#16話 予選
眼下には巨大な商業港が見える。いつもなら多くの帆船の出入りがある水面には、角の丸い長方形に配されたブイが並んでいる。多くの作業者や荷物が行きかう桟橋は端まで大衆が集まっている。港の周囲の建物には鈴なりの人だ。
彼らの視線の先では七艘のボートが水を切っていた。
歓声が最高潮に達する中、二艘のボートが立て続けにゴールに到達した。テープを切ったのは青い旗のボート。少し遅れたのが黄色い旗のボートだ。少し遅れて残りの五艘がばらばらとゴールを通過した。
楽団の演奏が響く中、コース横に並んでいた七都市の旗の中から、青と黄色の二つが上がった。予選第二組から本選に進むのはこの二都市だ。
青は言わずと知れたラウリス。そして黄色はランデムスという都市のものだ。
「ラウリス相手では止むを得ぬとはいえ次点での通過はいささか肝が冷えましたな」
港を望む高台にある白く高い建物の最上階、貴賓室にしゃがれた言葉が響いた。
発言者は二番目にゴールを通過したボートと同じ、黄色い紋を付けた四十後半の男だ。都市代表だけが座れる白い布が掛かった広い椅子に腰を沈めている。場所も中央のレイアードの隣だ。
事前にクリスティーヌから聞いていた席順から、中年男は太湖東岸の有力都市ランデムスの王子。しかも、連盟艦隊の副提督という役職を持つ大物だ。
彼を挟んでレイアードの左に座るのは西岸の有力都市で、予選第一組トップで通過している。
ちなみにリューゼリオンの席は一番端、リーディアの名代であるサリアが座っている。俺はその横に立っている。ラウリス連盟を上げての大イベント、魔導艇レースにおいてリューゼリオンはおまけ、俺はそのおまけのお付きだ。
参加都市の威信が掛かる年一度の大会である。その貴賓席となると連盟の縮図ともいえる。俺としては今後の外交を考えるうえで各都市の立ち位置など把握しておかなければならないことは多い。
「まあ所詮は予選。良しとしましょう。それに、特別な配慮により二組に有力選手が集められましたからな」
件の中年男がそんなことを言って、ちらりとこちらを見た。俺たちの横にはシンプルながら品の良い椅子が置かれ、クリスティーヌが座っている。
ラウリスは去年の優勝、ランデムスはそれに次ぐ二位である。
つまり、彼の不満には正当性がないわけじゃない。前年の大会の成績で予選組が決まるなら、三組の予選のそれぞれに前大会の一位、二位、三位が配置されるのが慣例なのだ。次点での予選通過は有力都市として面白くないのだろう。
「まあ、クリスティーヌ姫の無茶……いやいや推薦となれば、周回遅れというわけにも参りますまい。もっともランデムスに来ていただけば、このような下らないことに煩わうこともなくなりますがな」
クリスティーヌを見る目つきがどこか粘っこい。クリスティーヌはいつもの微笑だが、それがいつもよりもより固い。
「副提督。その件はまだ……」
レイアードがランデムスの中年王子を制した。
「殿下。今のやり取りは……」
俺が小声で尋ねようとしたとき、ラッパの音がした。やむなく口を閉じて港を見る。
運営を示す無地の旗を付けた学院のボートがブイの位置を整える。コースの入り口に七つのボートが並んだ。いよいよ予選の最後の組、そしてリューゼリオンの命運をかけたレースが始まる。
ここからでも分かるリーディアの鮮やかな赤毛が一番端に見える。表情は見えないが、スタートラインまでの操縦を見る限り落ち着いていると思う。
鐘の音と共に、ボートが一斉にスタートを切った。いや、一艘だけ遅れている。一番端のリーディアのボートだ。ちなみに先頭はトランだ。周囲をちらっと見ると、薄ら笑いが数人、レースを注視しているのが数人。
というか、半分以上はレースそっちのけで談笑に花を咲かせている。
最初の直線が終わり一つ目のカーブが迫る。リーディアは無難に船体を制御し危なげなくカーブを攻略した。池と湖は少し勝手が違うらしいが、とりあえず問題はなさそうだ。
まあ、この状況で問題があったら困るともいえる。最後尾は先頭同様、好きにコースを決めることができるのだから。
