#17話 本選
目の前には広大な港が広がっていた。何度見てもとんでもない大きさよね。それに、この人の数。一体どこに住んでいるのよ。
ただ呆れたり驚いているわけにはいかない。リューゼリオンの王女として、この光景が示すラウリスの力に大きな圧迫を感じざるを得ない。リューゼリオンは今後、この巨大な存在と渡り合っていかなければならないのだから。
つまり、最初が肝心というわけよ。
コースの横に掲げられた六つの旗。ボートが一艘ずつ予選タイム順にコースに入っていく。どの選手も内側に入りたがるから、私のスタート位置は最外縁になる。
既にスタートラインに付いている他の選手からの視線を感じる。予選の時も好奇の視線を浴びたけど、性質が変わったわね。好意的なものじゃないのは同じだけど。当たり前よね、新参者がいきなり本選出場というのはプライドが傷つくでしょう。あなた達にとっては都市の名誉をかけた大事な大会だもの、気持ちは分からないでもないわ。
でも、根本的に勘違いしているわね。私たちにとってはリューゼリオンの力を見せつけるためにある。今後の交渉の為の演出にすぎないの。
あなた達のエンジンの限界は予選でもう見た。兄様が作ったこのエンジンとの差を考えればこれはまともな勝負じゃないしね。だけど容赦はしないわ、兄様が作ったエンジンの力を発揮するのが私の役目だもの。
それこそ、今後の為にもはっきり示さないと。
視線を上げる。白いドレスの女性が兄様の隣にいるのが見えた。リューゼリオンを出る前に比べて、明らかに距離が近くなっている二人。私が来るまでの二週間。一体どんなことがあったのかしら。
たまたまバスケットにお酒が入っていた、嘘に決まってるわ。兄様は人がいいから誤魔化されているけど。というか仮に、万が一、それが本当だとしても、男と二人だけの場所で酔うなんてはしたないにもほどがあるでしょう。
操縦桿を握る手に力がこもる。その時、レースの役員がスタートの鐘を鳴らすため腕を上げるのが見えた。
いけないいけない、今は目の前のこと。そうよ、こんなレースはとっとと片付けてしまおう。その後の交渉も。それが終わったら、兄様はリューゼリオンに連れて帰るんだから。それで問題はなくなる。
鐘の音と共に、私は操縦桿を倒した。
風を正面から受けて水上を走る。スタートから十も数えていないけど、私の前には誰もいない。予定通り。このエンジンは初動がまるで違うから当然の結果。
背後にはぴったりと後ろに付けた青い旗。思ったより近いわね。なるほど、私を盾に風を遮っているわけね。力を温存してチャンスをうかがう。連盟盟主として焦りがあるでしょうに、冷静な判断はさすがね。予選の連中はあからさまに動揺したのに。
でも、ごめんなさい。まだ本気じゃないのよ。あなた達のお姫さまからは遠慮は必要ないって言われてるから先に行かせてもらうわ。
操縦桿を二段目に倒す、風の抵抗が強さを増した。背後から聞こえていた耳障りなしぶきの音が遠ざかった。そのままカーブに突入する。操縦桿を押し込む。後ろで流れていた魔力が一瞬で鎮静化する。操縦桿をひねるとボートは難なくカーブに沿って水上を滑っていく。
もうすぐ一周目は終わり。前半だけでずいぶん差が付いちゃったわね。
コースの周囲から白い運営旗を付けた魔導艇が動き始める。六位のトランが通過した後のブイを引っ張り始める。水上にもかかわらず見事な連携ね。こういった技能をリューゼリオンが身に着けるとしたら、それは長い時間が必要でしょう。
ただ、ずいぶんと急いでいるみたいだけど。私のタイムが予想よりも早いから、だけじゃないわね……。
◇ ◇
一周目、予定通り他をぶっちぎったリーディアのボート。彼女が二周目に入ったところで、コースの後半がゆがみ始めた。上からは、その変化の大きさがはっきり見て取れる。
「なるほど、こう来ましたか」
運営の魔導艇により、ブイが描く水上の道は大きく姿を変えていく。前に提督から聞いた話ではコース変更はあくまで飾り程度だったはずだが、とてもそんな規模ではない。
長方形のコースはその長辺中央に円が作られた。これで正味の直線は半分に短縮される。それにトータルの距離もだいぶ伸びているな。一周目とは別物になっている。
「想定よりもあからさまな工作ですね。大丈夫でしょうか」
クリスティーヌが少し心配そうな顔になる。
