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第十七幕 水は方円の器に随う

 しばらく、納得できたようなそうでもないような──ゆらゆらとした気持ちに陥っていたが、ふと僕はあることに気づいてお面のほうに視線を戻した。


「えーっと、いまのように喋れるようになったのはここ二百年って言ってましたけど──ということは、僕が五、六年前に蔵から持ち出した時にはもう喋ることができたんですよね?」


 〝うむ〟


「でも……喋りませんでしたよね、一度も」


 〝喋ってほしかったのか? しかし私がいきなり喋り出したら、まず間違いなく幼いおまえを恐がらせてしまっただろう?〟


「それは、そうだったと思いますが……」


 〝私にそんな趣味はなかったのだよ。だから、できる限りおとなしくしていた。──私のほうも人に恐がられたくはなかったしな〟


「じゃあ、もしかして……」

 坂ノ下さんが探るような声を出す。


「あたしが何度か話し掛けた時にうんともすんとも言ってくれなかったのも……?」


 〝ふむ。──まあ陽菜の場合は、出会った時点ですでにただの面ではないと知られてしまっていたわけだが、だからといって必要以上に恐がらせたくないと思ってな〟


 つまり、お面なりに気を遣ってくれていたということらしい。

 しかしそれに対して、坂ノ下さんは少し声を高めた。


「あたしを恐がらせたくないというのなら……そもそもあたしの顔にくっつかないでほしかったんですけど?」



 それは当然の疑問であると同時に──核心に迫る疑問でもあった。



 〝……〟

 お面が何かを言い掛け──どうしてだか、それきり黙り込んでしまった。


 大樹の葉が、風にそよぐ。しばらくはその音だけが聞こえるような状態となった。


 お面の態度を訝りながらも、僕は頭を巡らせる。──お面は恐がらせたくないし、恐がられたくもないと言っていた。実際、幼い僕に対しても坂ノ下さんに対しても基本的におとなしくしていたことから、その言葉に嘘はないと思われる。


 ただし、それには例外があった。いきなり僕に殴り掛かってきた二日前と、僕がお面のことをずっと探し回っていたと知ったついさっきと、そして山の中で坂ノ下さんの顔にくっついた時である。

 二日前とついさっきに関しては、「自分を抑えきれないとはな」とお面自身が発言していたので、おそらく感情が昂ったためにおとなしくしていられなかった、ということなのだろう。


 であるならば──坂ノ下さんの場合にも、お面の感情が昂るような何かが生じてしまったと考えるのが自然だった。


 〝ここから帰りたいか? 帰りたくば、私を受け入れよ〟


 山の中でお面はそう告げたという。その前後のことをよく憶えていなかった坂ノ下さんは、「ただでは帰してもらえないようなことをしてしまったんでしょうか」と気に病んでいたけれど……。


 果たして、お面と坂ノ下さんの間にはいったい何があったのだろうか。


 僕は固唾を呑んで、お面の次の言葉を待った。──が、いつまで経っても頭の中に声が響いてくることはなかった。


 〝私に答えられることであれば答えるとしようか〟と言っていたにもかかわらず、こうして黙り込んでしまうということは……つまり、坂ノ下さんの疑問には答えられない……? でも、どうして?


 風がやみ、葉擦れさえも聞こえなくなってしまった。


 坂ノ下さんがふと居心地が悪そうに身じろぎをした。お面の静かなる拒絶に、彼女はさらなる追及ができないようだった。


 もちろん僕も聞きづらかった。下手をすれば機嫌を損ねてしまうかもしれないし……。

 ただ、このままみんなして仲良く黙り込んでいたところで埒が明かない。僕は意を決して口を開くことにした。景気づけに残っていた缶ジュースの中身を一気に飲み干す。


「え、えーっと……その、何て言うか、恐がらせたくない、恐がられたくないなんて意外と繊細なんですねー」


 急いては事をし損じる。ここはダイレクトにいかず、少し話題をそらして次の機会を窺べきだと僕は考えたのだ。ところが──


 〝意外とは何だ、意外とは。失礼な〟

 と、お面がムッとした声を響かせてしまったのである。


「急いては事をし損じる」作戦は、開始一秒で頓挫した。僕としてはむしろお面のことを持ち上げようと思っていたのだが、そこに余計な一言が入っていたばかりにあっけなく暗礁に乗り上げてしまった。


「す、すみません、そんなつもりじゃ──」


 〝まったく気をつけてほしいものだ。いまの台詞、女に向けるものとしては最低の部類だぞ〟


「ほ、本当にすみま──えっ!?」

 僕は頭を下げる途中で固まった。

 お、女? このお面は女性なの? というか、性別があるの?


「……あなたは、女性だったんですか」

 坂ノ下さんの声もやや呆然としていた。


 ふうっ……と、仕方ないともやるせないとも取れるような短い吐息を洩らしたあと、お面が語りはじめた。


 〝正確に言えば、最初私に性別はなかったよ。人の世にはつくられた時から性別を与えられる翁や阿亀といった面もあるらしいが、私はそうではなかった。納面祭で使われる面に必要なのは、感謝と鎮魂の対象となる木の実や山菜や動物たちを象徴することであり、そこに性別は関係なかったからな。ちなみに私は狐や猪などを象徴した面よ〟


 お面が女性であった! ということに衝撃を受けつつも、僕はボロボロになる前のお面の姿を思い出していた。たぶん、ライオンのたてがみのようだと思っていたのは狐の尻尾で、鬼の牙のようだと思っていたのは猪のそれを象徴していたのではないだろうか。


 〝しかし昔から、納面祭で面をつけ、そして里神楽を舞うのは女だけと決まっておる。つまり私を扱うのは、常に桜小路家の女たちだけであったということだな。それで次第次第に影響を受けて、いつの間にか自分のことを女だと思うようになったというわけよ。もちろん、もともとが人ならざる身ゆえ、本当の人間の女とは細かいところでは違ってはいるのだろうがな〟


「そうだったんですか……」


 水は方円の器に随う──環境によって人は善にも悪にも感化されるということわざがあるけれど、それに少し似ているだろうか。この場合は善悪ではなく、性別が感化されたということになるわけだけど。


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