#14話 エンジンテスト
俺はクリスティーヌに案内されて早朝の土手を歩いていた。
「なるほど。うってつけの場所ですね」
白み始めた空を映す穏やかな水の流れ。太湖から学院の訓練池に水を引く水路だ。土手のおかげで、中央部分は学院からも太湖からも死角になる。しかも、直線だからエンジンの性能テストには最適の条件だ。
いうまでもなく、この時間なのは人目を避けるためである。夜は暗くて危険だからぎりぎりの隙間だ。
水路には大きさの異なる二艘の魔導艇が並んでいる。一つは正式なラウリス艦隊の騎士が乗る船で、操縦席に座るのはマキシムだ。俺たちのことをある程度知っている彼が適任だ。クリスティーヌがレイアード王子に無理を言って借りだしてくれた。
そして、彼の船に曳航されているのが大会で使われる小型魔導艇だ。シフィーが操縦桿に手を置いている。もちろん、エンジンは俺達が苦労して改良したものである。
「マキシムは訓練池側で船を動かしてください。こちらに近づく学生がいないかの警戒と、魔力のかく乱。そして万一シフィーさんが水に落ちた時の救助です」
クリスティーヌがマキシムに指示する。
「シフィー。まずは今回の試運転の目的だけど。三つある。一つ目はエンジンの最高速度がどれだけ出せるかの確認。その最高速度でのエンジンの安定性。そして、持続時間だ」
「はい。頑張ります」
最初に決めた通り、エンジン改良の計画は直線性能の向上だ。本番ではコースの大部分を占める直線でとにかく距離を離すのが勝ち筋だ。これまで、池での練習光景を偵察していても、単独でコーナーに侵入できることは明らかに有利なようだった。他のボートの影響を受けないから、最適なコースを選ぶことができる。つまり、もっとも操縦手の技量が試されるコーナーで熟練度の差を小さくすることができるのだ。
「ただし、絶対に無理をしないでくれ。まずはゆっくりから少しずつ速度を上げていく。途中、ちょっとでもエンジンの魔力の流れや、あるいは船体なんかに異常を感じたら止めること」
「わかりました」
俺は揺れるボートの上で操縦桿を握るシフィーに言った。彼女の小柄な体と船体の両側に水棲魔獣の浮袋が取り付けられている。水に落ちても浮くことができるらしい。
ちなみに、シフィーはいつの間にかトランの選手と仲良くなって何度かボートに乗せてもらったらしい。ボートを曳航するとき基本的なエンジンのオンオフだけは操作していたが、エンジンの強弱くらいなら問題なくできるといわれた。おかげで試運転も彼女に任せることができる。
…………
「どうやら順調ですね」
「はい」
しぶきを上げながら水面を切るボートが、俺たちの目の前を通り過ぎた。これで三往復目、俺の指示通り、シフィーは徐々にスピードを上げていた。一往復の距離が本番の長辺と同じように設定したので、カーブでのロスを考えてもタイムを倍にすれば大体対応する。
砂時計が示すタイムは既に去年のタイムに迫っている。
「エンジンは安定してるか?」
「大丈夫です。魔力に乱れはありません」
「容量はどれくらい残っている?」
「私の感覚ではまだ半分以上残っています。エンジンの出力もまだ余裕があります。でも……、これ以上スピードを上げるとボートが安定しません。下手をしたらひっくり返ります」
シフィーが言った。
「そうか……。今のタイムが大体予選通過くらいはいけるかなってところだから、欲を言えばもうちょっとほしいな」
「重しで調整するのがよいでしょう」
クリスティーヌは石の板を指さした。ボートの下にこれを固定して調節するのだ。もちろん、重くなればスピードは落ちるし、詰みすぎれば船が沈む。正直言えば、このエンジン用の船体が欲しいところだが、時間が足りないし、それでは遺産改良のインパクトが薄れる。
……
六往復目、シフィーのボートが水面を切るように俺の目の前を通過した。
「よし、またタイム短縮だ。エンジンの残量はどうだ?」
「はい。残りが五分の一くらいです。もうそろそろ容量が出力に影響し始めると思います」
「航続距離も全く問題なさそうですね」
「ええ、怖いくらいに順調です」
