理由
「だから、僕には”妹”はいないって!」
『総一郎、何を言っているんだ?茜はお前の妹じゃないか?』
急な訪問者に動揺した僕は実家に住む父さんへ電話をした。だが、何をふざけたことを言っているとまともに取り合ってもらえなかった。父さんの中では突然現れた妹と名乗る女の子は、僕の妹として認識されているようだ。
『今年の夏休みは、茜が都市部のいくつかの高校の説明会に参加するから、その期間はお前のところで面倒見ろと前に言ったじゃないか?もう忘れたのか?』
父さんの言葉を聞くと記憶が蘇る。いや、蘇るのではなく”捏造”される。とても気分が悪い。まるで中世の魔女裁判の様子を横から眺めているかのようだ。しばらくしたら、何が正で何が偽か自分自身で判断できなくなりそうな強力な囁き。執拗に”訪問してきた娘はお前の妹だ”と、自分の脳が疑いもなく肯定をしてくるのが尚のこと気持ちが悪い。
「…………いや、思い出したよ」
『夏休みだからって、寝てばっかりいるとこうして寝ぼけた事を言うんだ。ちゃんと生活リズムを乱さずにしっかりしなさい』
「わかったよ。父さん……」
『じゃあな、茜のことは頼んだぞ』
通話が切れると、僕は納得がいかないままスマホを放り投げた。そして僕の頭を悩ます張本人は、ベッドの上で先日買って取っておいたカップ容器に入ったアイスクリームを食べていた。
「どうやら、私は世間の認識だと”茜”という名の女の子の扱いになっているのね。興味深いわね」
その発言の事務的な口調と眉一本動かない表情、どうみても興味深そうに思っているようには僕は思えなかった。まるで、そんなことはどうでもいいと言わんばかりの態度だ。
「もう、僕には分からん。君が何なのか、どういうことになっているのか説明してくれ。頭が爆発しそうだ」
僕は額に濡れタオルを置いて、デスクチェアにもたれ掛かった。
「君、とは悲しい呼び方だな。せっかく生き返った元姉に対して」
「まだ僕はそんな奇跡を信じていないから」
そう僕が言うと、彼女はくすくすと小さく笑った。
「姉が死んだ。転生した。今度は妹になった。ね?簡単でしょ」
ストロベリーアイスを食べて上機嫌な彼女はベッドで足をバタバタさせながら答えた。
「そんな三分クッキングのように端的に説明しないでくれ……。もっと真面目に、詳しく」
僕の言葉を聞いた彼女は少し考えた素振りをしたのち、アイスを食べることをやめてベッドのふちに座り込んだ。
「総一郎、真面目君に育ったんだね。そうだね、私自身も分からないところは多いんだけど」
「総一郎、覚えてる? あの事故があった夕方と私が亡くなった夜のことを」
「…………」
僕は無言で頷いた。
「最後に見た光景は、私ことを叫ぶ弟の姿だった。貴方が無事であることに安心した私は気を失い、意識不明のまま出血多量でこの世を去った」
「するとね、暗闇の世界にたどり着いたの。周りには蛍火のような光が僅かにあって、出ては消え、出ては消えを繰り返していたわ。私は直感でこれは魂なんだと思ったの。そして、ここは死後の世界なんだとね」
「……そこには、君の他に誰もいなかったのか?」
「来た時には誰もいなかったわ。私は病院の待合室で待つような長い時間が経った気がした。それからしばらくしてかしら、私を呼ぶ声が聞こえてきたの、あれが神様なのかなと思っていたらこう言われたの。 『あなたは記憶を持ったまま転生する機会を得られました』って」
「なんだそれ。胡散臭いな」
「フフフッ、私もその時は新手の詐欺だなと思ったわ。でも、話を聞くと本当のようだった」
「断る気はなかったのかよ。そんなのめちゃくちゃ怪しいじゃんか」
「怪しいけど、断るはずないでしょ? お父さんとお母さん、そして総一郎にもう一度会えるかもしれないんだから」
彼女は、屈託のない笑顔で恥ずかしげもなくきっぱりと即答した。
「そして、私は転生することを決めて神様に二つのお願いをしたの。一つ目は右眼を死んだ時と同じ状態にしてほしいということ」
「え? なんでだよ。わざわざ傷跡を残すようなを願い出なくても」
「これがあれば、当時を思い出しやすいでしょ?私も総一郎も」
