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#1話 理不尽な命令

「私の結婚相手を探しなさい」


 執務机に座る赤毛の少女が告げた。突然の呼び出しにギルドから学院に駆け付けた俺は思わず額に手をやった。そのまま頭を振らなかったのは上司への礼儀である。

 まだ学生の身とは言え彼女は将来の騎士であり、俺はそれになれなかった文官であり、彼女の右筆役に任じられているのだから。


 窓の外に視線だけを逃がした。この都市くにを魔獣から守る半透明の結界の向こうで、空は夕焼けに染まっている。仕事終わりの鐘まであとわずかの刻限だ。



 唐突な命令の真意を探ろうと、改めて四歳年下の少女を見る。注がれるワインのように穏やかな螺旋を描く赤い髪。強い意志を込めたアメジストの両眼。まっすぐな鼻梁から薄い唇、そして細い顎に続く綺麗な小顔。


 騎士(ギルダー)学院の制服である白いワンピースが覆う肢体は年齢相応に女性らしい曲線を示し始めている。一方、蜘蛛絹の生地に負けない肌の白さときめ細かさは幼子のよう。


 あどけなさと艶やかさのバランスがあと一歩で崩れそうな十六歳の娘が目の前にいる。なるほど将来の結婚相手が決まってもいい年ごろだ。幼いころから知っているから油断してたが、いつの間にこんなに綺麗になったのだろう。


「私の指示が聞こえなかったのかしら。レキウス」


 二十歳にもなって結婚の予定がない部下の沈黙に、リーディアは夕焼けと同化しそうな髪を手で掃いながら言った。きれいな足を組んで座る毅然とした姿勢は、命令者としての己に微塵の疑いも抱いていないようだ。


 前回、といっても二か月は前だが、呼び出されたときより態度がきついな。


「いえ、そうじゃなくてですね。結婚相手というのは物の言いようで、例えば片思いの相手の素行調査をしろとかでしょうか?」


 確かに文官は彼女ら騎士(ギルダー)階級の補佐が仕事。中でも右筆は文章の作成、実際には往々にして肩代わり、が役目だ。


 だからといって恋文の代筆は業務には入らないはずだ。大体、俺が知る彼女の性格上そういうことを他人にゆだねるとは思えない。


 それこそ呼びつけた挙句壁際に追い詰めて交際を迫りそうなイメージだ。それはそれで心配だが。


 失礼なことを考えていると、カチャという金属の音がした。


 リーディアの傍らに立つ黒髪の少女が無言で歩を進めた。腰の鞘から青白い光が漏れる。その黒い瞳に強い苛立ちが見える。


 彼女はサリア。実は数か月だけだが、俺の妹だった。今は役立たずの元兄に代わって騎士(ギルダー)家の跡継ぎで王女のご学友である。この三年で剣の握り方も忘れた俺とは大違いだ。


「いいわ。何か言いたいことがあるのなら聞くから」


 リーディアが元妹を手で制した。


「失礼しました。あまりに私の分を超えた役目に思えたので。そうですね……」


 慎重に彼女の胸元を確認する。騎士(ギルダー)証であるメダルは金で縁取られている。学生の身でありながら準騎士(ギルダー)として狩猟を始めているエリートの証だ。


 その上、中央に彫り込まれた竜の意匠はこの都市くにの紋章そのまま。つまり彼女この都市くにの王女である。それも一人娘だ。


 放課後の戯れの様に口に出された彼女の結婚は第一級の国事になる。


 最高機関である騎士院に諮られる案件である。彼女自身にすら自分の結婚相手を決める権限はないはずだ。文官が関与することなどあり得ない。


 つまり、論理的に考えて成り立ちえない命令なのだ。もちろん理不尽でも命令は命令、彼女らの使用人である文官は対処する姿勢を示さなければならない。


 上位者の機嫌が悪いときは余計にだ。そこら辺の機微はこの二、三年の城仕えで多少は学んだ。


「もう少し詳細をうかがってもよろしいですか?」

「私にふさわしい相手を探す、それだけよ。どこに難しいところがあるのかしら」


 リーディアが一瞬目をそらした。口調がさっきまでより早くなった。彼女がごまかすときの癖だったな。昔ならともかく、今の関係になった後では珍しい。


「私が選んだ相手をマスターが聞き入れるとは思えないのですが」

「それに関しては問題ないわ。学院ここに呼んだのは、あくまで私がレキウスに内々に命じることだから。そうね、予備的な調査だといえば納得するかしら。あなたも常々言っていたでしょ。客観的な視点と事前の情報収集が重要だって」

「それをいつも無視してたのは……。失礼しました。なるほど、あくまで姫の将来計画の為の情報収集の一環と考えればよいわけですね」

「そういうこと。……レキウスは一応私については詳しいし、適任でしょ」


 何とか仕事に近づいてきた。騎士(ギルダー)が狩猟に集中できるように補佐をするのが文官の役目、当然付随する情報収集も含む。


 「魔獣じゃなくて男狩りの手伝いはちょっと……」とは口にできない。


「もう少し条件を提示していただかないと、十分な調査をお約束し難いのですが」


 彼女が王女であるということは逆に選択肢が極度に制限されるということだ。この都市の現状を鑑みるに、候補なんて二大派閥の御曹司の二人に絞られる。


 それは彼女だって百も承知のはずだから、これは妥当な質問である。なんで瞳を不快げに細めるのか?


