運命
「しかし、”過去をやり直す”と言っても、魔法のように簡単にはいきません。何かしらの代償が必要です」
「……その代償って?」
僕が尋ねると、
「総一郎さんの存在です。命ではありませんよ。この世界に居なかった存在として扱われます」
と、朗らかで柔らかい表情で答えた。
「想像していたが、結構大きな代償だな」
「過去と言う世界の成り立ちをいじくるわけですから、この程度の罰で許されるならお釣りがきますよ」
「じゃあ、きつめの罰とはどんなものがあるんだ?」
「聞いただけで発狂して、その人間が自害してしまう内容です。あっ、これは比喩ではないですよ」
有栖は脅しでも誇張でもなく、ただただ真実を述べている平坦な表情で答え、自分の背筋にピアノ線を押し付けられたかのような寒気が走った。
「それで、総一郎さん。どうしますか? ”行きますか?”」
有栖は僕から確信が持てる返答が欲しいからか、語尾を強調した質問も投げかけてきた。もちろん、僕の答えは決まっていた。
「僕は、この世界でやるべきことは終わった」
「だから”行くよ”」
有栖は、やはりその選択肢を取るんですねと言わんばかりの表情を浮かべ、少し目が潤みながら分かりましたと答えた。
「でも、いいのか有栖。この世界の姉さんは救われて、君の目的は達成されたんだ。過去まで行ったら君だってただじゃ済まないじゃないのか?」
「何を今更。私はね、助けたい人が”もう”一人できてしまったんです。だから、これは仕方ないんですよ」
有栖は恥ずかし気に話し、にっこりとほほ笑みを見せた。僕は姉さんだけではなく、あの日の正午に出会った少女にも助けられていたのだと、考え深く感じた。
「ありがとう、有栖」
「感謝の言葉は成功してから言ってくださいね」
「では、私の手を握り、当時の光景を思い出して下さい。辛いかもしれませんが、鮮明に思い出すようにして下さい」
僕は有栖に言われるがまま手を握り、目を閉じて当時の光景を頭の引き出しから引っ張り始めた。真っ赤な夕日、鉄臭い匂い、どよめく群衆。様々な記憶の断片や情報をかき集め、脳内に残った視覚の情報へ当てはめていき、復元していった。
「総一郎さん、この記憶で正しいですか!? 大丈夫ですか?」
有栖は僕の記憶を閲覧しているようだ。
「あぁ、この当時の忌々しい記憶で間違いない」
「了解です! では、この記憶を頼りに当時の時間軸へ転移します! ……本当に、やりますか?」
弱弱しい声で有栖は尋ねる。
「……いい、やってくれ」
両手越しに有栖が握る手に力が入ったことが伝わった。
「では、そのまま記憶を思い出し続けてください。私がいいと言うまで目を開けないように!」
すると一瞬、電車の出発時のような揺れを感じたのち、周囲が無音になった。先ほどまで聞こえた虫の鳴き声や風の音が停止ボタンを押したかのように綺麗に聴こえなくなった。
「はい、大丈夫です。目を開けていいですよ」
有栖の完了の言葉が聞こえるまで一秒と掛からなかった。そして、再び自分の耳に環境音が聴こえてきた。それは夜間の校舎の屋上から聴こえる静けさではなく、多数の車のエンジン音だった。目を開けるとそこは、交通量が多い道沿いにある僕の見知ってる当時の公園だった。西の空で光る太陽が普段見る姿よりも赤々しく感じた。
公園に目を向けると、二人の人影があった。一人はサッカーボールでドリブルの練習をしており、もう一人はその練習を見守っていた。その二人は、あの当時の事故に遭う前の姉さんと自分だった。
「姉さん、だ……」
まだ茜になる前の、並木 葵の姿の姉さんが砂や土で泥だらけになっている当時の自分を眺めていた。
「どうやら上手くターニングポイントの前に来られることができましたね」
有栖は、やり切った満足した表情を浮かばせていた。その表情はどこか誇らしげだった。
「有栖、これ以上ないグッドタイミングに送ってくれた。いい仕事をしたな。あとはあのサッカー小僧がトラックに轢かれる状況を回避すればいいだけだ」
確か、事故の直前に公園の柱時計の鐘の音が聴こえて、その直後にボールを道路まで飛ばしてしまったんだっけな。時計を見ると5時57分を指していた。あとは公園の出入り口に陣取って、自分が蹴ってくるボールを幼い自分に返すだけだ。
「思ったより簡単に事実を変えられそうだな。有栖は万が一に備えて、事故が起こる時間に姉さんの気を引き付けておいてくれ。姉さんに事故の瞬間だと認識されたら、本末転倒だからな」
「わっかりました!」
有栖は姉さんの側に近づき、その時が来るまで待機を取った。訪れる時間と場所、状況把握。全てが上手くいっていて僕の緊張の糸は解れつつある中、公園の出入り口でボールが飛んでくるのを待つことにした。
そして、6時の鐘の音が鳴った。その数十秒後、男子の、あっと言う声が聞こえた後にサッカーボールが僕の目の前に転がってきた。僕はそのサッカーボールを掴み、走ってきた自分にボールを渡した。
「ありがとう!」
「いいんだよ。ここは車の通りが激しいから気を付けないといけないよ」
