茜とアイスピック
「ところで、今まで天界で茜と同じく前世の記憶を持ったまま転生した案件はなかったのか?」
僕と有栖は公園を後にし、自宅への帰路を歩いていた。周囲は僕ら二人の足音しか聞こえないほどの静寂が町を包み込んでいた。
「天界のデータベースを調べますと、現在まで数十件報告があったようですが、どれも特殊案件ということで詳しい内容は記載されていませんでした」
「特殊案件?」
「どうやら該当する魂たちは天界での魂の浄化は不可能、現世で解決すべきだと判断されたようです」
その後、有栖は街灯の黄色灯の下で足を止めた。僕も足を止め、有栖の方へ振り返りながら有栖の口答を待った。
「ここからは完全に私の推測になるのですが、茜さんも含めた該当する魂は何か現世に大きな未練を残したからではないでしょうか?天界では対応できない、何か特別な事情を現世に残して」
未練。僕はその言葉を聞くと、あの日の夕方の光景が一瞬浮かび上がり、苦虫を潰したような表情をした。
「未練か。でも、茜は既に僕の妹になりたいと言う願いを叶えているぞ?ここ数日に色んな場所に出かけて、妹として夏休みを謳歌している。未練も無くなっていると思うのだが」
「もしかしたら、茜さんにとっての本命の願いではないのかも」
「本命?」
「そうです。自分の自己意識が認識していない自身も把握していない欲望や深層心理。茜さんは貴方の妹になりたいと言う願いは把握していても、自身の奥深くにある望みを認識していないのかもしれません」
「そんな、当の本人も分かっていない欲求を僕たちがどう調べればいいんだ?」
僕は若干諦めたかのような言い草で有栖に質問した時、一つの本のことについて思い出し、呟いた。
「……茜ちゃんのやりたいことリスト」
「何ですか、それ?」
有栖は初耳の単語について聞いてきた。
「茜が持っている本の名前だ。その中に自分がやりたいことを書き綴っているみたいだった」
「!? では、その本の中に茜さんの現世に戻されたヒントがあるかもしれないってことですね!」
「あぁ、もしかしたらあの本の中身を見れば何か分かるかもしれない」
有栖と一緒に茜の待つ自宅に戻る頃には地面を削り取ってしまうのではと思うほどの大雨が降り始めていた。本のことについてはまた二人で話合うとし、今日はおとなしく就寝することにした。
それから、僕と有栖が布団に入ってから約一時間が経った。有栖の方からは整った寝息が聞こえてくるが、僕は寝付けないままでいた。
茜が残した未練ってなんだろう……。
考えても答えがでないことを考え、疲弊する。僕の悪い癖だ。一度、大きく深呼吸をして身体を横に向かせて寝る姿勢を取り、外で降り続ける雨に耳を傾けて僕は意識を薄くしていった。
雨音で癒されながら自身の夢の中へ誘われようとしていた時、部屋の中でゴソゴソと物音が聞こえてきた。誰かが寝返りをうったのかと考えたがそうではなかった。次にぺたぺたと足音を鳴らし、僕の背中にぴたりと肌を寄せつけてきた。その身体から体温が背中越しに伝わってくる。
「総一郎、起きてる?」
茜だった。茜は僕の耳に吐息がかかるほどの距離まで身体を近づけた。
「……起きてるよ」
「私が何でこうしているか、分かる?」
「……分からない」
「私、知ってるんだから。さっきまでこんな夜中に外に出歩いていたの」
怒っていることが分かりやすい声色で話し、茜はイライラを募らせている様子だった。明らかに日中の茜の様子と異なっていた。
「ねえ、なんでそんなことをしたの?私が嫌いなの?」
「ただの散歩だよ。寝付けないから気分転換に出ただけだよ」
「嘘だ。また私を置いていくつもりだったんだ。でも、怖気づいて戻ってきたんだ
」
茜の言葉が荒ぶっていく。
「置いていくって、いったい何を言って……」
僕は茜の方に向き直そうとするが、自分の首筋に冷たい金属製の物が添えられていることに気が付いた。
それは、アイスピックだった。
「また、動いてどこかへ行っちゃ嫌だから。私が”いい”と言うまでに動いたら刺しちゃうよ」
アイスピックの先端が皮膚に触れあっている感覚はあった。力を入れたらそのまま喉元を貫きそうな感じだ。
「茜……、何しているかは分かっているのか?」
僕は恐る恐る茜に尋ねる。
「うん、分かってる。ちょっとした罰ゲーム。私が満足するまで動いちゃ駄目だから」
茜の声はするが、まるで茜じゃない人物のようだ。直感的にそう感じた。彼女は息を荒げているのか呼吸が早くなっているようだった。
そして、茜はいきなり僕の耳を甘噛みしてきた。僕は思わず、ヒィっと小動物のような声を出し、茜の不可解な行動を受け入れた。と、いうよりも耐えるしかなかった。僕は彼女を救う方法をまだ見つけていないから。こうして受け止めることだけしかできないのだ。
茜は耳たぶをゆっくりと嘗め回し、歯形が付くか付かないかほどの顎の力で噛んだり離したりと楽しんでいた。
「総一郎は、昔からこの小さな耳が可愛いわね。食べちゃいたいぐらい」
そして、茜は今までより強めに耳を噛んだ。
「……そうかな」
僕は興味がまるでない様子で答えた。いやらしい粘着質な音を響かせながら、茜の吐息が唾液でべた付いている耳にかかっていく。茜が幸せになってほしい気持ちと茜に対する嫌悪感が僕の感情の海で混ざり合っていく。
気分が高揚してきたのか、茜は下半身へ腕を伸ばしていき、僕の膝から下を切除した左脚を撫で回し始めた。
「おい、そこは」
「私も身体のあらゆる箇所が潰れていたけど、総一郎も脚を失くして不憫よね」
茜はしつこく切断したつなぎ目の傷を優しく保湿クリームを塗っているかのように満遍なく触れていく。
「でも、先端は脂肪が集まってるから、ぷりぷりして気持ちよくて可愛い。人体ってすごいわね」
と茜は小声で息を殺しながら笑った。
「……でも、あの時は、痛かったわよね、怖かったわよね。大丈夫、私も一緒だから。総一郎と一緒よ」
「…………」
茜の言葉に耳を傾けつつ、僕の頭を撫で続ける彼女の行為を受け入れた。
そして、僕は茜のお人形に徹し続けた。
しばらくすると、心身ともに疲れ切った僕へ気が済んだのか茜が落ち着いた様子で囁いてきた。
「もう、離れ離れになるのは嫌なの。私を真に理解しているのは総一郎だけ。私、総一郎が必要なの」
懇願するような必死なお願いをした上で、次に落ち着いた様子でこう話した。
「逃げてしまうなら、その残った右脚も切っちゃいたい。居なくなるぐらいなら殺してあげたい……」
この言葉で僕の背中は一気に冷や汗を放出した。脅しじゃない、今の状態の茜ならやりかねないと思った。
僕がガタガタと怯えている間に後ろからぱたりと横になる音が聞こえた。
茜が気を失い、すやすやと何事もなかったかのようにいつものように気持ちよさそうに眠っていた。これは普段の茜に戻ると言うことだろうか。だがしかし、彼女には先ほどのアイスピックが握られていた。
先ほどまで恐怖していた凶器を茜から回収し、その先端が鋭く光る道具を眺めながら思った。
茜の本当の願いは、もしかして僕を殺すことなのでは、と。
外の雨は止み、窓からは日差しが差し込み、太陽が昇り始めていた。




