嘘
茜が嘘をついている。
それは、初めてこの少女に対して僕が興味を持つことができた一言だった。
「……それは、どんな嘘なんだ?」
「わたしは、嘘をついているだけしか知りません」
それしか知らないのか、と心の中で呟いた。
「あと、茜さんは……」
少女は、もったいぶった様子で言葉を止め、まるで僕が注目する様を楽しんだのち言葉を進めた。
「消えて無くなっちゃいますね」
少女は茜が口の中に入れた綿あめのようにごく自然なことかのように、消えると答えた。僕はこの少女の正体も知らない、今の発言が真実かも不鮮明状況だ。だが、その言葉に僕の背中に寒気が走った。だから、必死に少女へ問いかけた。
「消えてなくなるって、それは、どういう!!」
「ただいま――。もう、凄い雨だね。びしょ濡れだよ」
能天気な鼻歌交じりで茜が帰宅した。玄関扉から響き渡る豪雨の音が先ほどよりも大きく聞こえてきた。
「総一郎? まだ帰ってないの?」
茜は心配そうに僕を探している。
「茜さん、帰ってきたみたいだからお兄さんには少し休んでもらおうかな」
その瞬間、僕を締め付ける力がまるで重機のスイッチを入れて起動させたかのように無常に力が増し、僕の意識を散らした。最後に聞こえたのは、茜の驚く声だった。
目を覚ますと僕は見慣れた天井が目の前に映った。背中に伝わる寝具の感触はまさに自分のベッドだった。先ほどの謎の力で締め付けられた身体の箇所が痛む。
そのまま横になっていると台所から流れてくる夕食の匂いが僕の鼻腔を刺激した。中辛のカレーの匂いだ。僕は茜が夕飯を作ったのだと思い、ベッドから降りて食卓に目を向けると。
どうだろう。先ほど僕を絞め殺さんばかりの勢いで力を行使した金髪の少女が美味しそうにカレーライスを頬張っていた。
「何時食べても茜お姉ちゃんのご飯は美味しいな。これなら何杯でも食べられるよ、おかわり!」
「ありがとね。でも、食べ過ぎてお腹壊さないでよ?」
「大丈夫大丈夫。私、身体は丈夫な方だから」
茜が盛りつけたカレーを少女は受け取り、再びカレーを食べ始めた。
「これは、いったい?」
僕は困惑していると茜は僕が起きたことに気付いたのか、乱暴にカレーをかき混ぜていたお玉を鍋に放って僕に駆け寄ってきた。
「総一郎、大丈夫!? どこか痛むところはない??」
「いや、別に特別痛いところはないけど」
痛くないふりをして身体の隅々を見てみるが、やはり動かすとどこかしら鈍痛がする。
「よかった……。有栖がシャワーを浴びている時に総一郎が入ってきて、驚いて転んで頭を打ったと
聞いた時はどうなることかと思ったよ」
「転んで頭を打った……? いや、それよりも今、有栖って言ったか? それはそこでカレーを食べているその女の子のことか??」
「その女の子って」
茜は信じられないモノを見るような目でため息を漏らす。
「有栖は私たち兄妹の末っ子でしょ。もしかして、頭を打ってそんな大事なことも忘れたの? 駄目な、総一郎ね――」
「ね――」
茜と有栖と呼ばれる少女は楽しそうに相打ちを打つ。
何がどうなっているのか分からない。僕は揶揄われているのか。
「どういうことだ、茜。そんな悪い冗談は止めてくれよ。その子はつい先日、少し会話しただけの赤の他人だぞ?」
一瞬、僕の部屋は静寂に包まれた。まるで僕の方がおかしなことを言っているような雰囲気。
「え――? 赤の他人なんて酷いよ、総一郎兄さん」
わざと感を出したぶりっ子口調で有栖と呼ばれた少女は言った。
そして、僕の言葉に茜は表情を暗くし、あからさまに不機嫌な様子で話した。
「総一郎。私も若干のおふざけや冗談も許す方だけど、流石に実の妹を赤の他人呼ばわりは駄目よ。有栖に謝りなさい」
「で、でも……」
芝居にしては心の籠った言動。茜がここまで念の入りが入ったドッキリだったり、悪ふざけをするはずがない。」だとしたら、茜は本心でここにいる有栖と言う少女を自分妹だと思い込んでいるのか。
どういうことだ。茜自身のことも良く分からないままなのに、また周りの常識に不可解なことが紛れ込んでいる。頭がおかしくなりそうだ。
「はいはい、ハ――イっ!!」
陽気しか取り柄がないような明るい声。この険悪な空気に割って入ったのは有栖だった。
「実はね。さっき、茜お姉ちゃんが気付く前にお兄ちゃんと話し合って『記憶喪失ごっこ』しようってことになってました――」
「えっ? もう!! また有栖はそんな悪戯をっ!!」
茜が怒ると有栖はキャッ――っと叫びながら僕の背に隠れるように陣取った。
「総一郎も総一郎よ。こんな悪趣味な遊びに付き合って」
「だから、僕は何がなんだか……」
すると、僕の耳元で有栖が囁いた。
「出来るだけ話を合わせて。後で説明する」
有栖は先ほどの元気な女の子の口調と打って変り、冷静で大人びた口調だった。僕はこの判断材料が何もないこの状況で彼女の言葉に従うことにした。
「あ、あぁ……。 有栖がお姉ちゃんが驚くところが見てみたいと言っていたからつい付き合ってしまった。でも、実際は怒らしてしまっただけになってしまってゴメン」
「茜お姉ちゃん、ごめんなさい」
僕の言葉に先ほどの子供らしい口調で有栖も続いた。
「……分かったわ。サプライズもいいけど、悪趣味なものはもうやめてよね」
「は――い」
幼稚園児のような返事で僕と有栖は返事をした。
「総一郎、それじゃ夕飯のカレーライスを食べよっか」