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フロースドゥシャーのパーミャチ【花の魂の記憶】

紫煙の時雨で誘掖を

作者: 乙丑

日下のふりがなを代える。そもそもそこまで描写してない。


 日下(ひのした)生花店の店内は、季節に関係なく蒸し暑い。

 できるだけその季節にあった生花を提供しているため、外の気温よりすこし暑く設定されているからだ。

 中には日本の野草花以外も取り扱っている場合もあり、気温や温湿の関係上、そうせざるを得なかった。

 そんな中、店主の孫娘である日下菊李(ひのしたくくり)という十六歳の少女は、汗もかかず、平然とした表情で店のカウンターで花束の作製をしていた。

 ただ言えることがあるとすれば、彼女の足元には水が張ったタライが置かれており、それに素足を入れて涼を感じているのだが、それも作業を始めた最初のうちだけで、店内の熱風によって常温に近い微温湯(ぬるまゆ)となっていた。


「本当にここはいつ来ても暑いなぁ」


 杉山という、無精髭を生やした筋肉質の男が、愚痴をこぼしながらワイシャツのボタンをふたつほど外し涼を求めた。

 それでも店内に溜まりに溜まった熱気に耐え切れず、持ってきていた冷たいお茶のペットボトルを空にして、少々苛立っている。

 外の空気も入るようにはなっているのだが、どうもその気温が普通よりは期待はずれだったようだ。


「ここはなんか飲み物を出すとかしてくれないのか?」


 杉山の愚痴に菊李は耳をかたむけず、騒音による難聴を防ぐためのイヤーマフを耳に当てながら、作業を進める。

 そもそも呼んでもいないのにやってきた杉山に構ってやれるほどの義理もなければ、そもそも暇すらなかった。


 季節は冬の終わりごろ。

 この季節になると決まって花束が、それこそ同じ理由で需要があった。

 ほとんどは卒業式に送られる花で、大体は造花でまかなうし、値段も安いのだが、中には生花で作成したものを注文する客もいた。

 生花以外やその花に関係するもの以外はほとんど取り扱わない日下生花店にとって、そういう客のニーズは喜ばしい。



「そういえば、嬢ちゃんに聞きたいことがあってな」


 杉山はズボンから一枚の写真を取り出し、レジの上に乗せた。写真だとわかったのはすこし経ってからのことで、最初はクシャクシャの状態で出されたのである。

 それ、大事なものなんじゃ?

 と、菊李は杉山の刑事らしからぬ行動に嘆息をつけようかと思ったが、言ったところで変わる人でもないだろうと思い直し、口に留めると、イヤーマフをはずし、それを首にかけるやその写真を一瞥した。

