再再会
「ただいま」
玄関の扉を開けて家路についた。玄関先には昨晩から残っている洗い物が僕の帰りを歓迎しているようにたくさん積まれていた。僕はその歓迎を無視して居間に向かった。
1Kのベランダ付きアパート。勉強机に椅子、ベッド、テーブルに電化製品一式の必要最低限なものだけを置いている。一人暮らしの学生はこのぐらいの広さで十分だと思っている。
僕は、今朝置きっぱなしにしてすっかり常温になってしまった麦茶をコップに注ぎ、喉を潤した。ベランダの戸を開けると、涼しげな風が熱気のこもった室内を一新してくれた。このまま、部屋の掃除もしてくれれば助かるのだが。
掃除もする気もなく、そのまま僕はベッドへ倒れこんだ。勉強にテストに終業式。ここ数日は何かと慌ただしかったな。
……いや、違う。先ほどに会った少女。彼女に会ってから何故だか、疲れがどっと漏れ出したかのようだ。あの、人の奥底まで見透かすのような眼光。まるで蛇が目の前のネズミを食べないままじっと動きを観察しているような、卑しく不快な目つきに感じた。今度彼女に遭遇したときはサングラスがほしいものだ。
ベッドにあったタオルケットに包まり横になると、何時しか瞼が重くなっていくことを感じつつ、その夢心地を受け入れた。
ピンポーン、ピンポーン
気づくと、先ほどの自室の様相から変わり、夕日が差し込み赤みがかった部屋になっていた。開けていた窓からは少し肌寒い風が室内に入ってくるのを肌で感じた。
「また寝てたのか。案外、疲れが溜まったのかなぁ」
僕は寝起きの状態で身体を伸ばしているとまた
ピンポーン
と、玄関の方からチャイムの音が鳴り、キッチンを隔てて響いてきた。
「珍しい。うちのチャイムが鳴っているのか」
宅配便が来る予定はないし、僕の部屋に来るような友人は一人としていないからだ。そう、自分で悲しくなりつつ玄関へ向かい、
「はい。どちら様でしょうか?」
扉を開けながら、半眼の寝起きの低い声で訪問客に訪ねた。
「私よ、総一郎」
総一郎。久しぶりに人の声で聞く僕の名前だった。僕の名を呼ぶその声はどこか懐かしい声に感じた。しかし、僕の視線の先には、誰も立っていなかった。
「こらっ、下を見なさい。下を」
引き続き、少しムッとした調子の声が聞こえ僕は視線を下ろした。
そこには、一人の少女が佇んでいた。ピンクのキャミソールにショートパンツとラフな恰好。右目は眼帯で覆われており、華奢な身体で、その長い黒髪が夕方の肌寒い風で絹のように靡いていた。しかし、今日は何故、こうも少女に話しかけられるのだ。
僕はこの子にも、心当たりはなかった。
「なんで、僕の名前を知っているの? 君は誰? 親戚の子だっけ?」
僕のこの発言に少女は更に機嫌を悪くしたらしく、笑顔ながらも不快感全開のオーラを出し放した。
「嘆かわしいわ。あれだけ、私のことを想っていてくれていたのに忘れてしまったのね」
「何のことだ?だから、僕は君のことを知らないと……」
僕の発言が言い終わる前に、彼女は側に置いていた大きな旅行鞄を掴み、力いっぱいに僕に目掛けて投げ放った。咄嗟の出来事で対応できず、見事に頭へヒットしたのち、僕は態勢を崩して後ろに倒れ込んだ。
「何しやがる! このクソ餓鬼っ!!」
「クソ餓鬼? 姉さんは、そんな口の悪さは教えたつもりはないけど?」
確かに、先ほどの少女の声だった。今まで聞いたことがない初めて聞く声の音質。だが、どこかしら懐かしさと背筋が引き締まるような感覚に包まれた。
「は?姉さんだ? ぐふっ!!」
少女は混乱する僕の腹の上に無造作に先ほど投げた旅行鞄を叩きおろし、その鞄に座り込んだ。
「なんだよ……。いってぇ――な」
「ねえ、総一郎。触ってみて」
そういうと、少女は右眼の眼帯を取り、僕の手を掴んで傷跡が残る右眼に触れさせた。
「あの時ね。ただの流血だと思っていたんだけど、どうやら失明していたらしくってビックリしたよ。まあ、その後にすぐ死んじゃったんだけどね」
「は? 何言ってるんだお前……」
縫合した糸の跡が指先からはっきりと分かった。初めて触れた少女の傷。だが、記憶の片隅で僕はこの傷を見たことがあった。しかし、僕には今何が起こっているのか理解ができなかった。いや、理解したくなかった。
「でも、もう理解しているんでしょ?私は貴方の姉さんの葵よ。こうしてね、総一郎のために妹として転生したの」
一字一句、僕は彼女の発言を受け入れられなかった。