#13話 限界突破
「先生。よかった」
予想外の酒……仕事の翌日、俺はいつもより少し遅れてブースに降りた。ドアの前で待っていたシフィーが小走りで近づいてきた。ホッとした顔で俺を見上げるシフィーだが、小さく鼻を鳴らして怪訝な顔になった。
「お酒の匂い」
「あっ、いや、酒はちゃんと抜けててだな。ほらこの瓶からだよ」
あわてて手に持っていたワインの空きビンを見せた。実際、朝に残るほど飲んだわけじゃない。どちらかといえば、ラウリスのお姫様の色気に酔いそうになった……なんて、それこそ真面目なシフィーには言えることじゃないな。大体あれは、そう仕事だったのだ。
「そうなんですね……」
「そ、それにだな今日遅れたのはエンジンの改良について昨夜思いついたアイデアをまとめていたからなんだ」
俺は瓶を持った手でわきに抱えていた紙の束を指さす。何しろ思いついたのは夢の中だ、忘れないうちに書き留めないといけなかったのだ。
「昨夜……」
「待たせちゃったけど。エンジンの改良の方法はちゃんと思いついた。中で説明するよ」
何か言いたそうなシフィーにそう言うと、俺はブースのドアを開けた。
ブース内に入ると机に上に抱えてきた紙の束を広げた。先生としてちゃんと仕事をしていたことを助手に証明しなくてはいけない。
「これまで俺たちはエンジン内の透明な魔力により強い回転を与える方法を探してきた。そして問題にぶつかった。強い回転を与えようとしたら、透明な魔力がその分早く枯渇するだけじゃなく、無駄に漏れてしまうということだ」
「…………はい」
「エンジンの中は見えないから、この問題を俺たちに理解しやすいように簡略化したのがこの図だ。エンジンが透明な魔力に螺旋回転を与える過程を山を転がる丸い岩と考えることにした」
二つの模式図を並べた紙を出し、一つ目を指した。ワインの瓶底のような山だ。以前クリスティーヌ相手に描いたのと同じだが、そこに赤、青、緑のラインが引かれている。隣はそれを上から見たもの。
「前から見たエンジンに似てますね」
「ああ、前後の形は逆だけどそう考えてほしい。山の上にある力を蓄えた透明な魔力がこの山をらせん状に転がり落ちながら、三色の魔力触媒によって回転を誘発されるイメージだ。上から見るとこんな感じだな」
そういいながら二枚目の紙を出す。いわば山の周囲だけを帯の様に伸ばした図だ。
「更に簡略化するとこうだ。透明な魔力の球が、三色の模様という助走を経て飛び出す感じをイメージしてほしい。そして、グランドギルドの三色の配置のバランスは完璧だ。俺たちがどれだけ工夫しても、効率が落ちるだけ。例えばこの前やったみたいに模様一つ一つを大きくしたら、こうなってしまう」
俺は三色のラインが広くなった山から、透明な球が放りだされる図を指さす。
「これを防いでじっくりと回転を高めようと思ったら助走距離それ自体を長くする、つまりエンジンの長さを伸ばすしかない。これが今までの行き詰まりだ」
俺の説明をシフィーは小さくうなずきながら聞いている。実際に魔力の流れについて感覚でわかっているのは彼女だ。その彼女が異を唱えないということは、この簡略化はいい線を行っているということ。
「だけど、この限界はあくまで三色を使うという条件の場合だ。俺達には秘密兵器がある」
俺はリューゼリオンを立つ前にカインから受け取った黒い液体の瓶を取り出した。
「これを使って後三色、橙、紫、黄の三色を使って螺旋回転を強める。これで俺たちがぶつかっている限界を超えられる可能性があると思うんだ。何しろエンジンの中にあるのは透明な魔力だ。どんな回転でも受け入れる。しかも、この方法は単純だ。エンジンの模様は三色とも同じ半月型で、しかも同じパターンで百二十度ごとに配置されている。ならその間に同じパターンで黒の三色を配置してやればいい」
「あの、黒側の三色は回転の方向が反対だから」
「ああそうだった。普通に並べたら回転は止まってしまうな。つまり、白側と黒側で半月の方向だけを反対にする必要があるな……」
俺は紙に赤と橙の二色の半月型の模様を反対方向に並べた図を書き加えた。
山の大きさ、つまりエンジンの大きさは同じだが、実質的な助走距離は倍になっているようなものだ。
