違います」
普段はしっかりと学年代表をしている尊敬できる先輩の口から、あり得ない誤解が飛び出した。どこまで追い詰められているの。私は慌ててここに来た理由を説明する。
「……というわけで、デュースター家は今回の魔導艇のことについて必死で状況を知ろうとしています。私はどういう情報を向こうに流せばいいでしょうか」
「…………そうね、デュースターにしてみれば自分たちが窓口のつもりだったラウリスを取られたんだから焦るでしょう。そうね、まずはあなたにちゃんとラウリスでの経緯を説明しておくわ」
…………
「なんというかデュースター家が想像しているのをはるかに超える成果ですね」
初参加で魔導艇レースの大会で優勝。それを成したエンジンの改良の技術を梃にラウリス王家との対等の関係。たった一ヶ月の成果に驚きを隠せない。最低限の情報は知っていたけど、実際に優勝した当の本人から聞くとその真実味が違うし、隠されている水面下の部分があまりに巨大だ。こんな異常な結果、例によってあの人が無茶をしたみたいね。
リューゼリオンにとっては最良、いいえそれをはるかに超える結果。そして私が本当にデュースターの密偵だったら、真っ青になったでしょうね。これは何としても父上の考えを変えないと……。
ただ、ここまで大きな動きがあると王家の元にあるカイン先輩も大変になりそう。せっかくこの一月で軌道に乗って来たみたいなのに……。レキウスさんがいないこの一月、先輩がのびのびと頑張っていたことを思い出して少しだけもやっとした。
もちろん、そんなことを言っていられる状況じゃないし、先輩ならきっとちゃんと対応して見せると思うけれど。
「ただし、グンバルドもこれに対応する動きを見せてるから、油断はできないわ。それでデュースターに伝えていい情報はこの中で……」
どうやら遠からずデュースターには伝わる情報を選んでいるみたいだ。大きな秘密であるラウリス王家との協定をちゃんと教えてくれたのは私に対する信頼として嬉しい。それに、魔導艇を使って稼いだ時間差をこういう風に利用するというのは、私なんかには思いつかない。
魔導艇のレースで優勝して見せる騎士としての実力と言い、尊敬できる。
「そうね、あなたも一度シフィーに魔導艇に乗せてもらいなさい。その方が説得力があるでしょう。魔導艇の普通の性能ならしゃべってしまっていいわ」
レキウスさんさえ関わらなければやっぱり立派な方よね。そんなことを考えながらメモを取り終わったとき、会議室のドアが開いた。
「もうそろそろお出ししてもいいでしょうか」
顔を出したのはエプロン姿の可愛い女の子だった。確か、カイン先輩の妹のマリーだ。彼女は緊張の面持ちでリーディア様に聞く。
「ええそうね、お願いするわ。そうだヴェルヴェット、あなたも食べていくといいわ。最近新しくできた麦料理のレシピなの」
「麦料理……ですか」
私は思わず絶句した。入り口に積んであったあの草が脳裏をよぎる。もしかして、修羅場はまだ終わっていなかったの。恋敵に麦を食べさせて意趣返しなんて、いくら何でも大人気ないのでは……。
それに、カイン先輩の妹にそんなことを手伝わせるなんて。
…………
カップに土を盛ったような茶色い何かが私の前に置かれる。給仕してくれるのは笑顔のマリー。仲良くしたいのに、いつの間にか嫌われるようなことをした? あれ、でもリーディア様の前にも同じものが置かれてる……。
それに、なんだかいい匂いがする。
「あなたの感想が楽しみだわ」
リーディア様の言葉にシフィーとレイラも頷く。四人の楽しそうな視線に囲まれ、私はごくりとつばを飲み込む。お茶の位置を確認して、覚悟を決めて口に運んだ。
「えっ、これが麦……」
甘くてやわらかくて、口の中でほろほろとほどける。味も食感も初めてだけど信じられないほどおいしい。入っている干した果実の酸味のアクセントもたまらない。
「カップケーキは成功のようね。ちなみにこのレシピのことはデュースターには秘密にしておいて。向こうはクッキーのことは知っているはずだけど、まったく注目してないみたいだし。わざわざ価値に気づかせることもないわ……」
「はい。麦がこんなにおいしいなんて騎士院に認識されたら……」
私は大きくうなずいた。お腹が落ち着くと同時に、ここに来る前に感じていた憂鬱が晴れていく。
騎士団の本部が外側にあるとか、私がこだわっていたことは些細な問題だった。この麦のことも含めてカイン先輩の力は騎士院が理解できないくらい大きい。もし、もしもカイン先輩に釣り合いたいなら私がもっと努力しなくてはいけない。それに、家のこともだ。何としてもデュースターから引き離さないといけない。
「麦のレシピはとにかくいいものを用意しないとね。将来あの女が何を持ってきても負けないように」
リーディア様の言葉に、レイラとシフィーが同時に頷いた。あの女って一体誰の話? さっきまであなた達修羅場だったでしょ。
2020年9月27日:
次の投稿は来週日曜日です。