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第六幕 帰りたくば、私を受け入れよ

「えーっと……僕に話を聞いてもらいたいってことだったよね?」


 しばらくは二人して飲みものを啜ったり世間話をしたりしていたのだが、やがて僕は本題へと入った。


「はい」

 グラスを置いた坂ノ下さんは真剣な声で頷く。


「先ほども言いましたが、あたしはこのお面をどうにかして外したいんです。でも、あたしにも他の人にも全然触れなくって、本当に困っていたんです。しかも、他の人は触れないだけでなく見えてもいませんから、下手に話すわけにもいかなくって……」


 僕はチラリとカウンターのほうを見た。そこには暇そうにしているマスターがいた。もしも彼に、坂ノ下さんが「あたしの顔にくっついているお面について……」という話をはじめたとしたらどうなるだろうか。


 まず間違いなく、変な目を向けられることになるだろう。マスターにはまったくお面が見えていないのだから。


「確か……怪奇現象って言ってたよね? つまり坂ノ下さんは、そのお面が顔にくっついてしまうような、そういう経験をしたっていうことでいいのかな?」


 坂ノ下さんはゆっくりと頷いた。それから少し考えるようにして言う。

「そうですね……まずは、このお面があたしの顔にくっついてしまった経緯から聞いてもらったほうがいいですよね」


「それは、確かに」

 僕はまだ、坂ノ下さんがどうしていまのような状況に陥ってしまったのかを聞かされていなかった。……まあ、聞かされたところで、たぶん僕の手に負えるようなものではないんだろうけど、僕に話すことによって坂ノ下さんの気持ちが少しでも楽になればいいと思うばかりである。


「あれは……」

 坂ノ下さんが思い出すような口調で語りはじめる。


「今年の春のことでした。──あたし、一人でタケノコを採りにいったんですよね。ここら辺の山ではたくさん採れるって小耳に挟んだもので」


「山にタケノコを……。好きなの?」


「はい、大好きです。前に住んでたところは中途半端に栄えているような町だったんで、タケノコが採れるような場所はなかったんですよね。だからあたし、その話を聞いた時ちょっと嬉しくなっちゃって。早速お休みの日にハイキング気分で出掛けたんです」


「へえ、そうなんだ」


「それで実際山に入ってみると、これが聞いてたとおり、あちこちにいっぱいタケノコがなってまして。目移りしちゃうくらいでした。それに暖かくなりはじめた頃だったせいか、いろんなお花もいっぱい咲いてたんですよね。だからあたし、けっこう浮かれちゃって──」


 僕は、何だか微笑ましい話だなぁと思ったが、雲行きが怪しくなってくるのはここからだった。


「はじめていったところだったのに、後先考えないでいろいろと歩き回っちゃったんですよ。そうしたら不意に急斜面に出ちゃって、そのままゴロゴロゴローって……。坂ノ下だけに」


「いやいやいや、上手いこと言ってる場合じゃないよ。大丈夫だったの?」


「ケガや痛いところがなかったという意味でなら、全然大丈夫だったんですが──」


「ですが?」


「運勢という意味でなら、全然大丈夫ではありませんでした。だってあたしは──」

 白く細い指先を、坂ノ下さんは自分の顔に向けた。



「そこで、このお面と出会ってしまったんですから」



「そう……だったんだ」


「──はい。このお面は何処からともなく現れて、まだ倒れたままだったあたしの目の前まで迫ってきたんです。そして、こう告げました。〝ここから帰りたいか? 帰りたくば、私を受け入れよ〟って……」


 僕は思わず息を呑む。

「そ、それでどうなったの?」


「それが……恐怖のせいか、あたし、気を失っちゃったんですよね。なのでその前後のことをよく憶えていないんですよ。──お面に言われた言葉だけは、印象的というか、すごくゾッとしたので忘れなかったんですけど」


「そうなんだ……」

 映画のダイジェスト版において、よりによって大切なシーンをカットされた気分だったけど、いきなりホラーっぽいお面に迫られてしまっては無理もないだろう。──しかし、動いたり喋ったりするのか、そのお面……。


「しばらくして、あたしは目を覚ました。けど、お面の姿は何処にも見当たらなくなっていて──だからその時は、恐い夢でも見たんだろう、急斜面から転げ落ちたショックでそんな夢を見たんだろうって思ったんです」


 僕は頷いた。自分が坂ノ下さんの立場だったとしても同じような判断を下したことだろう。


「ただ何にしても、タケノコ採りなんてすっかりどうでもよくなっちゃって。すぐに帰ることにしたんです。自分が何処にいるのかよく解らなくなっていたんですけど、幸い、すぐに開けたところに出られたんでどうにか帰宅することができたんですが……」


「うん……」


「家に帰って、あたしはまずお風呂に入ろうとしたんですよね。あちこち土で汚れちゃってましたから。それで脱衣所にいって、ふと鏡を見たんです。──すると、このお面が、この不気味なお面が、あたしの顔に……」


 そして、坂ノ下さんはパニック状態に陥ってしまったという。


 当然だ。自分の顔があるべき部分にこんなホラーっぽいお面がくっついていれば、誰だって取り乱さずにはいられないだろう。しかも、外そうと思って手を伸ばしてみたらまったく触れないとくるのだ。たまったものではない。


