第二幕 グーのち土下座
どうして、お面……?
僕は呆気に取られ、つい見つめてしまう。
ややあって、少女のつけているお面が祭りの出店で売っているアニメや特撮のキャラクターなどではないことからピンとくる。
この辺ぴな田舎町には、毎年夏に催される伝統行事があった。
先祖代々受け継がれる、獣やら何やらをごちゃ混ぜにしたような木製のお面をつけ、神社にて舞を奉納するというものである。今年も十日後くらいにおこなわれるはずだった。
おそらく少女は、その伝統行事に参加する舞手の一人なのではないだろうか。
ただ……舞の練習の行きか帰りかだとしても、お面をつけたままで商店街をトコトコと歩いてくるというのはさすがにおかしいだろう。
僕は首を傾げた。そして、お面の少女がだんだんと近づいてくるのに伴って、その傾きはよりいっそう角度を増すことになった。
地元ではあるものの、僕はその伝統行事についてあまり興味がなく、詳しくもなかった。とはいえ、そこで用いられるのが先祖代々受け継がれた──つまり古くはあるけれど、普段は大切に丁寧に保存されているお面だということくらいは知っていた。
しかし、お面の少女のそれは。
もともとは装飾や彫刻、彩色を施された立派な木製のお面だったようだけど……よほど保存状態が悪かったのか、いまはあちこちが剥げていたり欠けていたり褪せていたりしていた。古さとは別に激しい劣化も加わっていたのである。
ただでさえ異形を象っている上にここまでボロボロになってしまうと、もはや何とも表現のしようがない。いっそ伝統行事よりもホラー映画のほうがふさわしそうだった。
どうしてこんな状態に……。それに、こんなのをまだ伝統行事で使っているっていうの……? と怪訝に思っていると──
お面の少女と目が合った。
目の部分に開いた二つの孔がこちらに向けられたのである。この距離からだと、そこは暗い影となっていて少女自身の双眸は窺えない。しかし、僕の姿を捉えているのは間違いないだろう。
慌てて視線をそらす。つい見つめてしまっていたものの、別に関わりたいわけではなかったからだ。
次の瞬間、タッと地を蹴るような音が聞こえた。
何だろうと思って少しだけ視線を戻してみると、そこには全力ダッシュするお面の少女がいた。しかも、僕のほうに向かって。
え、何……!? と僕が混乱している間にもお面の少女はものすごい勢いで迫ってきて──
グーパンチが炸裂した。
身長差のため、やや下から突き上げるようにしてくり出された右ストレートは僕の下顎を貫いていた。
僕はたまらず尻餅をつく。あまりのことに痛みよりも恐怖のほうが先走る。これはあれか、「ガンくれてんじゃねえよ、ゴラアッ!!」的なやつだろうか。
「す、すみません。ごめんなさい。別に悪気があって見てたんじゃないんですっ」
突然の暴力に、おぼっちゃん育ちの僕はすっかり怯えてしまっていた。だから、怒ったり理由を問うたりするよりも先にまず謝っていたのである。
お面の少女は、路上の僕を見下ろしたまましばらく無言で立っていた。
その間、僕は周囲に視線を泳がせたが、見計らったように中央通りからは人影が絶えていた。これが映画や漫画ならいままさにヒーローかヒロインが通り掛かってくれるはずなんだけど、実際には閑古鳥が鳴いているだけだった。
「ご……」
お面の少女が言葉を発した。
やっぱり「ゴラアッ!!」的なやつかと僕が反射的にビクッとなると、突然目の前で紺色のスカートが翻りつつ沈み込んだ。
「ごめんなさい!!」
お面の少女は路上に勢いよく膝をつき、その勢いのままに頭を下げていた。ほとんど土下座であった。
「……」
鳩が豆鉄砲を食ったよう──たぶん、僕のいまの表情はそんなだったと思う。
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 殴るつもりなんかなかったんですっ。嘘じゃありませんっ。急に身体が勝手に動いちゃって、気づいたらもう殴ってて……って、こんなこと言っても信じてもらえないと思いますけど、と、とにかく本当にごめんなさいっ」
そう必死に言い募りながら、お面の少女はぺこぺこと何度も頭を下げた。ホラーっぽいお面とは対照的にその向こう側から響く声は可愛らしいものだった。
「えーっと……」
いきなり殴られたと思ったら、それをすぐに謝られ──そして、そもそも殴った理由は「身体が勝手に動いちゃって」というものだった場合、どのように反応するのが一番正しいのだろうか。僕は困惑するしかなかった。
ただ、ぺこぺこと頭を下げつづけるお面の少女からは悪意も敵意も感じ取れないのは確かだった。なので、僕は怯えや困惑をどうにかこうにか飲み込みながら、この場にふさわしそうな台詞をひねり出してみた。
「も、もしかして……誰かと間違えてしまったとか?」
「え? いっ、いいえ。そういうことではなくって……」
遠慮がちに頭を下げつづけるのをやめると、お面の少女は小さく可愛らしい声でそう言った。
「じゃあ、もしかして……」
僕はもう一つだけ、この場にふさわしそうな台詞をひねり出してみた。
「以前にお会いしたことがありましたか? その時に僕が何か失礼なことをしてしまった……とか?」
少女の素顔がまったく見えないのでよく解らないのだが、実は何処かで知り合っていて、そういうことでもあったのかと考えたわけである。
もちろん僕には、女子中学生に限らず誰かに殴られるような身に覚えはなかったけれど、こちらが何とも思っていない行為でも相手にとってはそうではなかった、ということも場合によってはあり得るだろう。
「いっ、いいえ。そういうことでもありません。お兄さんとは初対面だと思います」
「そうですか……」
ひとまず自分に非がないらしいことにホッとしたのだが、すぐに釈然としないものに捉われた。
ならば、どうして僕は殴られたのだろうか。まさか本当に身体が勝手に動いてしまったとでも言うのだろうか?
もっと追及してみようか……とも思ったが、やめておくことにした。お面の少女はさっきから肩をすぼめてしゅんとなってしまっていたからである。これだとまるで僕のほうが彼女をいじめているようだった。
それにもう殴られた下顎も痛くなくなっていた。見事な右ストレートではあったものの、そもそもお面の少女は小柄で、しかもほっそりとしているので、急襲という要素を除けば威力的にはたいしたことはなかったのである。
「何だかよく解らないけど……まあいいか。君に悪気はなかったみたいだし」
そう言って、僕はこの件について幕引きをすることにした。いろいろと腑に落ちてはいなかったが、僕は別に真相をかならず暴き出さなくては気がすまない名探偵ではなかったのである。
「本当に申しわけありませんでした」
僕の言葉に、お面の少女はもう一度深々と頭を下げた。
その頭頂部を眺めつつ、僕は最後に「やはりこれだけは訊いておこう」と思って口を開いた。
「それにしても……どうしてまた、そんなお面をつけているの?」
次の瞬間、ガシッと両肩を摑まれた。
ホラーっぽいお面が、目の前にあった。
え、何? 恐い恐い恐い──再び僕が怯えと困惑に襲われていると、お面の少女は僕の両肩を摑んだまま、やけに真剣な声でこう言った。
「お兄さん、このお面が見えるんですか?」
「え──」
お面の少女がどうしてそんなことを訊くのか、僕にはまったく解らなかった。