第二十幕 シシ様
逢引き。あいびき──牛と豚を半々に混ぜ合せた挽き肉のこと。いや、それは合挽き。
思わずそんなくだらないことを考えてしまったのは、お面の言葉がすんなりとは飲み込めなかったからだろう。
「あ、逢引きせよって……つまりデートしろってことですか?」
大樹の根元に腰掛けた僕は大きく目を見開いていた。
〝でーと……いまは確かそう言うのだったな。そ、そうだ、私とそのデートをするのだ、和雅よ。そうしてくれれば陽菜の顔から外れてやろう〟
「は、はあ……」
すぐには返事できず、僕は曖昧な声を出してしまう。意外な展開についていけなかったのだ。
坂ノ下さんの顔から外れるのに、どうして僕とデートする必要があるのだろうか? いったいどんな関係があるというのだろうか?
「え、えーっと、いきなりデートと言われましてもちょっと意味が……」
〝駄目、なのか……? できる限りのことはすると言ったのに……〟
そう訊いたお面の声は非常に落ち込んだものだった。空が突然掻き曇ってしまったかのようである。
「い、いや、駄目ってわけではないですよ。ただちょっと驚いただけで」
僕は慌てて取り繕った。
〝そ、そうか……〟
お面はホッとしたような声を洩らした。それから急にモゴモゴとした口調になって次のように説明した。
〝あ、ああ……デートと言うと少し語弊があるかな。べ、別にそんなたいそうなものをしたいわけではないのだ〟
「どういうことですか?」
〝何はともあれ、こうして数年ぶりに再会を果たしたわけだ。せっかくなのでまた一緒にあちこち出掛けてみるのも悪くないのではないか、というようなことが言いたかったのだよ〟
「昔のように、うちの山の中を散策しようってことですか?」
僕と一緒に遊び回っていた日々をお面は特別に思ってくれていた。だから僕へのわだかまりが一応の決着を見たいま、もう一度そういうことをしてみたくなったということだろうか。
〝それも悪くないが……どうせならこの町を見てみたいな。おまえの生まれ育ったこの町を。──私が曲がりなりにも神と呼ばれる存在となってから二百年くらい経つが、先ほども言ったとおりそのほとんどを桜小路家の蔵の中で過ごしている。限られた場所しかいったことがないのだよ。この際だからいろいろと見て回りたい〟
「つまり、この町の観光案内をしろ、ということですか?」
〝ま、まあ、そんなところだ〟
「そのくらいのことでしたら、僕は全然構わないですけど……」
僕は小さく首を傾げる。
「でも、それと坂ノ下さんの顔から外れてもらえることにいったいどんな関係があるんでしょうか?」
〝こ、細かいことは気にするな〟
と言うと、お面はそれっきり僕の質問に答えようとはしなくなった。
えー……と思いはしたものの、要するに、一苦労に見合う奉仕をせよということなのだろうと僕は受け止めた。ならば、ここは素直に話を受け入れるべきところだった。
「……解りました。とにかく、僕がこの町の観光案内をすればあなたは坂ノ下さんの顔から外れてくれるんですね?」
〝ああ……約束しよう〟
お面は噛みしめるかのようにその言葉を響かせた。
それを聞き、僕は頷く。
「でしたら僕に異存はありません。喜んでこの町の観光案内をさせていただきます。ただ……」
〝ただ?〟
「それって、観光案内が終わったあとで坂ノ下さんの顔から外れてくれるってことですよね? つまり、それまで彼女は……」
〝うむ。陽菜には観光案内が終わるまで私に付き合ってもらおう。それが陽菜に対してやってもらいたいことになるかな〟
「──そういうわけだけど、どう? 坂ノ下さん。何だか途中から僕たちだけで話を進めた感じになっちゃったけど……」
僕は頭を掻きながら訊いた。すると、すかさず坂ノ下さんが真面目な声を返す。
「全然構いません。顔から外れてくれるというのならあたしもできる限りのことをさせていただきます。いくらでも都合をつけます。──けど、その観光案内はいつまでつづければいいのかだけは教えていただきたいです」