ボールを渡した直後に、僕の背中の方から大幅に制限時速を超え、危ない走行するトラックが通り過ぎたことが分かった。思わず、子どもの前で舌打ちしそうになってしまった。
「うわぁ、本当だ。危ないトラックだな――。これからも気を付けるよ、お兄さん!」
これでここにいる幼い僕と姉さんは酷い事故に遭わなくて済む。そして、この世界とは違う人物となった僕はこのまま消滅をして消えるのだろう。
そう思いながら、幼い自分を眺めているが、意識が無くなったり視界がブラックアウトすることもなく、幼い自分と茜色に染まる公園の風景は変わらずにそこにあった。
何も変わらず拍子抜けしていると、もう一人の自分が何やら気付いたようだ。
「お兄さん、なんか公園の外が騒がしいよ?」
僕はその言葉を聞き、言われた方向を見る。そして、驚いたことに当時の僕と姉さんを轢いたトラックが交差点で暴走していた。不規則な動きで蛇行し、他の車の進行を妨害していた。一番、驚いたことは中にドライバーがいないということだ。アクセルを踏む人物がいないトラックは何故かエンジンを回転させて走行していたのだ。
「どうなっているんだ。運転手がいないぞ」
すると、その暴走トラックは僕たちに向かって突っ込んできた。公園の外壁を壊し、僕たちをひき殺すつもりだとようやく僕はこの時点で理解をした。理解はしたが、身体が間に合わない。スピードが出ているトラックと生身の人間の回避行動動作、どちらが早いかは明白だった。
神様って奴は、そんなに自分が作ったシナリオ通りに事を進めたいのかね。わざわざ、こんな摩訶不思議なトラックまで用意してよ。
僕は、自分の死を悟り、目を閉じて受け入れた。しかし、トラックにぶつかる衝撃もなく、周辺の音も消えていた。僕は恐る恐る目を開けると、隣にはいつの間に有栖が立っていて周囲をよく見ると、
”世界が停止をしていた”
トラックも幼い自分も姉さんも周辺の人間や鳥や草木も全て止まっていた。
「大丈夫ですか?」
有栖は僕に尋ねた。
「あぁ、ありがとう。助かったよ。あと凄いな、この時間停止したような力も有栖のものか?」
僕は感謝の言葉を伝えるが、有栖は浮かない表情をしていた。
「総一郎さん、時間がありませんので私の話をそのまま静かに聞いてください」
「えっ、急になんだよ……」
有栖は、人差し指を立ててシーっと言って、僕の問いかけを拒んだ。同時に、有栖の仕業で声を発することも身動きすることもできなくなっていた。
「どうやら、総一郎さんと葵さんを助けたことで本来死亡する人間がいなくなってこの世界は”生贄”を欲しているようです。なりふり構わず、この時間この場所で誰かが死ぬのを望んでいるようです」
「そして、トラックを止めるためにこの一定空間の時間停止という高等技術を使用した落ちこぼれの私は、既に天界の力を使い切ってしまいました。もう、ただの人間と相違はほぼありません。」
「だから、私が貴方たちの代わりに”あちら”へ行きますね」
そういうと有栖は、硬直している僕をトラックの前からどかし、自分が代わりにトラックの前に位置取った。
「あなた達、姉弟は少し変わっていましたが、私とっては守りたいと思った大切なお二人でした。また会いましょうね」
その言葉の直後、周囲の時間は再始動して、僕の意識はそこで途切れた。また、女の子に命を救われてしまった。
「暑い……。 総一郎、何か面白いことない? それかコンビニ行ってアイスを買ってきて……」
「何も面白いことなんてないし、アイス食べたいなら自分で買いにいけバカ姉貴」
学校の夏休みが始まったというもの特段用事がない我ら姉弟は、遠方に実家がある学生専用の寮の一室で堕落した夏を満喫していた。
「ああぁっ! 学年でテストの成績が一位だからって調子乗るなよっ!」
「変な絡み方しないでくれ。余計に暑くなる……」
「ごめん。気を紛らわせないと余計暑く感じちゃって……」
姉さんは再びテーブルへ頭を突っ伏した。エアコンが壊れ、室内は蒸し風呂状態。窓を開けて、風鈴なんて洒落たものを付けてみたが全く効果はない。こうして、哀れな姉弟は猛暑日の太陽からじわじわと体力を奪われていくのであった。
そんな、避暑地に逃げ遅れた二人がいる部屋のチャイムが鳴り響いた。
「総一郎、お客さんよ」
「ここの部屋の使用者名義は姉さんだろ。姉さんが出ろよ」
「あんたの方が玄関に近いでしょ。いいから出ろ」
姉に言いくるめられ、渋々と玄関へ向かう僕。熱が篭って熱くなっているドアノブに手を掛けて、扉を開けた。
「どちら様ですか?」
扉の先には白いワンピースを着た金髪の女の子が立っていた。
「私、南高校に編入してきました、宮本 有栖と言います。隣の部屋に越してきたのでそのご挨拶に伺いました。どうぞ、仲良くしてくださいね」
彼女は満面の笑顔を僕に見せ、フルーツ味のアイスをおみあげとして僕に渡してくれた。彼女の足元をふと観ると、真新しい水色の可愛らしいサンダルを履いていた。