「心配があるとしたらエンジンが透明な魔力の潜在的なパワーをすでに引き出している場合だけど、それならこれまで模様を大きくしたりした時に問題が出ていると思う」
俺は説明を終えてシフィーの反応をうかがう。シフィーはじっと俺の描いた新しいエンジンの概念図を見ているが、コクコクと頷いてから、顔を上げた。
「すごいです。先生。これならきっとうまくいきます」
どうやら先生としての面目を保てたようだ。俺は二重の意味でほっとした。
「でも……」
「うん、何か問題があるか?」
「い、いえ。ええっと、これから私は何をすればいいでしょう」
「ああ、まずはこの概念図の検証だ。三色の模様はエンジンのままにしておいて、そこにシフィーの三本の練習用狩猟器を黒側の三色に塗ることで回転を高められるかの確認からだな。そのためには、白側の三色の魔力触媒の魔導金属を一度抜いて、黒い魔導金属に置き換える必要がある」
「白い魔導金属を抜くのは曇らせるだけですから簡単ですけど、黒に置き換えるのは大変ですよね」
「上手く黒い魔導金属を取り込んでくれるのは一部だからな。量を確保するとなると大仕事になる」
それこそワインの醸造みたいな規模が必要になるかもしれない。だけど、これに関してはうってつけの実験道具、いや施設がある。
「置き換えの効率は透明な魔力を使えば上がる。そして、ここには透明な魔力がそのまま湧いている場所がある」
「あっ、わかりました。エンジンの充填台ですね。あそこの魔力は完全に透明なままです。効果はあると思います」
「よし。じゃあまずは試験管三本分の触媒で試してみよう」
◇ ◇
ブースの中ではうっすらと白い光を放つエンジンがあった。
「魔力の螺旋回転の強さで言えば普通のエンジンの八割増しを実現しました」
「すばらしいですね。しかし見た目には……」
そういいながらエンジンの出力側を覗き込もうとしたクリスティーヌは、ぶるっと身を震わせて俺の方に身を寄せた。
「ええ、六色を使ったことでどうも白から透明に近づいているようです。でも、実際の螺旋回転はこのように」
俺は手に持った測定儀を見せる。さらに、エンジンの周囲に測定儀を向けて見せた。猛烈な勢いで回転していた球は、すぐに緩やかなものになった。
「そのおかげもあってか、周囲に無駄な魔力の漏れは生じていません。これに関してはむしろ通常のエンジンよりも小さいくらいです。結果、回転数が増したにもかかわらず、同じだけの時間エンジンの出力が保たれます」
俺が合図を送ると、シフィーがエンジンを止める。クリスティーヌは六色の魔力触媒が描かれた模様を見る。
「信じておりましたが、こうも見事にグランドギルドを超えて見せられると驚くしかありません……」
「グランドギルドを超えたかどうかはともかく、殿下と議論していた時に出てきた山の上の岩の概念や、ワインの瓶底の形がヒントになりました」
「少しでもお役に立てたのなら。ふふっ、大会で兄上の驚く顔が目に浮かびます」
そういっていたずらっぽく笑うクリスティーヌだが、すぐに真面目な表情になる。
「この技術があればラウリスとリューゼリオンの同盟についての交渉の幅は大きく広がります。レキウス殿の分析されたエンジンの劣化のこともありますから、誰もリューゼリオンを軽視できなくなるでしょう。もちろん、上手く持って行く必要がありますが」
「そちらについては殿下を頼りにしております」
俺も錬金術士から文官にもどった。今回の大会参加においてエンジンの改良はあくまで手段、本題はこの成果をいかに外交に活用するかだ。ただし……。
「エンジン自体の改良はこれでめどがついたと考えております。ですが、これはあくまで陸の上での数値です」
「確かに、実際に水の上でどれほどのスピードが出るかを試す必要がありますね」
「今後の交渉のことも考えて、現時点ではなるべく人目に付かないように試した方がよいかと」
「……ええ、その方向で手配してみます」
俺達はまるで悪だくみをするようにうなずき合った。
さて、次はいよいよ水上試験だ。
……実はこのエンジンの改良、もっと広い意味を持つ可能性がある。だけど、それはあくまでこの“単純な”遺産の強化を完成させてからの話だ。