ある転生王女の◯年間
単体で読めなくもないですが、「推定乙女ゲーム世界」シリーズ作に目を通しておくことをおすすめいたします。
いよいよ来た。
小国の王女として生を受けて十四年。いわゆる前世の記憶が蘇って半月余り。
わたしは今、これまでにない緊張を強いられている。
前世の記憶に基づく期待感と、人前で馬鹿笑いしてはいけないという王女としての使命感で。
隣に立つ父王が大丈夫だと穏やかな笑みを浮かべ、わたしはそれに応じる形で小さく頷いた。
父が考えているだろう、可愛らしい理由で緊張しているわけではないのだが。
今は閉ざされている大広間に続く扉が開けば、わたしはある乙女ゲームのクライマックスシーンを目にすることになるはずなのだ。
果たして主人公が迎えたのは恋愛エンディングか、それともノーマルエンディングか。
扉がゆっくりと開き始め、わたしは腹筋に力を込めると王女らしく、すっと背筋を正した。
※ ※ ※
前世の記憶が蘇り、この現世が前世でプレイした乙女ゲームの世界に酷似しているようだと認識したのは、およそ半月前のことだった。
父に同行して訪問する予定の隣国について話を聞かされたことがきっかけとなり、わたしの前世の記憶らしきものが一部蘇った。
聖乙女候補というものが主人公として登場する乙女ゲームの内容と、ゲームというものの概念やそれに付随するいくらかの記憶。
気分が悪くなったとそのまま自室に引きこもり、人払いをして件のゲームについて改めて記憶を引き出してみた。
それらの知識に基づいて判断すれば、どうやらわたしは乙女ゲーム世界に、あるいはそれに酷似した世界に転生を果たしたようだ。
そして、近々訪問予定の隣国の王子は攻略対象……通称・俺様王子様……つい爆笑してしまった。
二次元にしか存在しないものであったゲームの中の攻略対象なんてものが実在するかと思うと、どうしようもなく笑えてしまったのだ。
ともあれ、十数年の間に身にしみついた王女としての矜持が、クッションにつっぷしてから笑い始めるという行動をとっさに取らせてくれたおかげで、「王女ご乱心!」の噂は立たずに済んだ。
笑いの発作がおさまってから、わたしは改めて検証を開始した。
隣国の王子はわたしより四歳年上の十八歳と先刻聞いた。父がやたらと褒めていた気がするが、ゲームの記憶が蘇ったせいでほとんど聞いていなかった。
設定では、見るからにきらきらしい金髪で、文武両道に秀でた優秀な世継ぎだったはずである。
能力もないくせに俺様だったらただの馬鹿、乙女心をそそる攻略対象になり得ないから当たり前だろう。
いや、でも、馬鹿な子ほどかわいいという言葉も前世にはあったようだから、そうとも限らないのだろうか?
ともあれ攻略対象は俺様王子様のほかには、騎士のくせに優男な聖騎士とたらしな文官、美女と見まごうばかりの麗しい神官、そしてツンデレな隠しキャラ――王の隠し子だったろうか?ともかく王族――がいた。
年齢は王子が主人公と同年、騎士と隠しキャラが少し年上、文官と神官が一回りほど年上だったはずだ。年下はいなかった。
この年齢が、ポイントである。
ゲームは主人公が十五歳になって初めて迎える新年からの三年間をプレイする。巫女のような存在である聖乙女になるための教育をうけ、せっせとステータスを上げながらフラグを回収していくのである。
王子は十八歳。つまり、次の春の大祭でエンディングを迎える。
そして、わたしはそのエンディングの場に、父王と共に招かれたというわけだ。
なんという僥倖!
途中経過を見ることができなかったのは残念だが、美味しいとこどりと思えばいいだろう。
どのようなエンディングを迎えようと、隠しキャラをのぞく攻略対象は大祭の会場に揃っているはずである――そんなスチルだった。
つまり、攻略対象も主人公もライバル役も生身で目の前に出てきてくれるのである! これを見なくてどうする!
