#15話:後半 二人の利害
井戸で水を汲み、桶を手にブースに向かう。重い。いや、水くみは一番下っ端の仕事であり、そのことではない。気が重いのはあの二人のかみ合わなさである。どうしてこうなった?
「どうしてこのようなことになった」
途中で待ち構えていたサリアが声を掛けてきた。いままさに考えていたところなんですけれど。
「そもそも、あそこまでラウリス側に情報を出す必要があったのか?」
「そ、それは……」
「酒に酔わされて口を開かされたというわけか?」
「違います」
確かにクリスティーヌに対して警戒心が働いた記憶はあまりない。ただ、エンジンの改良は本当にギリギリだった。下手に隠していたら間に合わなかっただろう。
「では色香か?」
「ち、ちがいますから」
「この状況をどうまとめる」
「……サリア殿のご意見は?」
ため息をつかんばかりの顔がこちらを向いた。クリスティーヌの侍女からあの夜に向けられた視線を思い出した。
「……元凶はともかく、お二人ともそれぞれ問題がある」
「二人とも、ですか?」
根本の原因は“エンジン”として、リーディアの態度により大きな問題があるように感じていたが。
「純粋に交渉という意味では、リーディア様は必要以上に敵対的な態度をとっておられる」
「それは分かります……」
「そして、クリスティーヌ殿下だが、アレは半ば楽しんでいる」
「えっ? 私にはとてもそんな風には……」
彼女に限ってと思うのは俺の警戒心が足りないのか? グラス二杯で自分が酔うことも知らなかった女性が、酒を使って何か企むというのはないと思うのだ。
「悪意とは違う。あれは言ってみればそうだな……。リーディア様とのああいったやり取り自体を新鮮に感じている気配だ。あれでは女学生だ」
「意味がよくわからないのですが……」
「クリスティーヌ殿下がラウリスにおける唯一の協力者であることは間違いないが、扱いは極めて難しいということだ。元凶としては、そこら辺もしっかり認識してもらわなければ困る」
サリアはそういうと俺を置いてブースにもどっていく。半分も言ってることが分からなかった。
◇ ◇
「……味は確かに悪くないわね」
「ありがとうございます」
お茶でパンを飲み込んだリーディアが控えめながらも誉め言葉らしきものを口にした。クリスティーヌも笑顔で応じる。ちなみに野菜と肉と果物で作ったソースを挟んだパンはかなり美味だ。
それはそうと、少し雰囲気が落ち着いたか。
「では改良エンジンを前提に、今後のリューゼリオンとラウリスの協力関係について、双方のお考えをまとめていきましょう。私としては、この技術の要点は黒側の三色の魔力触媒の扱いだと考えています。お二方のお考えはいかがでしょうか?」
俺は切り出した。考えてみればこういったことが本来の意味での文官の仕事である。とはいえ、俺はれっきとしたリューゼリオンの文官であり中立の立場ではない。二人に進めてもらうしかないのだ。
「黒の三色の魔力触媒の製造法に関しては譲れないわ。何しろエンジン云々の前から私たちが研究を進めていたものだから。ラウリスに権利はないでしょう」
リーディアの言葉は厳しいが、表情は真剣なものだ。
「黒の触媒自体に関してはそうかもしれません。ですが、ラウリス側としても二点ほど主張することがございます」
クリスティーヌは控えめだがしっかりとした口調で返す。
「……聞きましょう」
「一つ目ですが黒の三色を活用する方法の確立において、ラウリスが提供したエンジンが重要な役割を果たしたということです。二つ目ですが、エンジンの充填台は黒の魔力触媒の生産には欠かせないと聞いております。ラウリスはこれまで加盟都市に魔導艇の航路を設置するため、充填台を提供してきました。リューゼリオンにも提供することができます」
「なるほどね。でも、充填台はラウリスの魔導艇の為の設備と言えないかしら。リューゼリオンが感謝するいわれはない。リューゼリオンの為というのなら、魔導艇の一隻も提供してもらえる?」
「それはなかなか難しい問題ですね。数が限られている点はもちろんですが、レキウス殿のお考えではエンジン内には透明な魔力結晶などさらに有用な秘密が眠るとのこと。リューゼリオンがエンジンから一方的に知識を引き出せる形は公平とはいいがたいかと」
先ほどとは別の緊張感が二人の間には漂っている。だが、これは真っ当な対立である。
というか、やればできるじゃないか二人とも……。
「公平も何も元々レキウスの功績じゃない」
「及ばずながら私も協力しました。レキウス殿もそう言ってくださいました」
「お待ちください。黒の魔力触媒に関してはもう一つ重要な要素がございます」