 そこに写っていたのは、男性の遺体だった。

 菊李は怪訝な表情で杉山を見上げる。


「殺されたのは水谷泰智(みずたにだいち)という二六歳の若社長でな。死因は絞殺。近くに幼虫が干からびた状態で発見されている」


 杉山はそう説明しながら、


「その幼虫を鑑識で調べているんだが、干からびていてDNA鑑定は可能らしいが、種類がわからんらしい」


 と頭を抱えた。


「ぼくは花は知ってますけど、虫はあまり知りませんよ」


 そう言い返され、杉山はさらに頭を呻らせる。


「嬢ちゃんだったら知ってると思ったんだがなぁ」


「警察だったら、そういう専門的なところに聞き込みもできるんじゃないんですか? それにそれ……タバコガの幼虫みたいですし」


「――なんだ? それ……」


 聞き覚えない言葉に、杉山が素っ頓狂な声をあげた。


煙草(タバコ)の葉を餌にする害虫ですよ。ほとんどそれしか食べないことからそうつけられてます」


「いや、そうじゃなくて……嬢ちゃん、さっき虫は知らないって」


「……っ? 幼稚園のこどもくらいに知りませんよ」


 菊李は首をかしげ、そう聞き返した。


「いやだからさっき……」


 ハッと、菊李の言葉の意味に気付いた杉山は、頭を呻らせ、


「ようするにあれか? 草花に関係する虫以外の知識は皆無ってことか?」


 とたずねた。

 まるでバカにされたような言い方だったため、菊李はムッとした目で杉山を見据えたがそれ以上は言わなかった。

 もちろん杉山が菊李をバカにしたというわけではない。

 なにせ、一度虫を見ただけでそれがなんなのかわかったのだから、バカにするほうが間違っている。



「でも……普通、東京のど真ん中にいるとは思えませんけど」


「えっと、しかしなんだな、こんな干からびた幼虫を見ただけでそれがなんなのかわかるんだから、やっぱすごいわ」


 杉山は素っ気ない態度をしながらも、菊李を褒めようとしたのだが、


「いやそうじゃなくて……ほらこれを見てください」


 菊李が写真に指さした場所には漏斗形の淡い紅を混じらせた白い花がところどころに、それこそ押し花のように散りばめられている。


「季節的に煙草の花が綺麗な状態なのが不思議だなとは思ってますけど」


 そう言われ、杉山は目を点にした。


「花に関しては嬢ちゃんのほうが一枚も二枚も上手(うわて)だろうからな……説明を頼む」


「もともと『煙草』というのは熱帯アメリカ原産でナス科の多年草なんです。ただし温帯では一年草になっているので天然草だと高温の場所がいいんです。花が咲くのは夏の時で、その時に煙草の葉っぱを取って、それこそお茶を作るみたいに乾燥させるんです。ただ正直に言うと他の国や地域で栽培するにはそれ相応の温度と湿度を保たないと育てられないですし、たしか大麻と同様に国や地方で許可が出ないかぎり、個人での栽培は禁止されている品種だったと思います」


 他のことには淡々としているくせに、花のことになると饒舌になるなと、杉山は思った。


「えっと、たしか殺された水谷泰智は裏では妙なことをしていたみたいな話は聞いているが」


 煙草くらいで捕まるのだろうかと杉山は思考を巡らせる。


「それだったら大麻のほうが育てるのは楽だよなぁ? いちおう聞いてみるけど、この店で禁止されている植物とか育てたり、扱ってなんていないよな?」


「さすがにそれはないですよ。阿片が採取できないように品種改良された観賞用の罌粟(ケシ)とか雛罌粟(ヒナゲシ)なら置いてますけど」


「そうか……しかしまぁ、たしかに大麻のほうが育てるとしたら楽だが、なんで煙草の花なんかがあるんだ?」


「タバコガの幼虫がいることも疑問ですね。これもやっぱり日本にいること自体が分布的におかしいですし、どこからか連れてきたとかならまだわかりませんけど、煙草の葉っぱに卵を植え付けるので、人工的に育てているのなら卵が付着している時に除去しているはずですから」


 この場合の人工的というのは、国や地方自治体が管理している山に自生しているものではなく、茶畑といった草花を営利目的で管理しているものを示している。


「うんそうだな。しかし煙草って日本で育てられないんだな」


「えっと、たしか煙草の原産量1/5がアメリカと言われていて、ほかに中国、インド、トルコ、ブラジルと熱帯地が存在している地域に偏っていますけど、日本でも熊本や青森で栽培がされてますから。でもほとんどが国産タバコというよりは輸入品って賄っているみたいですよ」


「水谷泰智の会社はレジャー関係を取り扱っている企業らしいからなぁ、そういう野菜栽培に企業拡大させたみたいな話は聞いていないが」


「レジャー関係だったら、視察とかで海外に出ていたとかはないんですか?」


「いや、それだったら……」


 杉山は言葉を止め、すこし怪訝な表情で菊李を見返した。


「その時にタバコガの幼虫が付着したとかか?」


「あまり期待できない可能性ですけど、日本にいないはずの虫による感染病がそういった海外から来る人や戻ってきた人が知らないうちに感染していたっていいますし、海外で買い付けた虫を逃してしまったというのがほとんどですし」


 杉山は反論をしようとしたが、その可能性が否定できないという理由があった。


「実はな、聴き込みでわかったことなんだが、水谷泰智はタランチュラを飼っていたらしい」


「タランチュラですか?」


 聞き返すように菊李は首をかしげる。


「しかも秘書の話ではかなりの猛毒持ちの種類だったらしくてな、観賞用と言うよりは……」


「金持ちの道楽ってことですか?」


 自分の言葉を待たずに、菊李からそう言い放たれ、


「そういうことだ。ただ……鑑識の結果、タランチュラの毒による可能性は否定されている」


 と言い返した。


「絞殺されていたってことでしたけど、凶器は見つかったんですか?」


 杉山はその問いに答える形で首を振る。


「現場は密室状態で、高層ビルだったことから窓は耐久性があり簡単に破ることができない。さらに言えば二四階に部屋があったことから、オフィスビルによくある窓清掃のゴンドラでも使わない限りは外への出入りは不可能。電気コードという可能性も否定できんが、索条線から麻縄と見られているんだが、現場鑑識の結果そういったものは見つかっていない」