砂時計は去年の優勝タイムをとうに超えている。走行距離だけなら大会コースをクリアしているから。コーナーの減速とその後の再加速で魔力を消費することを考えても大丈夫だ。
「エンジンの容量も考えれば、そろそろ引き上げた方がよさそうです」
クリスティーヌが池の方を見た。朝焼けのなか、ランタンの明かりが回転している。マキシムの魔導艇からの合図だ。マキシムの魔導艇が水路をこちら側にもどってくる。
最後は制式艇と並走してもらおう……。
…………
「マキシムの目から見てどうですか」
リューゼリオンのブースの前に大きさの違う二つの魔導艇が並ぶ。最後にエンジンの容量を出し切ったボートは再び曳航されてここまで戻ってきたのだ。
ブースの中に集まった俺達。クリスティーヌがマキシムに尋ねた。
「……正直言えばこの目で見ても信じられない気持ちです。エンジン出力の強さだけでなく切れや安定性という意味でも」
複雑そうな表情でマキシムは答えた。そうして他には誰もいないのに声を潜める。
「この技術は他のエンジン、つまり制式魔導艇に適応できるのですか」
「いかがでしょうレキウス殿」
「施した改良は単純なものですから、エンジンの模様がボートのものと制式魔導艇で同じパターンなら可能だと考えています」
「それが本当なら、ラウリス艦隊の運用方針が全く変わります……」
「本番までは兄上にも秘密ですよ。それがレキウス殿……リューゼリオンとの協力関係を確立するために、つまりこの技術を得るために必要なことですから」
クリスティーヌが釘をさすと、マキシムはちらっと俺達を見て
「……艦隊の一員としてはいささかならず思うところはあります。ですが、リューゼリオンに関しては殿下の管轄ということになっておりますので、ご指示に従います」
仕方ないという感じで頷いた。ラウリス艦隊の騎士として本当はどうしたいのかを考えたら、少々恐ろしくある。まあ、信じるしかないだろう。旧ダルムオンのことが彼の口から外に漏れていないことは確かだろうからな。
さて、油断はできないがエンジンの強化という大きな目標は達成したな。リーディア到着予定まであと二日だ。ギリギリ間に合った。
とはいえ、話はこれですまないんだよな。俺はクリスティーヌと話しているマキシムをちらりと見た。
さっきの質問、マキシムは他の魔導艇にもこの技術が適応できるかと聞いたが、俺の考えでは今回俺たちがやった六色を使った強化、エンジンだけにとどまらず、遺産全般に効果を発揮する可能性がある。
もちろん、エンジンのような単純な模様と効果の遺産と違って一筋縄ではいかないが、結界の範囲の拡大などもできるかもしれない。エンジンは絶好の実験材料だったといえる。
ただ、そこまで考えた時ラウリスとの協力関係の調整は困難さを伴うということだ。仮に対等な同盟に持っていけても、リューゼリオンにはラウリスの様に手軽に運営できる遺産が存在しない。つまり、この技術で強化できるものがないのだ。
ポイントは、黒側の魔力触媒の供給とかだな。ラウリスの持つ充填台をリューゼリオンに設置するとか、そういうことが必要になる。
さらに問題なのは、魔導金属のことだ。エンジンの改良に夢中ですっかり忘れていたが、旧ダルムオンで俺たちが見た謎の、グンバルドに与する? 騎士は黒い魔導金属絡みの知識を持っている。
しかも、あいつらはこの貴重極まりない資源をまるでゴミでも捨てるように川にぶちまけたのだ。
「お疲れ様シフィー。それにしても事前にボートに乗る経験まで積んでるなんてすごいぞ」
マキシムとクリスティーヌが引き上げた後、俺はシフィーに言った。
「偶然です。それに、先生がトランの選手とは仲良くっていってたから」
「いやいや、お手柄だ。エンジンの改良に時間を食ったから試運転が順調に行って本当に助かった。リーディア様が到着したら練習のこともよろしく頼む」
俺が褒める。シフィーは少しくすぐったそうな顔になる。だが、その後で意を決した顔で俺をまっすぐ見る。彼女にしては珍しい表情だ。
「……先生」
「どうしたシフィー」
「今のエンジンのスピードだと……」