感心した直後におかしな方向に進みかけている、俺は慌てて調整を試みる。
「黒の触媒は魔獣からは取れません。作成には黒い魔導金属が必要です。仮にラウリスのエンジンの少なからぬ部分を改良型するためには、リューゼリオンの確保している分ではとても足りません。そして、量を確保するあては今のところ旧ダルムオンにしかないのです」
一度言葉を切る。二人にはあの時のことを思い出してもらわなければならない。
「そして、旧ダルムオンにはリューゼリオンとラウリスの双方に対して害意をもつ集団が存在します。その背後にグンバルドがいる可能性は高く、そうでなくてもグンバルドが旧ダルムオンを猟地としたら我々には手を出せなくなります」
交渉の為の共通の敵、というにはあまりに大きな脅威が存在するのだ。
「……確かにそうね」
「おっしゃる通りですね」
二人は同時に深刻な顔になった。
…………
「では、遺産の分析と開発に関する両都市の協力を中心に、その協力体制を守るために両都市は互いを守る対等な同盟を結ぶ。そういう形でいいわね」
「はい。ラウリス内の反対派やグンバルドを過度に刺激しないためにも、技術協力を前に出す形が望ましいでしょう。そのため、ラウリスは充填台とエンジンを一つリューゼリオンに“貸し出し”いたします」
その後は口出しは必要なく、二人の間で話が進んだ。そして、妥当な落としどころに収束した。
「つまりこの改良型エンジンが両都市の同盟に値することを示さなければならないということね。大会で圧倒的な成績を出すことが最優先ということになるわ。そうよねレキウス」
「はい。その通りでございます」
「つまり、これから四日間、レキウスには私にずっと付いていてもらうわ」
エンジンの力をラウリスに見せつける必要性については全くその通りだ。だけど……。
「大会の重要性はもちろんですが、せっかくの成果も加盟都市の複雑な利害関係に乱されては台無しになってしまいます。大会後の交渉の為にも、ここは協力の象徴としてわかりやすいものが必要だと思うのです」
クリスティーヌは指を頬に当て、俺を見る。
「そこで、後夜祭にパンを用いたレシピを出すのがいいと思うのです。そのためにはレキウス殿のご協力が不可欠です。旧時代についてそれが出来るのは私たちだけですから」
エンジンのことはいわば勝ち負けの話になってしまう、それを和らげる形は必要である。連盟と一都市の対等な同盟という無茶を押すのだから、万全の用意は必要だ。
「リューゼリオンの力をアピールするためにはレースで勝たないと始まらないのよ。そのためには練習が大事。あなたのパンに掛ける時間はないわ」
「しかし、エンジンの改良はもう終わっていますよね。リーディア様もあと四日もあれば十分とおっしゃれていましたが……」
「散々これまで兄さまを独占して置いてまだ足りないというの」
「まあ、それを言うのならリーディア様はずっとレキウス殿を独占しておられたのでは」
「それは当たり前でしょう。兄様は私の兄様なんだから」
せっかく纏まってきた王女の交渉は、再びおかしな方向に向かい始めた。そもそも俺はやらなければいけない作業が……。
ボートから外されたエンジンに付いているシフィーを見た。
「あなたはどう思うのシフィー」
俺の視線に気が付いたリーディアが、シフィーに水を向けた。
「はい。今のエンジンのスピードでカーブを曲がるには、まだまだ調整が必要です」
「そうよね」
「ですから、先生と私でそこを詰めないといけないと思います。エンジンの本当の力を引き出すために」
「えっ……」
「そうだなシフィー。その通りだ」
単純なエンジンのスピードアップではカーブの曲がりを制御しきれない。そこに気が付いたのはシフィーだ。そして、六色を通じてエンジンの回転をパワーアップさせるだけでなく、相反する白と黒を用いてより厳密かつ効率よくエンジンの制御をするアイデアを俺たちは考えていた。そのためには操縦桿からの魔力の流れを三つに分割する必要があり、細かな調整をしなければならないのだ。
「ボートの操縦技術に関してはリーディア様に頑張っていただき。クリスティーヌ殿下には練習の為ということで一時的にもう一隻の貸し出しの交渉が出来ませんか。その間に、私とシフィーはエンジンの最後の調整を進めます」
別にシフィーの提案にかこつけて逃げたんじゃなくて、それが最も妥当な方針だ。冷や汗をかく俺の前で、リーディアとクリスティーヌは顔を見合わせた。
「……レキウスとずっと一緒だったのは一人じゃなかったわね」
「……一対一とは限らなかったですね」
二人の視線に押されるようにシフィーがピタリと俺の横に寄り添った。俺の助手にまるで共通の敵を見るような目はやめてほしい。