第四幕 お面の少女は、可愛いらしい
「怪奇現象……」
相変わらず人影の絶えたままの商店街で、僕は呆然とくり返す。
突然そんなことを言われても、普段だったら真に受けなかったに違いない。
いまの僕はそうはいかなかった。
少女がつけているお面が、この世のものとは思えない不思議なものであることをすでに知っていたからである。
見慣れた商店街の光景が急に身じろぎでもしたかのような不安感に襲われ、僕はそれきり黙り込んでしまう。
ややあって、お面の少女が遠慮がちに、でも切実さを込めて切り出してきた。
「あの、お兄さん……失礼を働いてしまったあとでこんなことを頼める立場ではないんでしょうけど……それでもどうか、あたしの話を聞いてはもらえないでしょうか?」
「話を……?」
「あたし、このお面をどうにかして外したいんです。でも全然触れないですし……。他の人なんて触れないだけじゃなくて、そもそも見えてもいないですから、このお面の話をすることさえできなくって……」
さっきチラッとお面を外す時はどうするのだろうかと思ったけど、やはりその面は外せないのか。……それにしても、いったい何がどうなってそんな状況になってしまったのだろうか。怪奇現象と呼ばれる類のものではないか、とは言っていたけれど。
「えーっと……その、僕なんかが話を聞いたところでどうにかなるようなこととは思えないんだけど……」
僕はそう言って、やんわりと断る意志を示した。彼女は本当に困っているようだったので、できるなら力になってあげたいのだけど……これはどう見ても僕の手に負えるようなものではなかったし、正直恐かったのである。
「そんなことはないと思います!」
するとどうしてだか、お面の少女がきっぱりと否定の声を上げた。
「お兄さんは、あたし以外でこのお面を見ることのできたはじめての人ですし、それに何よりこのお面はさっきお兄さんに反応しましから。きっと何かあると思うんです」
「僕に反応……?」
意外な言葉に眉を寄せていると、お面の少女がガバッと頭を下げた。
「お願いしますっ。少しの時間だけでもいいですから……!」
その声は──うっすらと涙に濡れていた。
「…………」
僕はゆっくりと息を吸うと、同じようにゆっくりと吐き出した。そうしてホラーっぽいお面に対する恐怖心を無理やり何処かにしまい込むと、前言を撤回することにした。
「じゃ、じゃあ……こんなところにいつまでも座っているのも変だし、何処か涼しいとこにでも入ろうか」
商店街の中央通りに僕は尻餅をついたままだったし、お面の少女は膝をついたままだったのである。いろいろありすぎていままで気にならなかったけど、路上は結構な熱を持っていた。
「あ、ありがとうございます!」
お面の少女がホッとしたように言うのを聞きながら、僕は曖昧に微笑んだ。
□ □ □
カランコロンとドアベルを響かせて、僕たちは近くの、如何にも流行ってなさそうな喫茶店に入った。
もともとこの喫茶店に来ようとしていた僕だけど、まさか女子中学生を伴うことになろうとは思ってもみなかった。
というか、女の子と二人きりで喫茶店に入るのなんてはじめてである。まあ……それを単純に喜べるような状況ではなかったけど。ちなみに、店内の冷房も期待していたほど効いてはいなかった。
「いらっしゃいませ」
カウンターの向こう側に白髪交じりの中年男性が立っていた。この店のマスターだ。
「お好きな席へどうぞ──って、あれ?」
白髪交じりのマスターは少し身を乗り出して僕の顔を確認したあと、妙に愛想のいい声で話し掛けてきた。
「これはこれは、桜小路家の和雅ぼっちゃんじゃないですか。あれ、東京の高校に進学なされたと聞いていましたが、あれ、違いましたっけ?」
「今日、帰省してきたんですよ」
僕は溜息をつきたい気持ちをこらえて、なるべくゆったりとした声で答えていた。
これまでこの喫茶店を利用したことは数えるくらいしかなく、当然のことながらここのマスターとも親しいわけではない。にもかかわらず、僕の個人情報が筒抜けになっているのだった。
それはどうしてかといえば、この辺ぴな田舎町において「桜小路家」という存在が有名すぎるからである。
我が桜小路家は代々この辺りを治めていた大地主の家柄であり、現在もマンションや工場の経営をはじめ、さまざまな事業を展開し、この辺ぴな田舎町の経済を支えているのだった。だからどうしても注目の的となってしまうのである。
しかし、いつでも何処でも、よく知りもしない相手にまでいつの間にか一方的に自分のことが知られているという状況は、昔から僕のストレスになっていた。何というか、覗き見されているような気分に陥るのだった。
もちろん、周囲の人々にそんなつもりがないことは解っている。いやむしろ、それは好意的なものから発している場合が多かった。昔から何かと世話になっている桜小路家の、その大事な跡取り息子だから──ということで気に掛けてくれているのだった。
ただ、そうと解っていてもやはり因習めいたものは覚えてしまうのだ。
そしてそれは、僕がここを離れた遠因となっていたのである。
「あれ、もしかして後ろのお嬢さんは和雅ぼっちゃんのカノジョさんですか? あれ、和雅ぼっちゃんも隅に置けませんねぇ。いやぁでも、可愛らしいお嬢さんでよかったじゃないですか」
マスターが首を横に伸ばし、僕の背後を窺うようにしながら言った。一人で勝手に憂鬱になり掛けていた僕だったが、その言葉には反応せざるを得なかった。
「かわ……いい?」
確かにお面の少女の声は可愛らしいものだけれど、彼女はここに入ってからまだ一言も発してはいない。つまり──
マスターは「どうしてそこを訊き返すのか」というように怪訝な表情を浮かべたが、それでもちゃんと答えてくれた。
「ええ、そうですよ。可愛らしいお嬢さんじゃありませんか。目は大きくて、鼻筋は通ってて。将来、絶対美人さんになりますよ」
僕は振り向いた。つられたように、数歩後ろに立っていた女子中学生もこちらを見上げてきた。
そこには、めっちゃホラーっぽいお面があった。
「あ、ありがとうございます、マスター」
僕はやや間の抜けた声でそう言うと、お面の少女をつれてカウンターから一番離れた窓際の席に座った。