わたしはすっかり舞い上がった。
隣国の情報を集め、ゲームに登場した場所をチェックし、訪問――聖地巡礼とでもいうべきか?――する手はずを整えた。
わたしのこうした動きは外交に前向きな姿勢と捉えられたようで、廷臣たちの協力も得られた。少々心苦しいが、特に問題ないだろう。
こうしてわたしは意気揚々と父王とともに隣国へ足を踏み入れたのである。
※ ※ ※
これじゃない。
謁見の間で、隣国の国王一家にあいさつしながら、わたしは気落ちしていた。
国王一家は王妃も王女も金髪なのに、王子は国王と同じ赤褐色の髪だった。
そして美形ではあるのだが、華やかなきらきらした光でなく研ぎ澄まされた刀身のごとき輝きをまとっている。
これじゃない。
脳内でその言葉が繰り返し浮かんでは消えてゆく。
聞けば、王族は複数の名前を持ち、対外的に名乗る一番目の名前は代々国王の長男につけられる名前だとかで、王子は曽祖父と名前が同じらしい。
ちなみに現国王は長男が夭折したために王位に就くことになったとのことで、違う名前だ。男系長子相続制ではあるものの、夭折する子も少なくはないため、同じ名前の王が続くことはそれほどないそうだ。
脱力感に襲われつつも、そこは小国でも一国の王女。表面上はにこやかにあいさつを乗り切った。
それから一縷の望みを込めて大祭に臨み、聖乙女の登場を待ったが、やはり違った。主人公が聖乙女にならない場合は、必ず聖乙女となるライバル役の令嬢らしき姿でもない。それらしい特徴を備えた人物は見当たらなかった。
がっかりすぎる。
ひょっとして生まれる時代が遅すぎたのだろうか。先々代の若かりし頃が乙女ゲームの舞台となった時代だったのだろうか。それとも、乙女ゲーム世界のそのまたパラレルワールドだったのか。
気落ちしたまま、儀式の後に続く宴から抜け出し、バルコニーに出て一息ついていると影が落ちた。
振り返ると、ハズレ……いや、俺様王子様ではなかった王子様だった。
なぜ出てくると思いつつ、一礼して脇によけ、そのまま広間に戻ろうとしたが呼び止められた。
「ひとつ聞きたいのだが。わたしのなにが姫君を気落ちさせたのだろうか」
なぜバレた。
「そのようなことは決してございません。緊張しておりましたので、そのように見えてしまったのでしょうか。気を悪くなされたのでしたら、申し訳ありません」
ことさら恐縮してみせる。困った、どうしましょうと動揺する可憐な王女の演技は我ながら完璧だと思う。
「気を悪くしてはいないので、正直に教えていただきたい。わたしは人に会って、失望されるという経験をこれまでしたことがない」
間違いなく俺様王子様だった。
色違いか。
心のなかで舌打ちしつつも、困り顔は保持する。
「……では、正直に申し上げます。人違いだったのですわ」
馬鹿正直に容姿に失望したなどいえるはずもない。
「人違い?」
「ええ。幼いころのことでわたくしもよくは覚えていないのですけれども、お名前が殿下とよく似た御方に出会ったのです。とても素敵な方で……わたくしの初恋でしたの」
もじもじと恥ずかしげに言ってみせる。
年齢よりも幼く見え、人形のように可憐といわれる姫君にはぴったりの姿だろう。
「ふうん?」
声が低くなった。間違いなく疑われている。
「殿下のお名前をうかがって、もしかしたらと勝手に期待していただけなのですわ。申し訳ございません」
他に手立てもないので、そのまま押し通す。
「そういうことにしておこう……今夜のところは」
その言葉の持つ不穏な気配に全く気づかぬ素振りで、誤解が解けて嬉しいとことさら無邪気に振る舞って見せながら、再び心の中で舌打ちした。
厄介な男にからまれたものである。
翌日からは気を取り直して聖地巡礼に取り掛かった。何もかもがほぼゲーム内の設定通りで感動したが、それだけにゲームのキャラがいなかったことが残念だった。やはり時代が違ったのかもしれない。
歴史でも調べてみようと思い始めたところで、なぜか色違い俺様王子との縁談がまとまっていた。