 自殺ならば、その凶器となったロープが見つかっていなければたしかにおかしいことであった。


「その殺された人を最後に見たのは?」


「いや、これがどうもおかしな話でだな」


「おかしな?」


 杉山の、いつもの豪快に空気を読まない雰囲気が、それこそ風に飛ばされたような言葉使いだったため、菊李は珍しく目を点にした。


「部下とは……それこそ近くにいるはずの秘書ですら一ヶ月くらい外で会っていなかったそうなんだ」


「……――はっ?」


 菊李は、『なにを云ってるんだろうかこの人は』と表情で訴えた。


「いやいやいや、花のこと以外はまったくと言っていいほどズブな素人の嬢ちゃんがそういう顔をしちまうってのはわかる! だがなぁ実際そうだったらしいんだよ」


 この人はオブラートに包むという言葉を知らないのだろうかとツッコミたかったが、菊李は杉山の話を中断しなかった。


「現場を見てわかったことなんだが、どうもその若社長は引きこもり体質らしくてな、仕事に熱中すると周りが見えなくなるどころか食事すらままならなかったらしい。部屋に冷蔵庫があって、そこに二リットルのペットボトルが五本。ダンボールには二十本くらい常備されていた。しかもシャワールームもあって、簡単な調理なら可能といったキッチン。カップ麺もあったからなぁ。外に出るなんてことはほとんどなかったそうだ」


 あぁ、それなら一ヶ月くらいなんてことはないだろうなと菊李は嘆息をついた。

 熱中すると周りが見えなくなるどころか、自分の空腹すら気付かないなんてことはよくある話だ。

 とはいえ水谷泰智の場合は度が過ぎていたとしか言えないが。


「でも何日も部屋に閉じこもっていたら身体が鈍るんじゃ?」


「うん、期待を裏切るみたいなことをいうが、ダンベルとかルームランナーみたいなやつもあったぞ」


「――聞いてみただけです。……でも秘書の人は被害者のそういうところは知っていたんですよね? 外から連絡とかはできなかったんですか?」


「それなんだがな、朝八時と昼十二時、昼三時、夕方六時、夜十時の計五回連絡をしているんだ。まぁこういう社長だからな生存確認とでも思っていいんじゃないか」


「部屋に入って直接確認することはできないんですか?」


「それがどうもムリな話らしくてな、ほら鍵を使う場合、部屋の鍵は外からしか閉められないだろ?」


 まぁ普通に考えると……菊李はここまで頭の中で呟いたあと、


「もしかして中からも鍵を使わないと閉められない?」


 と聞き返した。


「ご名答。鍵はホテルによくあるカードキーで社員証がその代用品になっているんだが、外からなら誰でも開けられるが、中から鍵が掛けられていると、部屋に『生きている人間』がいない限りは鍵が開けられない状態になるってことだな」


 それを聞いて、この事件が自殺ではないという徹底的な証拠でもあったのだと菊李は思った。


「その確認の電話に出なかったことに違和感を感じた秘書の人が急いで部屋に入ったら鍵が掛けられていた。外からなら誰でも開けられるけど、中から鍵がかけられていたら当然中からしか開けられない。でも外の鍵を開けて部屋の中に入れた……ってことですか?」


「まぁそういうことだ」


 杉山は片目をつむり、菊李を見据えた。



「そうか……やはり行って損はなかったようじゃな」


 杉山がE署の刑事課に戻ったのは、日下生花店を出てからしばらく経ってのことであった。


「いやいや、爺さんが嬢ちゃんのところに行けって言ったんだろうが」


 杉山は愚痴をこぼしながら、目の前を老人を睨みつける。

 その老人……不知火という鑑識課の老兵は悪びれた様子もなく、


「あいやすまんな。しかしタバコガか……なにゆえそんなものの幼虫が部屋の中にいたのかじゃけど」


 と言い返した。


「被害者が煙草の栽培でもしてたんじゃないか? その時に幼虫が服に付着した……っていうのが嬢ちゃんの考えらしいが、あまり期待できない世迷い言だって本人も言ってるんだがな」


「じゃが被害者はヘタをしたら一ヶ月ものあいだ、それこそ部屋の中にある食料がつきない限りは出てこんくらいの男だったんじゃろ?」


「部屋の前にその時間に『無事だった』防犯カメラのひとつくらいあったら、こんな面倒な事にはならなかったと思うんだがなぁ」


 杉山がそう頭を抱える理由は、事件当時会社のオフィスビルが三十分間の長い停電があったからだ。


「その時に部屋を出たとなればじゃが、連絡はできんかったのか?」


「秘書の……『山川雅美(やまかわまさみ)』って女に確認を取ったが、社長室には内線を繋げていないって話だ。ってことは被害者の携帯が電池切れでもしていない限りは連絡はそれでしかできなかったってことだな」


