#閑話2 助手の悩み
私の目の前には青い水の流れがあった。学院の訓練池に湖から水を引く水路の側を私は歩いていた。湖の方を見ると大きな水面の向こうに太陽が見える。日が落ちるまではまだ時間がある。ホントなら整備ブースで先生のお手伝いをしているはずだった。
でも、先生は上にもどってしまっている……。私がお手伝いできないことを、お手伝いできる人とするために……。
ラウリスのお姫様はいい人だと思う、でも、私のいないところで先生に危ないことがあったらどうしようって心配になる。私は先生の騎士なんだから、一緒に連れて行ってくれてもいいのに。
でも、大昔の書物を調べるのなんて、私は足手まとい……。
先生はあの人を頼りにしてる……。
「先生は私の先生なのに……」
足元の小石につま先を当てた。水路に転がり落ちた石が水面に波紋を作った。
水の流れを見ると昔のことを思い出す。リューゼリオンの水路の外側から内側へ、私の生活が全部変わってしまった。騎士の街に上がったばかりの頃、不安でいっぱいだった私に分からないことを丁寧に教えてくれた。学院に入っても全然魔力が使えなくて、嫌がらせをされてもわからなかった私を助けてくれた。そして、危険な森の中まで私を助けに来てくれた。
私が全然なにも出来なくても頑張ってることを見てくれて、いつも正しい道を教えてくれる。
だから私は先生にご恩返ししたいのに……。
でも、私は先生が指示してくれないと何もできない。今先生と一緒のあの人は、もしかしたらそれだけじゃないの……。あの人といる時の先生は私といる時よりも楽しそう……。
もし、先生がラウリスに残るって言い出したら……。
気が付くと、水門の側まで来ていた。太陽はいつの間にか傾いている。私が引き返そうとした時……。
「確かリューゼリオンの人だよね」
突然の言葉に振り返ると、湖の方から水門に向かってボートが近づいてきた。乗っているのは以前ブースの前であった緑の髪の女の子、確かトランの選手の人だ。
思いがけない再会に私は固まってしまう。どうしていいのかわからず、目が先生を探す。
「いままで太湖での練習だったの。ほら、本番はこっちでやるでしょ。池とは水の深さが違うから慣れておかないとね」
「そうなんですね」
私のとまどいを察したように教えてくれる彼女に、芸のない答えを返す。
でも、今のお話は先生に言った方がいいかもしれない。でも、先生ならとっくに知ってることかな。それでも、きっと褒めてくれる……。
「ちょっとお話ししない? わたしリューゼリオンのこと興味あるの」
「はい。お願いします」
……
「なるほど。あなたはリューゼリオンの王女様の騎士団の人なんだね」
「はい。まだ見習いですけど」
「でも、王女様は選手を任されるくらいだからかなり腕あるんでしょ。将来有望じゃない」
「リーディア様は騎士として大変優れておられます。でも、その、そうじゃなくて、私がそういう役割を任されるのは先生のおかげで……」
「先生?」
「あの、私と一緒にいた……」
「ああ、あの時の男の人か。文官を先生なんて変わってるのね。ラウリスも文官の立場はトランよりも高いけど、リューゼリオンもそうなの? そういえばベルナール……ラウリスの代表ね、が言ってたけどクリスティーヌ殿下とやけに親しいって噂が……」
「っ!……」
「おっとっと、詮索するつもりはないんだよ。ただ、トランとしてはリューゼリオンには頑張ってほしいからいろいろ気になっちゃって。まあ、私も頑張らないといけないんだけどね。表彰台とは言わないけど、せめて予選は突破しないと都市に申し訳が立たないし」
そういう彼女の表情が引き締まった。こういう顔を見ると、この子はやっぱり騎士様なんだなと思う。生まれた時から向こうにいる人の感覚、私にはどうしても実感が持てないもの。リーディア様やあのお姫様も、そして二人と話している時の先生にも時々だけど感じる。
「先生がいるから大丈夫です」
先生ならきっとエンジンをすごく速く、この人たちじゃ絶対に追いつけないようにしてしまうに決まっている。先生ができると言ったら出来てしまうんだから。
「ふうん。信頼してるんだね」
頬杖を突いたエベリナの頬が少し緩んだ。
「もしかして、その先生のこと好きとか?」
「えっ!?」
一瞬何を言われたのかわからなかった。好きかどうかと聞かれたら好きに決まってる。でも、彼女の言いたい好きと私のこの感情が同じものだろうか……。
「ああ、詮索しないって言ったのに。そうだ、お詫びの印に一度ボートに載せてあげようか。選手は王女様だとしても、あなたもこうやって先遣されてるんだから、そういう経験はあった方がいいでしょ。さっき言ったように、トランとしてはリューゼリオンには頑張ってほしいしね」
エベリナはボートを指した。確かにそうだ、これなら私にしかできないことで、先生の役に立てる。
「お願いします」
…………
風が強く頬を押す。
遠くから見ていたのとは比べ物にならないスピード、ラウリスに来るまで乗ってきた大きな魔導艇とは全然違う。
「あのブイのところで曲がるから、腕に力を込めてね」
前の彼女の声に頷く。カーブを曲がる時のエンジンの魔力、それに合わせて体重を移動するタイミングを計る。
彼女の体の中の魔力が操縦桿を通じて下の白い魔力に伝わる。ブイまでまだ距離があると思っていたのに、私が思ったよりもずっと早くエンジンの魔力が下がり始める。
「そうそう、やっぱりセンスあるじゃない」
そう褒めてくれるけど、これくらいは先生のお手伝いでエンジンから魔力を引き出したりしていたからわかる。エンジンの中で回転を操作してから、それがエンジンの外に出るまでの時間の遅れがあって、この人はそれを計算に入れている。
最初はちょっと戸惑ったけどすぐに感覚はつかめた。やっぱり、先生の実験は正しかったんだ。でも……。
「次のカーブが最後ね」
彼女は学院のブースに向かうコースをとる。私が慣れたのが分かってるからか、さっきまでよりもまっすぐのスピードが速い。
私は少しだけ不安になった。このスピードでこんなに早くからエンジンを抑えるのなら……。もっと、ずっと速いエンジンだったら……。