「……身分……家の力より能力と人格を重視して。ただし現在のこの都市くにの状況に関しては最大限考慮する必要があるわ。年齢は二十……そうね、二十五歳までの範囲で」


 ちょっと具体的になった。十歳程度の年齢差は妥当だが、実家の力を軽視と状況を考慮は完全に矛盾するんだけど。


「……」

「とにかく、条件は言ったわ。後はレキウスが考えなさい。そうじゃなければあなたに命じる意味がないでしょ。私はあなたの……客観的な考えが聞きたいの」


 話は終わったとばかりにリーディアは言った。あくまで他者の視点で洗い出せということらしい。さっきも思ったが彼女らしいアプローチとはいいがたい。


 まだ、幾つも疑問や矛盾はある。情報も不足だ。


 ただ、事前の準備が重要なのは間違いない。それがあるかないかで実際に問題が生じた時、可能な行動の範囲は全く変わる。彼女の立場上、その将来は国家事情に否応なく左右される。少しでも自分の意思を働かせる余地を残したいというのは理解できる。


 じゃじゃ馬……もとい意志の強いリーディアらしいともいえるだろう。


 むしろ、妹のような少女が結婚についてそこまで考えていることについて、いたたまれない気持ちになってきた。都市の安全も繁栄も彼女たち騎士(ギルダー)に依存する身としては罪悪感を刺激される。


 実際に彼女に政略結婚が降りかかったら、おそらくそんなに遠いことではないだろうが、それが彼女にとってどれだけ不本意であろうと、俺には何もできない。


 名門騎士の家に生まれながら文官落ちした身だが、その分情報収集と分析には多少は自信があるつもりだ。そこに最善を尽くすぐらいは年上としてのせめてもの務めだろう。


「了解いたしました。では最後に一つだけ。今の条件の範囲で選出します。ただ正直私の選択を気に入っていただけない可能性は高いのですが、それでもいいでしょうか?」


 念を押す俺にリーディアは立ち上がった。先ほどそらした瞳がまっすぐ俺を見る。


「約束するわ。レキウスが真に私にふさわしいと思って選んだなら、それがたとえどこの誰であっても、私は結婚相手として真剣に考える」


 俺の目をしっかりと見たまま宣言した。上司として満点の態度だ。アメジストの瞳に宿る光に思わず吸い込まれそうになったくらいだ。俺は一礼する。


「ご命令承りました」


 リーディアは小さくうなずき返すと、机の上に置いてあった紙を俺の前に出した。


「調査のために必要でしょう。これを持っていきなさい」


 赤い蛍光色を発する魔力触媒をインク代わりにした、リーディアの署名だけがある紙だ。騎士が文官に命じたことを示す指令書。規定上、白紙委任はまずいんだけど……。


 いや、よく見ると紙の中央に王家の紋章の透かしがある特別製じゃないか。


「私もこれから忙しいからいちいち確認してられないの。これに関しては私が責任を持つから自由に使いなさい。そうだ、期間は半月よ。それだけは待つわ」


 存分な猶予を与えるような言い方だが、かなり無理のあるスケジュールだ。学生である彼女の右筆役はあくまで副務だ。閑職とはいえ書庫整理という本務もある。


 俺は再び窓の外を見た。黄昏の初秋の空に三角星が並ぶ。今日は赤竜星ベルギウスが天頂を指すまでに帰れそうにない。


 これは今日やる予定の錬金術の研究(ふくぎょう)はお預けだな。

2019年8月25日:

第一話、読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 「リーディアの傍らに立つ黒髪の少女が無言で歩を進めた。腰の鞘から青白い光が漏れる。その黒い瞳に強い苛立ちが見える」 元妹は、とても短慮な性格であることを示しているのかな。
[一言] もうわかっていると思うけど 祐筆ですね、 右筆って書いたのには訳があるんでしょうか?
[良い点] これから読み進めていきます。 ……ははーんお嬢様、これ自分ですって言ってほしいパターンだな? [気になる点] 違ってたら笑ってください。
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