 それは企業の社長としてはどうなのだろうかと不知火はあきれた。


「発見されたのは停電が起きた後か」


「話だと午後四時くらいって話だな……死亡推定時刻は?」


「その日の午後三時半……停電が起きた時になるな」


「暗闇に生じてはちょっとムリがあるんじゃないか?」


 たしかになと不知火は唸る。

 カードキーでの鍵は電気制御されているため、停電すればそれが機能されない。

 犯行時に停電していたのなら、犯人も外に出れなかったということになるからだ。


「考えられるとしたら、扉が施錠されていなかったってことになるがな」


「もしくは部屋に人が残っていたってこともありえるが」


「山川って秘書の話だと、停電した時に社長に連絡をしたが取れず、社長室を窺いに向かったそうだが、その途中で『手塚洋一(てづかよういち)』と『古田由香里(ふるたゆかり)』っていうスタッフと遭遇している。他にも廊下を歩いていたスタッフはいたそうだが、社長室がある二四階の廊下には秘書以外、停電が起きてから回復するまでのあいだ、その二人しかいなかったそうだ」


「うむ、普通に考えれば場所的には手塚と古田が怪しくなるが――」


 不知火は白鬚を撫で、杉山を一瞥する。


「ところがだ、三人が社長室の鍵を開けようとした時、『泉海里(いずみかいり)』っていう男のスタッフが遅れてやってきているんだよ。四人は部屋の鍵を開けた。……中からも鍵がかけられていた場合は入れないが入れた。……あとは言わなくてもわかるだろ」


「つまりお前さんたちが気になっておるのはその部分というわけじゃな」


「闇に生じて()ったとすればだが、部屋の鍵は開いていたのかどうかだ。そもそもこの停電ってやつもきな臭くてな」


「電源設備の管理はどうだったんじゃ?」


「それも裏付けができた。停電が起きた時間、突然大きな地震があったそうでな」


「うぅむ、まだ犯人の特定に油断ができぬ状態か。……つまりはその時にブレーカーが飛んだということか」


「そういうことだ。それと監視カメラの話だが、これも妙な話でな事件当時の午後三時半以前の映像が撮影されていないみたいなんだ。どうやら録画用のHDDが接続不良で保存されていなかったらしい」


「もしやとは思うが、犯人が予め仕組んでいたという可能性は考えられんか?」


「地震はさすがにムリだとは思うが?」


「そういうわけではない。警察がまず目をつけるのは部屋の前にある防犯カメラじゃろ? その防犯室はどこにあるんじゃ?」


「あっと、二三階だっけかな? たしか社長室の真下……――いや? ちょっと待て?」


 杉山は自分でもこれはおかしいのではと気付き始める。


「殺された時、手塚と古田は二四階の廊下にいたって証言しているが、被害者の悲鳴や誰かが逃げたみたいな証言は言ってなかったぞ?」


「防音設備はどうだったんじゃ?」


 そう聞かれ、杉山はしばらく考えこんでから、


「防音……くそっ! それなら誰も気付きゃしねぇっ!」


 と近くに置かれている机を叩いた。

 防音ならば、中の音が外に漏れにくいというのは目に見えた結果であり、さらにその直後に地震、停電とくれば、人間それどころではなくなって避難が最優先される。


「監視カメラは誰が管理しておるんじゃ?」


「セキュリティー会社といいたいところだが、二四階に限っては社長室だ。被害者が誰が来ているのかを監視するためだったらしい」


「うぅむ、誰が入ってきたのかわからんということか……」


「指紋はどうなんだ? ってあまり期待できる答えはないだろうけど」


「ならば聞くなっ! 指紋が重なったり、手袋を付けずに部屋に入ったお前さんの指紋がついていたりしておって、解読が面倒じゃったよ」


 不知火は苛立った声色を上げた。


 扉をあけるさい、ドアノブに触れなければいけないため、指紋が付着してしまうというのは必然的なことであるが、犯人がそれを拭かなかったということは、一ヶ月以上閉じこもった部屋であったとしても、それは若社長だけの話であって、実を言うと社員や秘書が出入りしていたという調査報告がすでにあった。

