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第十二幕 桜小路家へ

 坂ノ下さんと出会ってから三日目の午後。

 僕は昨日と同じ広場に自転車を止め、そこに立つ大樹の下で佇んでいた。


 去年、僕も言われたが、中学三年生の夏休みというのはその後の進路に大きな影響を及ぼす大切な時期とされている。なので坂ノ下さんも、午前中いっぱいを勉強の時間に当てており、僕と行動を共にするのはもっぱら午後からとなるのであった。


 しばらくすると、「桜小路さーん」と呼び掛けながら坂ノ下さんが自転車に乗って現れた。僕たちは軽く挨拶を交わし合うと、昨日とは違う方向に自転車を漕ぎはじめた。今日の行き先は、もちろん我が桜小路家である。


 青い絵具を無邪気に塗りまくったような空の下、畑や田んぼの間を縫うようにして伸びていく道路の先には、すでに桜小路家の所有する山が見えていた。


 山としてはそれほど標高があるわけでもないし、その形に何処か変わったところがあるわけでもない。もし近くに他の山があったとしたら、たぶん信仰の対象という地位にはついていなかっただろうと思えるほどの平凡さであった。


 しかし坂ノ下さんの様子は、山に近づくにつれ段々と緊張したものへと変わっていくようだった。


「どうしたの?」

 事情はどうあれ、年頃の女の子が男の家を訪ねようというのだから無理もないか、と僕は思ったのだがそれは的外れの心配だった。


「いえ、その……あの日以来、こんなに近づくのははじめてなので、ちょっと……」

 遠くを見るようにお面を上げていた坂ノ下さんが、小さな声でそう答えた。


 僕は慌ててブレーキを掛けた。坂ノ下さんもつづいて自転車を止める。


「そっか、ごめん。山に入るわけじゃないけど、うちはその裾に建っているわけだから似たようなものだよね。恐かったよね」


 迂闊だった。喫茶店で坂ノ下さんの話を聞いて以来、僕だってうちの山に対して何となく薄ら寒いものを感じるようになっていたのに、僕よりももっと恐い思いをした坂ノ下さんがうちの山に対して平気でいられるはずもなかったのだ。


「い……いえ、謝らないでください。桜小路さんは何も悪くありませんから。──それにたぶん、遅かれ早かれ、いつかはいかなくちゃいけない場所だと思うんで……」


「でも……無理しなくていいんだよ? 母からうちの山について聞くだけなら、僕一人でもいいわけだし。お面が見えるかどうかの確認は後日あらためて……母にこの間の喫茶店にでも来てもらえばいいんだから」


「心配してくれてありがとうございます。でも、あたしは大丈夫ですから。それに用があるのはあたしのほうなのに、桜小路さんのお母さんにご足労をお掛けするわけにはいきません」


 僕のほうを向いて、坂ノ下さんはきっぱりと言った。


 ……相変わらず、坂ノ下さんほ男前であった。もちろんそんなことを言っても、女の子は喜ばないと思うので口にはしなかったけれど。


「ここで立ち止まっていたら約束の時間に遅れてしまいます。さあ、いきましょうか」

 坂ノ下さんが声を明るくして言った。


 こうして僕たちは、夏の空と陽射しの下、再び山裾へと自転車を漕ぎはじめたのである。



 □ □ □



「うわぁ……」


 十数分後、我が桜小路家の門前に立った坂ノ下さんの第一声がそれであった。

「何ですか、この広さは……あたしの家がまるごと二、三十軒くらい入ってしまいそうじゃないですか……」


「それはいくら何でも大げさでしょ」

 坂ノ下さんを連れて敷地内に入りながら、僕は苦笑する。まあ確かに、純和風の母屋以外にも、離れやら蔵やら庭園やら東屋やらいろいろとあるけれど、さすがにそこまで広くはないだろう。


「お母さん、いま戻ったよ。昨日話しておいた後輩を連れてきたから、悪いけど応接間まで来てもらえる?」

 玄関の引戸をカラカラと開けて屋敷内にそう呼び掛けると、「はーい」という返事がそう遠くないところで響いた。


 ほどもなく、母親が廊下の奥からその姿を現して──



「きゃあああっ!」と大きな悲鳴を上げた。



「えっ、何!? どうしたの!?」

 驚いて駆け寄ると、その僕の身体にしがみつくようにしてお母さんは唇をワナワナとさせる。


「か、和ちゃん……、お、お、お、お……」


 お──って、もしかしてお面!? お母さんには坂ノ下さんのお面が見えるのか!?