リーディアは最後尾のまま長い直線に入った。
リーディアはコースの一番外側に舳先を向けた。距離的には一番不利な進路だ。同時に、目の前は完全に開けている。そしていよいよエンジンの本格的な稼働がはじまった。
周囲に小さなざわめきが起こった。リーディアが外側からどんどんと他の選手を追い抜いていくのだ。そして、あっさりトップに立つと、そのまま大回りでカーブを曲がった。
一周目、まさかのリューゼリオンのトップだ。
周囲の様子をうかがう。先ほどまでの談笑は完全に息をひそめ、全員がレースに注目し始めた。特にラオメドンは椅子のひじ掛けを握って身を乗り出している。
「あのような無茶なスピードで最後まで持つはずもない。なるほど、顔見せなら一時でも目立たんという浅知恵ですかな」
隣のレイアードに語りかける。だが、レイアードは無言で眼下に目を注いでいる。無視されたラオメドンは取り繕うように咳払いをすると、椅子に腰を戻した。
幸いにして彼の予想は当たる。二周目の最後の直線、その半ばにしてリーディアのボートが明らかにスピードを落とし始めた。そして、第二位を守っていたトランにゴール直前で抜かれた。赤毛を靡かせるボートはまるで惰性で動くようにその後でゴールを通過する。
コースの横でトランの旗が上がった。背後で慌しく人が移動しているのが見えた。ずいぶん遅れてリューゼリオン旗がラウリスの港にはためいた。
「……案の定最後は容量切れですな。しかし、例年の下位組ばかりとはいえ新参のリューゼリオンが本選進出とは不甲斐ない」
ラオメドンは最終組の参加都市を責めるように言った。
こちらに向かう視線が明らかに増えている。とはいえ、その大半はクリスティーヌに向けられたものかな。この予選の組の操作と言い、彼女が今回の為にどれだけの無茶をしたのかが透けて見える。
「では、控室に参りましょう」
クリスティーヌが俺に目配せするとサリアに声を掛けた。俺達は彼女に従って部屋の出口に向かう。入り口で貴賓たちに一礼しつつ、反応をうかがう。不快そうに顔をそむけたのがラオメドン。彼に遠慮するように視線をそらしている都市代表も数人いる。
リューゼリオンの結果を認めたくない発言をしていたし、都市の配置的にもリューゼリオンに巻き込まれて遠いグンバルドとの戦争など御免という立場だろう。追随しているのは、おそらく同じく東岸の都市かな。恥じ入るように顔を伏せたのはトラン以外の最終組の都市代表たちだろう。
まあ、面目を失った方々もそんなに心配しなくていい。本選ではあなた達の選手の名誉を回復できるようにするつもりだ。
さて、肝心の提督はどうしているかな。レイアードを見ると、彼の目はまだ港にむかっていた。コースを離れてブースへ向かうリューゼリオンのボートをじっと見ている。
◇ ◇
「お見事でしたリーディア殿下」
「あの程度、大したことはないわ。気の毒に、他の船は私に抜かれて明らかに魔力を乱していたし。よほど勝手が違ったのでしょうね」
控室でリーディアとクリスティーヌが言葉を交わした。我らがリーディアは相変わらず剣呑だが、その言葉は決してうぬぼれではない。
一度目のカーブは最後尾でスピードも落とし単独で、二度目のカーブはスピードは速いが大回りで、そして最後は十分なスピードで。いわば本番で練習して見せたのだ。
「予選では抑えたけど本選はどうするの?」
挑発的な眼光に対して、クリスティーヌはいつもの優美なほほえみで応じる。
「リーディア殿下の思う通りに進めていただいて構いません」
「いいのかしら。そちらにも面目があるでしょうに」
「いいえ、むしろ後がやりやすくなりますから」
クリスティーヌはいたずらっぽく微笑んだ。リーディアと対照的、いや文官的には十分怖い笑顔か。
二人の視線がぶつかる中、ドアがノックされた。入ってきたのはクリスティーヌの侍女だ。彼女は主に耳打ちをした。
「ただ、少し注意した方がいいでしょう。どうも運営側で怪しい動きがあるようです」