#18話:前半 後夜祭
湖に沈む残光の中、岬の上に立つ白亜の宮殿はその優美な姿を見せていた。太湖に向かうバルコニーを備えた二階の大広間は来る夜の闇を跳ね返さんばかりの光に溢れていた。
ラウリスの本宮『首飾りの間』と呼ばれる大広間では、これから魔導艇大会の後夜祭が始まろうとしていた。年に一度、加盟都市のすべてが会する盛大な宴だ。
その格式ある宴に、今年は飛び入りの参加者が存在している。つまり俺たちのことだ。サプライズゲストというやつである。
ちなみに、首飾りの間は奥と手前の二つに分かれている。奥の間は煉瓦一つ分ほど床が高く、曲面を描く壁には太湖を描いた壁画がある。その前には円形のテーブルがある。奥の中央には三又の鉾を象った椅子。手前の中央には貝殻で飾られた三つの椅子がある。
クリスティーヌに連れられた赤いドレスのリーディアが、奥の間のテーブルの手前中央、貝殻で飾られた席の前に立った。昼間の大会の上位三選手のための場所である。
リーディアの両隣に二位のラウリスと三位の都市の選手が立つ。両者ともこの場に相応しい晴れがましい顔はしていない。どちらかといえば、これから裁判を受ける罪人みたいな表情だ。
状況を整理するとこうだ。加盟都市でもないくせに、特例で参加をさせてもらったリューゼリオンが、優勝者という立場で後夜祭の中心に立っている。この誰も喜ばないサプライズのおかげで連盟の序列はめちゃくちゃである。
まあめちゃくちゃになってもらわないと、リューゼリオンの立場を差し込む隙が無いので仕方がないのだけど。
とはいえ、ここからもかなりの綱渡りである。リーディアとクリスティーヌに向かう都市代表たちの視線は厳しい。
俺たちにとってほぼ理想通りの展開が、この完全に険悪な空間なのだ。まあ、自分がここにいるのが当たり前のような顔で立っているリーディアと、この計画の謀主というべきクリスティーヌも含めて、俺たちには文句を言える筋合いはないだろう。文句を言いたいのはかき回された選手たちと、連盟のお歴々だ。
各都市の紋章が描かれたマントの都市代表たち。ちゃんとした連盟のメンバーだ。好意的そうなのはトラン代表くらいだ。五十過ぎくらいの頭部が剥げた男性だが、先ほど聞いた話ではどうやら王本人だという。
他の都市代表は表情を消していたり、敢えて視界から外したり。
あからさまに憎悪を向けてくるのが、東岸の有力都市ランデムスのラオメドン王子と、その近くの二人の代表だ。ランデムスの選手は本選途中で転覆して失格になっている。おかげで彼の席は奥の間の端の方にある。
三又の鉾を象った一際立派な席に四十代の男性が座った。レイアードとクリスティーヌの父親であるラウリス王、この場では連盟の盟主というべきだろう。
儀典官である灰色の文官が黒塗りの盆を捧げ持つように出てきた。金、銀、銅の三角形のメダルが乘っている。表彰式のはじまりだ。
ちなみに、三位までの選手に与えられるメダルは、連盟の騎士にとって生涯の栄誉らしい。今年は知らないが……。
「まず、我々ラウリス連盟の大会に参加する為に遠方よりはるばる来られたリーディア殿下にラウリス連盟を代表して歓迎の意を伝えたい」
ラウリス王が言った。事前にクリスティーヌから聞いていた打ち合わせ通りの展開だ。
リーディアが席から前に一歩進む。栄えある優勝者の挨拶に、拍手一つ起きない。
「かくも盛大な大会に参加の機会をいただき、感謝の言葉もありません。リューゼリオンからの長い旅路でしたがその甲斐はありました。ラウリス連盟の繁栄と、魔導艇の力を直接見ることが出来ましたし。そして……」
リーディアはそこでテーブルを見渡した。
「皆様にもリューゼリオンのことを少しは知っていただけたかと思います」
リーディアは優雅に腰を折った。一見殊勝そうな挨拶に、ただでさえ良くなかった会場の空気がさらに冷たくなった。リーディアに続き、二位と三位の力ない、そしてどこか早口の挨拶が終わった。表彰式は終わりクリスティーヌが前に出た。
「加盟都市の代表が一堂に会するこの場において、現在連盟が抱える課題についてご議論いただきたいと思います」
ちなみにこれは例年通りの進行である。要するに連盟全体として大まかな問題意識を共有しておきましょうということだ。
「今年の議題は二点です。一つはグンバルド連盟の東進への動き。もう一つは太湖中央部に生じている航路の危険についてです」
二つの議題も事前に加盟都市の了解の元に調整されたものだ。グンバルドの旧ダルムオン猟地化宣言は彼らにも届いているし、太湖中央部に連盟艦隊の警護の薄い部分が出来ていること、つまり東岸西岸の最短航路に支障が出ていること。この二点は連盟全体の問題として了解されているということだ。
クリスティーヌも事務的な口調である。彼女の連盟における地位は、あくまで文官の管理者である。つまり、この場での発言権はないのだ。
ただ、今年は例年と違うことが一つある。
「ただ一つ付け加えさせていただきます。この二つの問題に関して大きくかかわる要素として、リューゼリオンの存在があります。私が今年の大会にリューゼリオンの参加を求めたのはそれが理由です。そこで、これからラウリス連盟とリューゼリオンの今後の関係についてご議論いただきたいと思います」
クリスティーヌが予定にない議題を追加したのだ。
「リューゼリオンの推薦者として、私はラウリス連盟とリューゼリオンの同盟を提案いたします」