「そうですね、我々のエンジンが直線スピード重視であり、また予選では容量ギリギリまで振り絞った。そう分析したのでしょう。その限りでの対応としては間違っていませんね」
「なるほど。つまり……」
「はい。エンジンの余力を考えれば問題ないでしょう。予選でやられていたらリーディア様も対応に苦労したと思いますが、もはや……」
「……信頼されているのですね」
「我が王女殿下ですから」
眼下では、リーディアが急遽作られた円上を滑らかに進んでいた。むしろ後続のボートが対応に困っている。おかげでさらに差が開いていく。
「問題はこの指示がどこから出たかですが……」
俺は貴賓席の中央、隣の女性の兄を見た。提督はその表情を固めている。その隣のランデムスの代表の頬がゆがんでいるのが見えた。
「運営担当の学院は騎士院管轄でしたよね」
「はい。様々な都市と交流が深い議員がそれぞれ。それ自体は連盟の運営という意味で必要なことなのですけれど……」
「なるほど。ですが、そこら辺は殿下の管轄ですね」
「はい。リーディア殿下が予定通りの結果を出されるのであれば、私としても後れを取るわけにはまいりません」
クリスティーヌは貴賓室をすました顔で見渡すといった。
…………
都市代表たちの豪華な椅子が空のまま並ぶ。中には掛けられた白い布がずり落ちているものもある。
ほとんど全員が窓際に集まっている。もはやレースは終わりに近い。リーディアは先頭、というよりも一人だけで走っているよう。残りの五艘ははるか後方だ。
大きく円を描く余分なカーブを巧みに曲がっていく。エンジンの加速だけでなく、出力の切り替えの早さと滑らかさがまるで違う。
俺とシフィーが最後までこだわったエンジンの工夫の成果だ。
エンジンの根元の部分だけ、同じ“方向”の黒の模様を配置したのだ。通常はその黒の部分には魔力を流さないが、回転を急激に制御するときだけ魔力を通す。すると、エンジンを流れようとする透明な魔力が根元で停止してしまう。
もちろん、その過程における魔力の無駄は最小限だ。
そしてレースが終わる。本当にあっさり、リューゼリオンの旗とたなびく赤毛がゴールテープを切った。
驚きの声が地響きの様に下からとどろく中、貴賓席は沈黙に包まれていた。
「こ、こんなことがあってはならない。そうだ、不正だ、何か卑怯な手立てを用いたに違いない……」
やっと口を開いたラオメドンが言った。ちなみにランデムスのボートは途中でひっくり返ってしまっている。事前にコース変更の情報が伝えられていただろうに、むしろその分焦ったか。
「副提督。問題はタイムだ」
騒ぐ男を重く、押し殺したような声が制した。
「どのような不正をしたら、これまでにない長さと難易度のコースで史上最高の記録を出せるのか。いや……」
その視線がこちら向かった。
「この結果を前にして不正うんぬんは主題ではない。そうだなクリスティーヌ」
提督の言葉に、彼の妹の発言を待つ代表たち。その顔には驚愕、いや畏怖の色すらある。注目の中、文官姫は形の良い唇を開く。
「不正という言葉はリューゼリオンを推薦したものとして受け入れられませんね。エンジンに最善を尽くすことはルールで認められていることですから」
クリスティーヌは兄に向けて優雅なほほえみを向ける。そして、貴賓室の一人一人に視線を合わせるように続ける。
「とはいえ、皆様もお知りになりたいでしょう。リューゼリオンのエンジンについては後夜祭の場で説明していただくことになっております。皆様どうかお楽しみにお待ちください」
連盟の全代表に向けて、気負いもない風に答えてみせた。最初からこの結果が出ることが分かっててリューゼリオンをごり押ししましたとしか思えない態度は、内情を知る者としてはちょっと怖い。
この短期間でボートを乗りこなして見せたリーディアと言い、一都市をはるかに超える巨大な集団の中枢で堂々と演じるクリスティーヌと言い、頼りになることだ。
「では、今宵の準備に参りましょう」
後夜祭は大会の為に集まった都市代表たちが今後の連盟の方向性について話し合う場でもある。つまり、リューゼリオンとラウリス連盟の今後の関係が決まるのだ。
さて、最後の仕掛けの準備をするか。エンジンの秘密、見せて差し上げないといけないからな。
もっとも……。
俺たちがあれを知ったのは昨日なんだけどな。