#閑話4 名店
「…………ここ、本当に服屋さんなんでしょうか? 先生」
「もらった地図を見る限り間違いないみたいだな」
連れの女の子の不安そうな言葉に、俺は手元の紹介状を確認した。
ラウリスの商業区はリューゼリオンとは比較にならない大きさ、というかリューゼリオンが丸々入ってなお余るが、その中でもとりわけ立派な店が並ぶのが騎士街に近いこの一画だ。
目の前には有力騎士の邸宅かという大きさの建物がある。浮彫のドアの向こうには、色とりどりの布がこれでもかと飾られている。
なるほど、連盟全土に名を知られている有名店となるとこうなるのか。建物の色が茶色であることが不思議なくらいだな。というか旧実家よりも大きい。
ちなみに紹介状はクリスティーヌのものである。ラウリスについて右も左も解らない俺達にとって色々頼りになる女性だが、今回の件に関しては人選を誤ったかもしれない。
「まあ、とにかく中に入ってみよう」
俺は固まってしまったシフィーを促して入店する。ここに来た目的は彼女の服選びだ。
…………
「当店になにかご用でしょうか?」
俺達よりも立派な布地の服を着た店員が聞いてきた。田舎者がなにしにきたの? 店を間違えていませんか? みたいな感じだな。俺もシフィーもそれっぽい格好はしていない。そもそもエンジンの改良で汚れてしまったシフィーの服を買いにきたわけだし。
大体、有名店とはいえ騎士相手ならば注文を取りに向こうが来るものだろう。今回の場合、一から作ってもらって帰還に間に合うわけがないし、俺自身ラウリス商業区を見ておきたいという理由もあって店まで足を運んだのだ。
「彼女の服を買いに来たのです。ちなみに、これは紹介状です」
俺はラウリス王家の紋の付いた紹介状を店員に渡した。店員は疑わし気にそれを受け取った後、裏返して署名を見た途端顔色を変えた。
「…………こ、これは大変失礼をいたしました」
慌てて奥に駆け込んでいった。それでも足音が殆ど立たないのは大したものだ。その所作も、分厚い床のカーペットも。
…………
「では、こちらのお品はいかがでございましょう。シフィー様の髪のお色によく合うと思います」
「あ、あの、もう少し地味なほうが、それに動きやすくないと……です」
胸元にレース、胴部に刺繍、裾にはひらひらのドレスを見せられて、シフィーは困ったように言った。
店は厳戒態勢だ。恐しゅくしきりにシフィーに服を薦める店員は先ほどと違う年配の女性だ。それを緊張の目で見守る男性は店主だ。どうやら夫婦らしい。自都市のお姫様の紹介状、しかも彼ら商人にとっては影響が大きい文官姫の直筆となればこうなるというべきだろう。
ちなみに、ちらっと見た中の文章には「私の服を選ぶと思って……」みたいなことが書いてあった。
おかげでシフィーは次から次へと差し出される大量の、それも豪華な服に困っている。だが、さすがに腕は確からしい。シフィーの控えめな要望に合わせて、デザインが段々と大人しくなってはいる。もちろん、それはこの店での大人しさではあるのだが……。
「そういえば」
「はい。何でございましょうか」
俺の言葉に店長が即座に答えた。
「いや、先日のボートレースのことなんだが。街ではどんな風に話になっているかなと思ってね」
「なるほど。いやはや、まさか初参加のリューゼリオンが優勝するなど予想もつかず。一時騒然となりました」
「ラウリスの住人としては面白くないんじゃないかな?」
「確かにそういう声も聞こえなくはないですが……。あそこまで堂々たる結果を出されましては……。それに、我々商人にとっては航路の安全が第一ですから。クリスティーヌ殿下が東西の交易拡大や、艦隊の運営のテコ入れのためにリューゼリオンと結ぶご政策という話もありますし」
「なるほど。これだけいろいろな色を揃えるには苦労もありそうですね」
俺は店内の様々な布地やその上に並ぶ色を見た。いくつかの色について質問すると、店主はこちらの知識について感心したようにうなずいた。
「まことに。……正直申し上げて最近の艦隊の体たらくには……。おっとこれはクリスティーヌ殿下にはどうかご内密に」
「もちろんこれは世間話ですから」
俺が話している間も、シフィーの前には服が運ばれてきている。シフィーの方も段々慣れてきたのか、きれいな服の数々に目を輝かせ始めている。ここら辺はやっぱり女の子だな。魔力触媒まみれにしたままだった自分に反省だ。
俺は二人にシフィーを任せて、テーブルに並んでいるハンカチを見る。リューゼリオンでは見たことのない色や布地も多くあるな。レイラへの土産にいいだろう。どの色がいいとか全く見当がつかないから、珍しそうなのをいくつか選ぼう。商品サンプルみたいなものだ。ラウリスとの交易が強化される今後のことを考えれば必ず役に立つはずだ。
「なるべく急ぎますから」
「せっかくの機会だから、時間をかけていいんだぞ。しっかり試着して」
俺はシフィーというよりも店員に向かっていった。
シフィーが試着室、宴の控室みたいな部屋、に入っていった。まるで侍女の様に付き従う店員は、かなりの覚悟の表情だ。俺はそれを見送ると、再びハンカチや小物を見る。
…………
扉があいたのは、俺が自分の言葉に少し後悔し始めた時だった。だが、扉から出てきた見慣れない少女の姿に、俺は思わず目を奪われた。
目の前で白い髪の毛が光を放って舞った。濃いグレイのブラウスの腰の高いところを広めの帯で結び、そこから紫のスカートが広がる。色合いは暗めだが生地の質が違うのか滑らかな光沢がある。
なるほど、彼女の白く輝く髪の毛が映える組み合わせだな。
「ど、どうでしょうか先生」
一回転してふわりとたなびいたスカートを抑えたシフィーが聞いてくる。紅潮した頬に緊張に揺れる瞳。俺がよく知ってるはずの小さな女の子の見違えた姿に、俺は戸惑いを隠せなかった。
「あ、ああ」
「…………」
「先生?」
「あ、ああ。とても似合ってると思う。うん」
芸のない答えに、さっきまで俺に平身低頭だった店長が最初俺を見た店員のような表情になった。だが、勘弁してほしい。“先生”の立場としては、教え子の可憐さに思わず息をのんだなんて言えるわけがないのだから。
…………
「あの、先生。時間をかけてしまって」
「いや、俺の方も店の人に色々聞くことができたし。全然退屈はしなかったから。そうだ、これは俺からということで」
俺は最後に自腹で買った櫛をシフィーに渡した。亀の魔獣の甲羅を削り出して磨き上げたものらしく琥珀色の輝きがある。髪の毛を傷めずにすくことができる高級品らしい。
「今回も色々助けてもらったから。そのお礼だ。せっかく綺麗な髪の毛なんだから。こういうものもあった方がいい」
店主の受け売りを含めてそういった。シフィーはびっくりしたような顔で俺を見る。
いや、俺らしくないのは分かっているのだ。ただ、きちんと櫛を入れられて整った白銀の輝きを見てしまうと、錬金術に付き合わせてぼさぼさの髪にしていた罪深さを思い知ったのだ。
…………下手したら白い髪にまだら模様が付いたりしてたからな。
「ありがとうございます」
両手で櫛を受け取ったシフィーが本当にうれしそうに笑った。服装と相まって一気に大人びて見える……。
これはリューゼリオンに帰った後、おかしな虫が付かないように本格的に気を付けないといけないかもしれないな。
2020年8月23日:
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