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第十幕 納面祭

「桜小路さーん!」


 少し離れた場所から女の子の元気な声が響いてきた。

 ぱっと顔を上げると、道路の先にこちらに向かって自転車を漕いでくる坂ノ下さんの姿が見えた。


「すみません、お待たせしてしまいましたか?」

 十数秒後、自転車を降りた坂ノ下さんは少し息を切らせながらそう訊いてきた。


「い……いや、だ、大丈夫。僕もいま来たところだから」

 妙にどもってしまったのは、いまの状況があまりにも恋人同士っぽいものだったからである。

 もちろん僕たちは恋人同士でもなければ、これからデートに出掛けるわけでもなかったが……。


 坂ノ下さんは昨日のありきたりの制服姿とは違い、今日は動きやすそうな私服姿をしている。僕はファッションに詳しいほうではないのでよく解らなかったが、青と白を基調とした上下はとても夏らしく、可愛らしいものだった。


 しかし……一番上にチラリと視線をやれば、そこにあるのは相変わらずホラーっぽいお面であった。一晩経てば彼女の素顔が見えるようになるかも──なんて心の隅で期待していたのだが、そんな都合のいいことはそうそう起こってはくれないらしい。

 まあ、動いたり喋ったりしないだけでもよしと言えるのかもしれないけど。


 ただ……坂ノ下さんの話では、山でのやり取り以降ずっとおとなしくしているとのことだったが、昨日僕はいきなり殴り掛かられているので警戒はしておくべきだろう。


「それじゃあ早速ですけど、案内してもらえますか?」


 坂ノ下さんに促されて、僕は止めておいた自分の自転車に手を伸ばした。


 僕たちが待ち合わせたのは、駐車場なのか空地なのかはっきりしない広場の、その端に一本だけ立っている大樹の下である。

 午後の空はよく晴れていて紫外線が踊りまくっているに違いなかったが、今日は風があり、それが山の涼気を運んでくる。青々と繁る樹木の下などにいれば、昨日よりもかなり過ごしやすかった。

 そういえばまだ、蝉の声を聞いていない。夏の暑さを助長するようなあのやかましさはもう少しだけ先だろうか。


 僕たちは二人並んで自転車を漕ぎはじめた。いまの広場を待ち合わせ場所に選んだのは、この辺りの事情にあまり詳しくないという坂ノ下さんにも解りやすい目印があったのと、これから向かう目的地にも比較的近かったためである。


 僕たちの行く先は町立図書館であった。伝統行事や神社を調べるにしても、いきなりその関係者たちに話を聞きにいくのはちょっと抵抗があった。なので、まずは図書館で調べてみようかと昨夜のうちに連絡を取り合っていたのである。


 もちろんその前に、僕はインターネットを使って情報集めをしてみたのだが、そこは辺ぴな田舎町の常でろくなものが得られなかった。

 我が町の公式ホームページに「昔からこの地には、先祖伝来のお面をつけておこなわれる夏の伝統行事があります」という、本気で説明する気も宣伝する気もなさそうな一文を見つけたくらいであった。


 ちなみに昨日、僕は坂ノ下さんと別れたあと、母親が迎えに来てくれるまでの間に例の中央通りをがんばって調べてみたのだが、やはり目ぼしいものは見つからなかった。喫茶店で飲んだアイスコーヒー以上の汗を全身から垂れ流しただけで終わってしまった。


 畑沿いの道路を十分ほど走ったところに、コンクリートでつくられた味も素っ気もない三階建ての建物が見えてきた。目的の図書館である。駐輪場に自転車を止めると、僕たちは自動扉をくぐって館内に入った。


 冷房の風を受けながら僕は周囲をぐるりと見回す。所狭しとスチール棚が並び、紙特有の匂いがうっすらと漂っている。


 さて用があるのは、民話や伝承、郷土資料といったところなんだけど……。

 図書館の場所こそ知っていたものの、めったに利用しない場所なので何が何処にあるのかはうろ覚えであった。

 案内図でもないものか、と受付のほうを見ると、そこに座っていた司書と思しき中年女性と目が合った。


「あらぁ、桜小路家のおぼっちゃんじゃないですか。あらぁ、お久しぶりです。お元気でしたか?」


「お、お久しぶりです」

 と応じたものの、僕はその中年女性の顔にまったく見覚えがなかった。

 しかし、それは僕にとってはよくあることだったので、いちいち気にしていてもしようがない。なるべく愛想のいい笑顔を浮かべながら自分の用件を切り出すことにした。


「えーっと、民話や伝承──」


「あらぁ、後ろのお嬢さんは、もしかしておぼっちゃんのカノジョさんですか?」


 僕の言葉を遮るようにして、司書のおばさんは受付から身を乗り出した。その態度と視線は如何にも嬉々としており、ホラーっぽいお面が見えていないことは訊くまでもなく察せられた。


「えーっと、彼女は僕の後輩でして。縁あって、夏休みの自由研究を一緒にやることになったんです」

 昨日の喫茶店では上手く説明できなかったのだが、今日はこんなこともあろうかと事前に台詞を用意してきたので余裕を持って答えることができた。


「あらぁ、そうなの? 後輩さんなの? あらぁ、それだけなの?」


 司書のおばさんはもっと何かを引き出そうとするかのように僕と坂ノ下さんをチラチラと見たが、僕は愛想笑いを浮かべたまま黙殺した。


「それででしてね、民話や伝承、郷土資料などがある場所を教えていただきたいんですけど?」


 あらぁ……と司書のおばさんはもう一度残念そうに呟いたが、そのあとはちゃんと仕事をしてくれた。


 館内の一角に案内された僕たちは、そこにズラリと並ぶ本のタイトルから気になるものを引き抜いていくことにした。

 お互いに十冊くらいの本を抱えるようになると、今度は閲覧席に座ってそれらのページをひたすらめくりはじめる作業に入った。


 昨夜のインターネットの不毛さからその調べものは難航が予想されたのだが……わずか二十分足らずで、僕たちはいくつかの情報に辿り着くことができたのである。



 □ □ □



 かつて、この田舎町には土着の信仰があったそうだ。いわゆる山神信仰と呼ばれるものであり、その対象とされていたのが、何と我が桜小路家の所有する山ということだった。

 うちの山の近くに建つ神社──平山神社は、もともとその山神信仰を取り仕切るために造営されたものらしい。


 また、ここの山神信仰は他の多くの山神信仰と同じように山の恵みをもたらしてくれる神に感謝を捧げるというものであったが、一つだけ変わった点が存在していた。

 それは、神に対してのみ感謝を捧げるのではなく、山の恵みとして人々の生命の糧となった──つまり人々の胃袋に収まった──木の実や山菜や動物たちに対しても感謝を捧げる、という点であった。


 人々は木の実や山菜や動物たちを複合して象ったお面を制作し、それをつけて舞い踊ることによって感謝と鎮魂を表したそうである。


 現代ではその土着の信仰はすっかり廃れてしまったらしいのだが、自然に対して感謝と鎮魂を捧げる部分だけはいまなお残されているという。

 毎年夏、平山神社でおこなわれている伝統行事はまさにその部分を引き継いだものであるそうだ。


納面(のうめん)(さい)」──それが、その伝統行事の正式名称であった。


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