#11話 提督の悩み
連れてこられたのは力強さと優美さを兼ね備えた部屋だった。
正面奥の壁には木を彫って作った巨大な太湖の地図が掛かっており、左右には海竜の角が飾られている。右には十人以上が会議できそうな広い会議机があり、左は四隅に彫刻が刻まれた執務机が置かれている。
一度見たクリスティーヌの文官棟執務室も立派と思ったが、ここは格が違う。
リューゼリオンなら玉座になりそうな執務机の前で、俺は直立不動で立っていた。おそらく昼間は多くの騎士や文官が並び、上司の指示を待つ場所だ。
そしてこの夜半、俺の前で腕組みして座っているのはさっきまで一緒に“仕事”をしていた女性の兄である。
「それではあくまで仕事の為にあの場所にいたというのだな」
「その通りでございます」
険のある口調を考えると、城の地下牢に直行しなかっただけでも幸運なのかもしれない。
「私も入れてもらえないクリスティーヌの秘密の部屋で、二人だけでか?」
「……その通りでございます」
「仕事ならクリスティーヌの執務室でもいいはずだ」
その追及はもっともだが、俺たちの仕事の為にはあの部屋がベストだったのは確かだ。
「クリスティーヌ殿下の集めておられる古の資料が必要でございましたので」
「そのようなものが必要な“仕事”など見当もつかんな。まさかこの状況で麦でもあるまい」
その指摘は正しいのだが……。というか、あなたが入れてもらえないのってその麦のことで何か妹様の機嫌を損ねたんじゃないのか?
「正直に言えば口外はせぬぞ」
まあ、口外はしないだろう。妹様の名誉にかかわる何かを考えているのなら。で、俺やリューゼリオンはどうなるのか? 口外したくても出来ないようになるんじゃないのか。物理的に。
どうやって切り抜ける。クリスティーヌに直接聞いてもらうかなど、情けないことを考えてた時、手に掴んだままの大会記録を思い出した。考えてみれば提督殿下に聞いてみたいことがあるんだったな。
……よし、これで行こう。
「わかりました。我々の仕事の内容を口外しないというお約束、信じてよろしいですね」
「無論だ」
「では、我々が行っていた仕事についてお話します。それは、エンジンの航続距離が年々落ちているのではないのかというラウリス連盟の将来を左右する問題についてです」
「何を言っている」
「おかしなことはございますまい。リューゼリオンは西の大勢力、グンバルドに対抗するため、ラウリス連盟の力が必要だと考えています。ですが、肝心のその力、魔導艇艦隊の力がグンバルドまで届かない。いえ、今後は太湖すらカバーできなくなるのでは……」
「……言っていることの意味が分からんな」
「では、この記録はどういうことでしょうか」
俺はここ十年以上の大会の記録を提督の机に広げた。年によって前後はあるが全体の流れとしては明らかにゴールまでの時間が年々伸びてる。つまり、ゴールまで時間がかかっているのだ。しかも、近年その傾向がますますはっきりしている。
透明な魔力の効率について考え続けていた俺にとって、これの意味することは一つだった。
「殿下は以前、レースのタイムはあくまで騎士の技量によるとおっしゃいました。また、エンジンに使われる魔力触媒や魔力結晶は常に最高のものが用いられると」
俺はエンジンの性能を支える要素について並べていく。
「では、年々記録が落ちているのは、騎士見習が年々実力を落としているからでしょうか。それも、連盟の全都市で一貫して?」
俺は提督を見た。そこには先ほどまでの兄の顔ではなく、大勢力の指揮官が座っていた。彼は無言で先を促す。
半分推測だったのだけど、これは当たりを引いてしまったな。この状況で引くべき当たりだったか、極めて疑問だがしかたない。リューゼリオンにとっても重要な問題だ。
「私は選手に選ばれるような学生の技量が落ちるとは考えません。魔力触媒や結晶は毎年新しいものが用意できます。地脈の魔力に問題があれば、魔導艇どころか結界にも影響があるでしょう。つまり、劣化する要素はエンジンそのものしかありません」
そしてエンジンの劣化だとしたら、その影響は練習用だけではないだろう。それに、目の前の彼も言っていたじゃないか。どこかの有力都市がカバーする領域を減らしていると。
あの時は聞き流したが、エンジンの魔力効率のことを考え続けた今の俺は違う認識だ。
「現代の我々はグランドギルド時代に作られた遺産に依存しています。エンジンは失われたら二度と作れず。また、劣化しても修理は出来ません。この問題は深刻かつ構造的であるということで、私とクリスティーヌ殿下の見解は一致しました」
これは半分本当なので強く主張する。彼女だって身をもって体験したし、後で確認されても大丈夫だろう。
「そして、その解決の為にはエンジンが作られた時代、グランドギルド時代の知識を調べる必要があるのです」
我ながら完璧な釈明だ。ラウリスの連盟の全体を左右する問題を、遠方の一都市の文官如きが抉って見せたこと以外はだが。
「日々猟地での活動に力を注ぐ騎士とは違う形とはいえ、クリスティーヌ殿下はラウリスの将来を心配しておられます。私を信じろとは言いませんが、クリスティーヌ殿下のお仕事に関しての責任感は信じておられるのでは」
彼女は彼女なりの方法でこれまでラウリスの為に貢献してきたはずだ。仮に、特定のことが絡むと行動がぶっ飛んでしまうとしても。パンとか。
「ほう。ずいぶんと知ったような口を叩くではないか。妹が今回のことの為にどれだけの……。仮にクリスティーヌとお前の分析が正しいとして、問題を解決できるというのか」
「そのような大それたことは申せません。そうでございますな。クリスティーヌ殿下がリューゼリオンをラウリスに有益と考えた理由、その一端なりともご理解いただけるよう、大会では努力いたします」
「グンバルドに押されてラウリスに助けを求めに来た立場で大きく出たな。まさか予選を突破して見せるなどというまい」
「……」
俺は沈黙を守る。できれば表彰台に乗りたいと考えてるけど、突破口が見つからない状況だ。
「お前本当に文官か?」
「実は文官落ちでございます」
「ほう、それで妹のことも理解できるというのか?」
「滅相もございません。私とクリスティーヌ殿下に共通点があるとしたら、大昔の記録に関心がある程度でございましょう」
「……」
提督の顔と兄の顔が行き来する目の前の男性の答えを待つ。
「言い逃れにしてはばかばかしすぎる話で呆れてしまった。ただし、連盟艦隊の実力に疑義を挟んだことは提督として看過できん。大会で相当する結果が見られなかったときは、覚悟するがいい」
そういうと手で扉を指す。俺は一礼してドアに向かう。とんでもない言質を取られたが、何とか解放されたか。
「…………それと、もし万が一問題を解決して見せたら。その時はクリスティーヌのこと考えてやろう……」
ドアを閉める瞬間言葉が聞こえた。呟くように小さな言葉と具体性のない内容に頭を傾げる。まあ、彼女の方針なりなんなりを認めるということなら、悪い意味ではないだろう。
レキウス「何とか切り抜けた」