〝あとちょうど一週間で納面祭であろう? そこで一緒に開催されている夏祭りの締め──打ち上げ花火を見終わったら約束を果たすことにしよう〟
「一週間後……解りました」
坂ノ下さんが片手を胸に当てつつ言った。明確に期限を告げてもらえたのでホッとしたに違いない。その姿を見つつ、僕は確認を取る。
「それじゃあ……明日から観光案内をはじめるってことでいいでしょうか?」
〝うむ。よろしく頼むぞ〟
「はい。──でも、いまさらですがこの町、たいしたものはありませんよ?」
僕がそう訊くと、お面は本気とも冗談ともつかぬ声で答えた。
〝そこはそれ、先ほど和雅は「できる限りのことをする」と言ったではないか。その言葉に期待しているぞ〟
「……」
さり気なくハードルが上げられたようである。僕の片頬は軽くひきつった。
すると、坂ノ下さんが頭を下げてきた。
「すみません。あたしの顔から外れてくれるかどうかの話なのに、いつの間にか桜小路さんのほうにばかり負担がいってしまっているようで……本当にすみません」
「ああいや、気にしないで。乗り掛かった船だから。それに観光案内をするくらいたいしたことないよ」
僕は片手を振った。
「その観光案内についてあたしも協力したいのですが……この町に詳しくないもので、あまりお役に立てないかもしれません……」
坂ノ下さんがさらに申しわけなさそうにした。
「そうか、そうだったね。──いいよ。観光案内のことは僕のほうで考えるから。そもそも勝手にオーケーしたのはこっちだし」
僕はそう言って微笑んでみせた。──だがしかし、これは結構な難題であった。
観光案内といえば、風光明美な場所であったり繁華街であったりするのが普通だろう。この辺ぴな田舎町にそういった素晴らしいものは存在していないのだった。少なくとも僕にパッと思いつくところはなかった。
さてどうしたものかと僕は腕を組み、目を閉じる。
たいしたことないよなどと言っておきながら、「う~ん」と長考に入ってしまう。
その様子を坂ノ下さんは気遣わしげに見守っていたようだったけど、いつまでも視線を向けているのはかえって悪いと思ったのか、やがて彼女はお面のほうへとぽつりぽつり話し掛けはじめた。
それを聞くとはなしに聞いていると、坂ノ下さんはお面に対して不気味だと思っていたことやそう口にしていたことを謝っているようだった。
結局、どうしてお面が坂ノ下さんの顔にくっついたのかは解らずじまいとなってしまったが、とにかくお面の正体は知ることができた。観光案内に付き合えば一週間後には顔から外れてくれるとも約束してくれた。そしてそれらが坂ノ下さんの心をずいぶんと軽くしたようである。
そこで男前の坂ノ下さんはいろいろと割り切り、どうせならよい関係を築こうと思ったらしい。「これからは恐がったりしないので普通に話してほしい」とお願いしていた。
最初、お面のほうはためらっていたようであったが、僕も坂ノ下さんもすでに恐がる素振りをまったく見せていなかったこともあり、最終的には坂ノ下さんのお願いを聞き入れてくれたのであった。
そしていつしか、いつまでもお面のことを「あなた」と呼んでいるのはどうかという話になったようである。
お面は誇らしげに〝光獣戦士・獅子王牙と呼ぶがよい〟と言ったらしい。
坂ノ下さんは「それは恥ず……いえ、長いので別のものを」と訴えらしい。
ふと気がつくと、僕は板挟みになっていた。つまり、おまえはどっちの意見がいいと思うのか? と迫られたわけである。
その後、「人の世には愛称っていうものがあるんですよ」という僕の捻り出した折衷案がどうにか受け入れられ、今後お面のことは「シシ様」と呼称する旨が決定したのであった。
それにエネルギーを費やしてしまったせいでもないが、結局僕は観光案内のプランを思いつくことができなかった。仕方がないので、夜のうちにはかならず連絡するとしてここはいったんお開きにしてもらったのである。