「僕はあまり、あの出来事は思い出したくないが……」
右眼に残した傷跡を触れながら、ベッドの上で首を傾げてこちらを眺める彼女の表情はどこか儚げであった。また、吹いたらどこかに行ってしまいそうな雰囲気だと感じた。
「実際、この傷跡のおかげで総一郎が思い出してくれたようだし、残しておいて正解だったわ」
「だから、僕はまだ君を認めたつもりは」
「それでね、二つ目のお願いはね」
「……話を聞いてよ」
すると、急に彼女は俯きブツブツと小声で呟きながら身体を震わせ始めた。
「どうした!? 体調が悪くなったのか??」
僕は慌てて彼女へ駆け寄った。が、
「わ、私を……。総一郎の妹にして下さいってお願いしたの!!!!」
そんな阿呆みたいな理由を叫びながら僕に目掛けて自称元姉、自称妹の存在が空高く舞い上がり抱きついてきた。
「何をするんだ!? やめろっ!!」
「あぁっ――!! 総一郎の身体って、今こんなに大きいんだぁ。ガッチリしてる。中性的な顔立ちなのに思ってたよりも男臭くて、なんとまあいい匂い……。くんかくんか。スッーハアッー―スウウゥゥ!!」
「そこで何故、妹になりたいになるんだよ!! 普通、そこは以前の姿で生き返るものだろ!」
自分の身体から振り解こうとするが、なんという馬鹿力。この自称生物らしき存在は離れようとしない。
「前と同じ身体と立場なんて詰まらないじゃない。第二の生なんだから、自分が追い求める理想の姿になりたいじゃない?」
冷静な口調で理由を説明しながら、無我夢中でにぐりぐりと僕の腹へ頬をこすりつけながら言う彼女。
「え? それって」
「そうよ! お姉ちゃんはね。死ぬ前からずっとずっと! 総一郎の妹になるのが夢だったの!!」
満面の笑顔で僕に抱き着き、彼女は叶った夢を叫んだ。
僕は変わらず頭を抱えながら話題を変えた。
「ところで、そこでうろついている黒猫は何? いつの間にペット飼ってたの?」
「いいや、違うよ。私がこっちに来てからずっとついてきてる子」
「得体のしれないモノを連れまわして」
「そんな可哀想なことを言わないの。あっ! 名前はもう決めてあるよ。クロって名前にしたの。ぴったりでしょ?」
浜松という地名にある城だから”浜松城”と名付けた徳川家康と同等のネーミングセンスを彼女は発揮していた。そのクロはといえば、僕たちのやり取りに関心した素振りは見せなく、机や書棚に飛び移りながら自由気ままに部屋を闊歩していた。僕がこうも苦しんでいる最中なのに猫は気ままでよいものだ。
「さてっと、うちはペットは可か不可かどっちだっけな」
僕は部屋の契約書を探すために書棚の奥をあさり始めると、彼女は信じられないものをみたかのような眼で僕をにらみつけた。
「まさか、総一郎……。クロを追い出すつもり!?」
「つもりも何も。駄目なら外に出さないと」
「ダメダメダメ!! クロを寒い夜空の下で過ごさせるなんて可哀想よ!」
「今、夏真っ盛りだけど」
「なら、夏の業火で焼け死ぬ!」
「ならってなんだよ」
僕は彼女の戯言を受け流しながら契約書の中身をチェックしていった。
「ううん? あれ、なんでだ?」
だが、目次や注意事項を読み通すがペットに関する項目は一切なかった。不思議に思ったことは最後の一頁が真っ白であることだけだ。
「おかしいな。今時、ペットに関する項目はどの賃貸でもあると思うんだが」
「ねえねえ! 書いてないなら、ペットは飼ってもいいってことじゃないの!?」
猫のように大きな眼になった彼女が期待の眼差しで僕の顔を覗き込んできた。
「……駄目とは書いていないし、これは飼ってもいいものなのかな?」
「やったー! これからも一緒にいられるよ、クロ」
彼女は寝ているクロの背中を優しく撫でると、クロは気持ちよさそうにあくびをした。
「まあ、駄目だったらその時に大家さんに怒られればいいっか。契約書にも書かれていなかったわけだし」
僕は彼女とクロの姿を見て、そう思った。真実はどうあれ、できるだけ彼女の悲しそうな姿は見たくないのが本音である。
こうして、一人と一匹が僕の部屋に居候することになった。