#10話:後編 姫君の秘密図書館
翌日のブース内、俺は記録をとる手を止めた。
「今日はここまでにしよう」
「え、あの、まだ時間が」
シフィーは窓の外を見る。日の高さは夕暮れまではまだ時間があることを示している。俺は首を振った。
「今実験が進んでないのは俺の実験計画がちゃんとしていないからだ。そこを何とかしないといけないと思うんだ。それでだ、そのためになんだが、上でちょっと約束があってな」
「約束、ですか?」
「実は、クリスティーヌ殿下の集めている資料を見せてもらっているんだ。エンジンの改良の参考にするためにね」
「そうなんですか。だったら私も一緒に……」
そういって立ち上がったシフィーの足元が揺れた。
「いや、シフィーは魔力を使って疲れているんだから、資料探しの方は俺に任せてくれ」
測定は細かく神経を使う魔力の制御が必要で、彼女は本当に一生懸命やってくれている。
「でも……」
「資料探しは魔力無しで進めることができる作業だから。シフィーはちゃんとした計画が出来た時の為に力を蓄えておいてほしい」
「…………わかりました」
シフィーはまだ何か言いたそうだったが、何とか納得してくれたようだ。俺は片付けを早々に終わらせると上に急いだ。
◇ ◇
いつもの様にまずは互いの進捗報告だ。
「グンバルドがダルムオンを占拠することの危険を連盟各都市に説明しているのですが、太湖西岸の都市に比べて、東岸は危機感を実感できないようです。位置としては中間のラウリスにも差し迫った問題としてとらえていない者も少なからず……」
「……半月型の三色共通の模様ですが、やはり模様の影響域を中心部の透明な魔力が通過するときに、回転が与えられるようです。模様の大きさと数いわば進行方向の長さで与える回転の強さと、透明な魔力の放出量が決まっています。模様の形を変えることは可能ですが、やはり極端に出力が落ちます……」
複雑な加盟都市の状況を把握しながら、一歩一歩手を打っているクリスティーヌ。それに比べてこちらは成果がないとは言わないが具体的な進展に繋がらない。分析をどれだけ進めても、性能に結びつかないのだ。
そもそも錬金術は分析に強いということもある。
「そういえば、透明な魔力について一つ疑問なのですが。地脈の透明な魔力がそれほどの力を秘めているのなら、どうして騎士には感じ取れないのでしょうか」
姫君の質問は鋭い。小さいとはいえ魔力を扱えるのだからそういう疑問を持つだろう。何しろ俺にとっては、透明な魔力も三色の魔力も感じ取れないという点で一緒なのだ。
ただ、このことに関しては俺も考えがある。
「これは仮説と言うよりもまだ想像の域なのですが、地脈の透明な魔力は回転していないと考えています」
「騎士が感じるのが魔力の回転だとしたら、存在していても回転していないとわからないということですか」
「ええ、文字通り透明なわけです」
「しかし、エンジンのことを見ても魔力の回転こそが力の源なのですよね」
小さく首をかしげる姫君。彼女の聡明さに、俺の脳も活性化していくようだ。
「ごもっともの疑問です。実は旧時代の知識に『山の上の岩』という考え方があります。こういう考え方なのですが……」
俺は以前書いた最小律、三色の桶の横に、一つの図を描く。台形の山の上に丸い岩が乗っている図だ。山の下には建物を描く。
「この岩は一見動いていません。つまり、この状態では何の力も持っていないように見えるということです。ですが、私がわずかな力で岩を押したらどうなるでしょう」
「山を転がり落ちてふもとの家を潰してしまいます」
「そうです。私が岩に加えた力は僅かですから、家を破壊するほどの大きな力はもともとこの岩が持っていたと考えられます。つまり、大きな力を内に秘めているのに、見た目は静かという状態ですね。これを魔力に適応すると、地脈の透明な魔力は大きな力を蓄えていながら回転していないから、その力が表に現れていないと考えられます」
「とても分かりやすいです。これも旧時代の知識なのですね。このような深淵な考察がなされていたこと一つとっても、やはり旧時代はただ遅れていたという考えは誤りであることが分かりますね」
「まったく同意見です。そういえば、旧時代といえばパンのことも……」
彼女の最大の関心について思い出した。脱線と知りながら俺が聞こうとした時、ドアを叩く音がした。催促するように固い音が三度。どうやら二度目のベルの音をも聞き逃したらしい。
「残念ですがここまでですね。そうだ、忘れていました。大会の記録をやっと用意できました」
クリスティーヌが渡してくれたのは、大会の記録をまとめた紙だった。
「ありがとうございます」
俺達が部屋を出ると、ドアの前で待っていた侍女が引っ張らんばかりに主を連れていく。
自分の部屋に向かうため廊下を反対側へと歩く。歩きながら手に持っていた大会の記録に目を落とす。二十年以上の記録だ。年代順に優勝タイムを調べていく。年度ごとに数値のブレはあるが、毎年のタイムはそんなに変わらないか……。そう思いながら、だんだん新しい年に目を移していく。
「んっ?」
並ぶ数字の列に違和感を覚えた。古い年代にもどる。数字のブレの中に確かな傾向が見えてきた……。
確認のために、窓からの月明かりに紙を照らした時
「……いま、どこから出てきた」
突然の声がした。紙に落としていた目を上げる。そこには、さっきまで一緒に仕事をしていた女性の兄が立っていた。彼はとても難しい顔で俺を見ている。
2020年6月14日:
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次の木曜日は投稿を休ませていただきますので、
11話『提督の憂鬱』は来週日曜日に投稿となります。
よろしくお願いします。