太湖に投げ込まれた小石だったはずのリューゼリオンが引き起こした大波が、都市代表たちの顔にぶつかった。代表たちは互いに顔を見合わせ、中にはクリスティーヌに怒りの目を向けるものもいる。
本来ならクリスティーヌに発言権はない。とんでもない僭越ということになる。だが、それを咎める人間はいなかった。彼らがクリスティーヌの提案を頭ごなしに否定できないだけの、サプライズが昼間起こっているからだ。
つまり、彼女の発言力を支えているのは、連盟のすべての都市を圧倒して見せたリューゼリオンのエンジンの力だ。
「同盟? リューゼリオンは我らが連盟への“参加”を願っていたはずだが」
誰もが互いの反応を探り合っている中、口を開いたのはラオメドンの隣に座っていた都市の代表だ。紋からランデムスと同じ東岸の都市であることが分かる。地理的に、グンバルドとの争いに巻き込まれるなど御免という立場だ。
「リューゼリオンが連盟への参加を求めているなどと一度も言ったことはございません。大会への参加はあくまでリューゼリオンという都市を知っていただくため、そういうお話だったはずです」
彼女がどんな根回しをしてきたのかよくわかる。「いきなり連盟に入れてくれなどと無茶は言いませんから、せめて顔見せだけでもさせてほしい」と相手には聞こえるようにしていたということだ。
つまり、連盟とリューゼリオンの間には確たる約束は一つもない。その関係はまだ白紙の状態であるということだ。つまり、彼我の関係は今から決まる。昼間の衝撃がいまだ収まらぬこの状態でだ。
改めて思うのだが、この姫君政治的な手腕に関しては相当に向こう見ずである。
「一都市にすぎないリューゼリオンと連盟の同盟だと? それはまるで連盟とリューゼリオンが並び立っていると言わんばかりではないか」
男の言葉にほとんどの都市代表が頷いている。グンバルドからの脅威を受ける西岸の代表たちもだ。ここに集まった都市は全てリューゼリオンより規模が大きい、太湖交易の恩恵が比較的薄いトランですら、リューゼリオンよりも大きいのだ。
リューゼリオンと連盟が対等ということは、リューゼリオンのカウンターパートは連盟盟主、連盟傘下の各都市よりリューゼリオンが上位になりかねない。
ぶっちゃけて言えば、これは俺たちの都合である。ラウリス連盟ほどの巨大勢力がリューゼリオンを対等に扱うという好条件を提示した、だから文句はないよね、そうリューゼリオンの騎士院で主張するためだ。
彼らからしたらちゃんと国内をまとめてから話を持って来いというのが筋だ。だから、この理由はとてもじゃないが口にできない。
「私がこの形を提案するのには二つ理由がございます。一つ目はリューゼリオンが遠く離れていることです。近接するグンバルドの動きに対し、そのたび連盟の指示を仰ぐのでは、緊急時に対応できないことは必定です。グンバルドの脅威を抑止するというこの関係の目的に反します」
そんなことはおくびにも出さず、クリスティーヌは地理上の関係を論じる。
「たとえそうだとしても、リューゼリオンに対してそのような特別待遇を認めるだけの信用があろうか」
「その通りだ。積み重ねた時間がない相手との同盟など、それこそ役に立たない」
「そうだ。勝手に動くということはひそかにグンバルドに通じてもわからないではないか」
口々に反対の言葉が出る。発言者はすべて東岸の都市だ。西岸の有力都市は黙っている。
「そこまで反対されるのでは仕方ありません。では、その信用が積み重なるまで、試みにラウリス単独でリューゼリオンと結んでみましょうか」
「むう……」
えぐい。昼の大会で見せつけたリューゼリオンのエンジン技術、この場の人間にとってはぶっちぎりで優勝という圧倒的な結果だけが見せられたもの。当然、それは極めて大きなものと認識するしかない。
それをラウリスだけで独占するといっているようなものだ。
「リューゼリオンに最も近いのは我らのトランだ。我らトランとしてはリューゼリオンとの都市対都市の関係を構築する用意がある」
トラン代表が発言した。彼は代理人ではなく王自身だ。グンバルドへの危機感から本人が出張ったわけだが、直接の決定権を持っているのは大きい。
「し、しかし、それでは連盟としての外交方針の統一が崩れるではないか。そもそも、加盟都市は連盟外の都市との外交関係については連盟に報告する義務があるはずだ……」
ラオメドンに睨まれた先ほどの男が言った。
「今報告しております」
「うむ。トランとしても同じだ。特に秘密にするつもりはない。そもそも、リューゼリオンとの関係を否定するというのは、グンバルドの強引な宣言に対して黙認するも同然ではないか。トランとしては到底受け入れられない」
「……」
反対者が口をつぐんだ。
「今のはラウリスの意思と考えてよろしいのか」
ラオメドンが口を開いた。彼はクリスティーヌではなくレイアードを見ていう。同じく一言も発していなかったレイアードが口を開いた。ラウリス王が連盟の盟主という、ある意味での中立の立場である以上、ラウリスを代表するのは彼だ。
「連盟の抱える課題に関して意味を論じるには、リューゼリオンの持つエンジン技術について情報が不足している。それを開示するという話であったはずだ」
リューゼリオンの力の中身を見せろという話だ。俺とクリスティーヌは目配せをした。否定をされないだけで上等だ。エンジンを見せる前にここまで押し込めたのは十分。
「では、リューゼリオンのエンジンをこの場に」
クリスティーヌの言葉に、白い布が掛かった台が運び込まれる。少し長めに延長してあるその台の上に、エンジンが載っている。