 その後、坂ノ下さんの悲鳴か何かを聞いて、彼女の両親が脱衣所に駆けつけてきたそうだ。しかしそれは、坂ノ下さんのパニックに拍車を掛けることになってしまう。

「お面が、不気味なお面があたしの顔に!」と必死で訴える坂ノ下さんに対して、彼女の両親はひどく心配そうにしながらも、「しっかりしなさい、お面なんて何処にもないよ」と代わる代わる否定をしたからだった。


 坂ノ下さんは、パニックという言葉だけでは足りないくらいにわけが解らなくなってしまったそうである。


 ただ長い間、母親の腕の中で泣き喚いているうちにどうにかこうにか落ち着きを取り戻すことができたらしい。


「それであたしがまず思ったのは──あれは夢なんかじゃなかったんだ、あの言葉はこういう意味だったんだってことでした」



 〝ここから帰りたいか? 帰りたくば、私を受け入れよ〟



「つまり坂ノ下さんは、そのお面の言葉を聞き入れてしまった……?」


 僕の問いに、たぶん……と坂ノ下さんは力なく頷いた。


「気を失ってしまったせいで、お面と出会った前後のことはよく憶えていないんですけど……あたしの顔にこんな不気味なお面がくっついてしまっているってことは──そういうことなんじゃないでしょうか」


 それまで努めて普通に話していた坂ノ下さんだったが、突然そこで身体を震わせた。記憶を辿っているうちに、今日までの不安やら何やらがポロリと崩れ、心の池に波紋を生じさせたのかもしれなかった。


「どうしてあたしは、このお面の言葉を聞き入れてしまったんでしょうか……! 恐かったからでしょうか? それとも脅されでもしたんでしょうか? そもそもどうしてそんなことを言われなくてはいけなかったんでしょうか……!? あたしはこのお面に何かしてしまったんでしょうか!? ただでは帰してもらえないようなことをしてしまったんでしょうか!? 斜面から転げ落ちた時にこのお面が大切にしていた場所とかにでも入ってしまったんでしょうか!? だからこんなふうに呪われてしまったんでしょうか……!?」


「……お、落ちついて、坂ノ下さん」

 その場にいなかった僕にそんなことが解るはずもなかったし、その場にいた坂ノ下さんが前後のことをよく憶えていないと言っている以上、現状ではどうにもならないというしかなかったのだが……いまそれを口にするのはさすがに無神経すぎるだろう。


 僕はおずおずと、アイスティーを飲むように手で示してみた。


 坂ノ下さんは小刻みに肩を振わせていたが、やがて「すみません」と呟き、水滴のついたグラスへと手を伸ばした。


 その様子を見守る一方で、僕はそっとホラーっぽいお面の様子も窺った。動く、喋る──という話だったけど、こうして坂ノ下さんが特に警戒せずにものを飲んだり手をやったりしていることから、普段はそういったことはしないと考えていいのだろう。……いいんだよね?


「──とにかく、両親にはこのお面が見えていないということが解ったので、それ以上、その話をするのはやめることにしました」


 ややあってから、グラスを置いた坂ノ下さんは話を元に戻した。さっきの感情に任せた問いに僕が答えられるはずもないことは、彼女も解ってはいたのだろう。ちなみに、声の調子も普通のものに戻っていた。


「だってこのお面が見えていないことには、山の中でそれに出会っただの、それに呪われたかもしれないだのと言ったところでとても信じてもらえるとは思えませんでしたから……。たぶん余計な心配を掛けるだけになったでしょう。だから結局、その場は『疲れて居眠りして変な夢を見ちゃった』ということにして済ませてしまったんです」


「そっか……」

 坂ノ下さんのお面についての話はまさしく怪奇現象と呼ばれる類のものであった。まともに取り合ってもらおうというほうが無理に違いなかった。

 僕だって、そのお面が見えていなければ──そのお面がそこにあって、そこにない不思議な存在だと知っていなければこうも真剣に耳を傾けてはいなかっただろう。


「それにあたしもまだ何処かで、悪い夢を見ているだけなんじゃないか、次に目を覚ましたらもう何ごともなくなっているんじゃないか、っていうふうに少し思ってもいたんですよ。だからその日は我慢して、さっさとベッドに入ったんです。泣き疲れていたせいか、幸いすぐに眠れたんですけど……翌朝起きて鏡を見ても、このお面はあたしの顔にくっついたままでした」


 その時の失望感を思い出したのか、坂ノ下さんはガックリと肩を落とす。


「でも、朝食の間、両親はあたしの顔を見てもやっぱり何も言わなかったですし、恐るおそる学校にいってみてもみんな普段どおりに挨拶してくるし……そこには拍子抜けするほどいつもどおりの日常が広がっていました──。みんなに『何、そのお面!?』って大騒ぎされるよりはよかったのかもしれませんが……でもそれは、みんなにこのお面が見えていないってことですから、両親の時と同様にお面について話したところでとても信じてはもらえないってことでして」


 坂ノ下さんは小さく溜息をついた。


「つまり、あたしは一人でこの不気味なお面をどうにかしなくちゃならなくなったわけですけど……どうしていいかなんてあたしには全然解らなくって。途方に暮れているうちに時間ばかりが過ぎちゃって──」


 俯きがちに喋っていた坂ノ下さんが、ふっと顔を上げた。


「そんな時なんです。あたしが桜小路さんに出会ったのは」


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