 ということはやはり、うちの山に入ったってことが、ホラーっぽいお面が見える条件なり反応する条件なりであるということなのか。


 僕はお母さんにしがみつかれたまま、警戒する。


 いまでこそホラーっぽいお面は何ごともなかったようにおとなしくしているけど、お面を見たあと、坂ノ下さんは顔にくっつかれたのだ。お面を見たあと、僕は殴り掛かられたのだ。

 お面がどうしてそういう反応をするのか、どうして反応の仕方に違いがあるのかは解らなかったが、お母さんにもお面が見えるというのであれば何らかの危害が及ぶ可能性が考えられる。それは絶対に阻止しなければならないことだった。


「か、和ちゃんが、お、お、お、女の子っ、はじめて女の子を連れてきたぁぁぁあああっ。しかも、すごく可愛い子! お母さん嬉しいっ。きゃあああっ!!」


 見えていなかった。


 お母さんには、坂ノ下さんのお面がまったく見えていなかった。見えていたなら可愛い子なんて台詞は出てこないはずだから。それによく聞けば、悲鳴じゃなくて、ただの黄色い声だった。


「でかしたわっ。でかしたわっ、和ちゃん!」


 これはいったいどういうことなんだろう……と考えようとした僕を、お母さんが思い切り前後に揺さぶって邪魔をする。

「ちょっ、お母さん、落ち着いて!」


 こんなことなら昨日、もっとちゃんと説明しておくべきだった。何となく照れてしまって、坂ノ下さんのことをただの後輩としか伝えていなかったのである。つまり女の子とは一切言っていなかったのだ。


「と、とにかく上がって、上がってくださいな!」

 お母さんは僕からパッと手を放すと、玄関で立ち尽くしている坂ノ下さんに駆け寄った。


 その襲い掛からんばかりの勢いに、坂ノ下さんは思わずといったふうに後ずさったのだが、そんな彼女の腕をがっちりと摑んでお母さんは「さあどうぞ、さあ上がってください、さあさあさあさあ!」と急き立てた。


 坂ノ下さんのホラーっぽいお面よりも、お母さんの行動のほうがよっぽどホラーっぽいな……と思っている間にも、僕の脇を通って坂ノ下さんは応接間へと連れ去られてしまった。


「お名前は!? お名前は何ておっしゃるの!? ──坂ノ下陽菜さん! まあ、可愛らしいお名前だこと! あなたにピッタリね! それに桜小路陽菜っていうのもピッタリだわ! きゃあああっ!!」


「ちょっ!? お母さん落ち着いて! 彼女はそういうんじゃないよ、昨日言ったとおり──」


「これが落ち着いていられますかっ。あの和ちゃんが……保育園でも幼稚園でも小学校でも中学校でもまったく女っ気のなかったあの和ちゃんが! は・じ・め・て、女の子を連れてきたんだからぁっ」


 ──ちょっとお母さん、勝手に息子の悲しい過去をぶちまけるのはやめてくれませんかね?


「これはあれね、お祝いしなくちゃねっ。桜小路家一門を挙げて──いえ、もうこの町中を挙げてお祝いしなくちゃねっ!!」


 やめて。何でもかんでも大ごとにするのはやめて。昨日そういうのやったばかりでしょ。しかも、変な勘違いしたままだし。

 もともと僕の母親は陽気な人ではあったけど、今日は完全に調子がおかしくなってしまっている。それだけ喜んでくれているってことなんだろうけど……。


「だから違うんだって、お母さん。坂ノ下さんはただの後輩で、今日来たのはうちの山について──」


「あら、いけないっ。私としたことが!」


 そこでお母さんがハッとした表情になったので、ようやく話が通じるようになったのか、と僕は一瞬期待したのだが。


「親戚や町の人に伝える前に、まずはお父さんに知らせなくっちゃねっ。陽菜さん、ちょっと失礼するわ!」


 駄目だった。


 一方的にそう言い残すと、お母さんは応接間を慌ただしく出ていった。おそらく──というか間違いなく、自分の夫すなわち僕の父親に電話を掛けにいったのだ。この時間、会社経営者はまだ仕事中だろうに……。そういったことにも頭が回らないほど、お母さんは興奮してしまっているのだった。


 つまり──


「これはどうも、まともに話ができるような状況じゃないね……。せっかく来てもらって悪いんだけど、ここはひとまず退散するとしようか」


 さっきから座卓の前で固まってしまっている坂ノ下さんに、僕は声を掛けた。お面で見えないけど、彼女の表情が呆気に取られたものになっていることは簡単に察しがついた。


「は、はい……」


 何処かおぼつかない様子で立ち上がった坂ノ下さんを連れて、僕は応接間をあとにする。その途中でふと、いなくなった僕たちを探し回られても困ると思い、「ちょっと急用ができました」という書き置きだけは残しておくことにした。


  廊下の奥のほうで高い声が響くのを聞きながら、僕たちはそそくさと玄関から出ていったのである。


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