父王は大喜びだが、あんな俺様腹黒王子なぞ御免である。
幸い婚礼まではまだ間があるので、なんとか婚約破棄に持ち込んでみせよう。
そう意気込んでいたのだが。
まあ嬉しいとすっかり舞い上がって夢中になっているふりをしてみたり、他の男に恋したふりをしてみたり。
美女と有名な他国の王女をけしかけてみたり、王子に恋する貴族令嬢を送り込んでみたり。
他国と縁組を結ぼうと画策してみたり、二人だけにされた時に本性さらして真っ向から歯向かってみたり。
手を尽くしたにもかかわらず、年月は無慈悲に流れて三年後には婚姻が成立してしまった。
今更猫をかぶる必要もない相手だからいいかと開き直り、結婚して二年後には第一子に恵まれ、時折、嫁姑バトルをひそやかに繰り広げつつも、順風満帆な王妃生活を送っていたのだが、どうも最近、気になることがある。
依然として権力を握って放そうとしない王太后の方針により、息子は乳母たち養育係の手で育てられているのだが、この息子が父親譲りの自信家、傲慢ぶりを垣間見せるのだ。
しかも、わたしと同じ金髪――いや、わたしよりもキラキラしい金髪。そして、ひとつめの名前は先述の通り――父親と、そして、攻略対象と同じ。
なんか嫌な予感がする。
そう思いながら、数年経ったある日、事件は起こった。
発生した場所といい状況といい、前世の記憶にあるゲーム内のエピソードと一致する。
どうやらわたしは攻略対象を生んでしまった、というパターンだったようだ。
そして、転生者はわたし一人ではなかった。事件に巻き込まれた……ある意味では事件を引き起こした侍女は間違いなく転生者だろう。
彼女は「ストーリー」を変えることができると証明してくれた。
うん、息子の養育権を掌握しよう。
父親と同じ俺様王子なぞに育たせてたまるか。俺様は一家に一人で十分だ。
息子ならまだ手遅れではないはずだ。
かなり異常な事態にも動揺を見せず 、ひょっとしたら侍女の暴挙を止めるつもりもなかったのではと思われる近衛騎士の報告を聞きながら、わたしはそんなことを考え、それから、ふと思い出した。
数年前にある少年の容姿と語学力を見込んで、外交官見習いに推薦したことを。
彼は次男で、神殿に入るつもりだったと言ってはいなかったか?
思い出せば思い出すほどに、彼が本来なら攻略対象の神官になるはずだったに違いないと思えてくる。
すでにストーリーは変わっていたか……。
となると、これはもう自由にしてよいということだろう。
万が一、頭の中がお花畑な主人公が登場し、逆ハーなぞを目論んだとしても、体制が揺るがぬよう布石を打っておこうではないか。
息子のしつけはもちろんだが、息子に悪影響を与えそうな連中を遠ざけ、有用な人材をそろえねば。
その後、しばらくの間、王妃による粛清の嵐が吹き荒れたという噂が一部で出回ったようだ。まったく宮廷というのは、なにごとも大げさである。
※ ※ ※
脳内お花畑な主人公は登場することなく、息子の婚約が無事に整った。
俺様の芽を早くに摘んでやったおかげか、息子は少々へたれではあるが、外面は完璧、物腰の穏やかなこれぞ王子様に育ってくれた。
婚約者となった娘はヘタレを支えるには十分な精神的強さと情の深さを持っているので、うまくやっていけるはずだ。
腹黒く有能な臣下もいるから、まず次代も安泰だろう。
この数年で、あの侍女以外にも転生者とおぼしき人物たちが次々と現れたために多少警戒していたが、そろって野心家ではないようで、それぞれ頑張っている……時折、突拍子も無い方向で。なかなか楽しませてもらった。
見ているのも楽しかったが、そろそろ仲間に入れてもらおうかと思う。
俺様の俺様っぷりについて、俺様の意味がわかる人たちに、愚痴りたいのだ。
王族だから当たり前なんて顔をされることなく、共感してもらいたいのだ。
手始めに接触するのは、やはり彼女だろうか。
わたしは手紙を送るべく、侍女を呼んだ。