 犯人が自分の指紋を消そうものなら、当然他の指紋も拭き取ってしまう。もちろんこれが犯人を特定する鍵になることは極めてすくない。

 結局指紋を拭きとってしまう……最後に入った人間が犯人と特定されてしまうからだ。


「いちおう事件直前、全員分の指紋をとってもらったが」


「えっとたしか三百人くらいいたんだっけか? 結構な量だったみたいじゃないか」


「全員怪しいって言ってその場にいた全員の指紋を取ろうとしたのはどこのどいつじゃったかな?」


 嫌味タラタラにそう愚痴をこぼしたが、杉山はどこ吹く風と言わんばかりにスルーした。

 不知火はそんな杉山を見て、胃の調子の悪さに頭を抱えた。


「とりあえず結論から言うぞ、外側のドアノブから検出されたのは被害者以外には秘書の山川雅美、従業員の古田由香里。内側のドアノブには秘書と古田以外の、被害者以外に泉海里と手塚洋一のものが新しかった」


 それを聞いて、はて……と杉山は首をかしげた。


「おーい爺さん、もしかしてボケたのか? そんな身形(みなり)でもまだ定年前の五十八歳だろうが? なんで入ってきた人間と出た人間の名前が一致しないんだよ?」


「お前さんなぁ……二人一組で部屋に入っていた可能性も考えられんか?」


「あぁそういうこと……確かにそれなら考えられなくはないが……ってことは手塚と古田ってことか?」


「なんでそんなに結論付けたがる。儂はあくまで鑑識した時の状況を言ったんじゃぞ? 犯人が自分の指紋を残さなかった……ハンカチか何かで拭きとったみたいな考えはちょっと捨ててこい」


「ってことは手袋をしていたってことか? 用意周到じゃないか。犯人は最初から若社長を殺そうとしていたと考えてもいいってことか」


「山川という秘書が機転を効かせて他の人間に部屋の物に触れないように言ってくれていたのが功を奏したと言えるがな」


「遺体は部屋の窓際にあったからな、遺書みたいなものはなかったが、それよりもオレが気になるのは……」


「うむ、タバコの花がなぜ押し花になっていたのかじゃな」


「誰かが持っていたものか……しかしまぁ聞いた話だと若社長はかなりのヘビースモーカーだったらしいな」


「それは遺体の指を見て儂も思ったよ。手に(ヤニ)がついておったし、肺も黒かった」


 明日あたりまた菊李に聞いてみようかと杉山が思い始めていた時であった。



「月極戻りました」


「お、戻ってきたか。そっちはどうだった?」


 刑事課に戻ってきた月極という若い警官の声が聞こえるや、杉山はそうたずねた。


「あの、杉山さん普通は二人一組で行動しないといけないのに、お前に任せるって言って勝手にどっかに行ったじゃないですか」


「いいのいいの、こっちはそれだけ収穫もあったからな。それで例の四人のアリバイはどうだった?」


「はぁ……順を追って説明しますと、まず秘書の山川は二二階にある秘書室で休憩を取りながら被害者のスケジュール管理をしていたそうで、午後二時半に彼女が部屋を出たという目撃がありましたが、午後三時前に部屋に戻って、地震が起きた午後三時半まで部屋にいたという証言がありました」


「二人目、手塚洋一は?」


「午後一時ごろ二四階へと昇る階段を上がっていく手塚洋一と古田由香里を見たという目撃証言がありました。なんでも二人が提出したという『台湾一日弾丸旅行』という企画の最終確認をするために社長室をたずねています。午後二時に二人が会話しながら降りてきたという報告もあります」


「今のところこの二人が怪しくはなるが」


「お、めずらしく食い下がらなかったな。今日は雨でも降るかのう?」


 戯けた口で杉山を茶化す不知火に向かって、


「あのなぁ、爺さんの話を信じているってわけじゃないが、被害者が殺されたのは午後三時半前後なんだろ? 二人がまた上がったっていう時間はどうなんだ?」


 と月極に睨みを効かせた。


「なんで睨まれないといけないんですかね? えっと二人から聞いた話では被害者からすこし気になることがあるから確認を取りたいと言われて呼び出されたそうなんですが、内側から鍵が掛けられていて、社長にも連絡を取ろうとしたそうですが……」


「取れなかったってことか?」


 その妙な空気に杉山は怪訝な表情で聞き返した。


「あ、はい……」


「それはいつの話じゃ?」


「えっと、二人の話では午後二時四八分だったそうです。もう一度、今度は『午後三時をすこし過ぎた時』にも掛けたそうですがやはり応答がなかったそうです。被害者のスマホに残されていた受信記録にはその時間に手塚の携帯番号が残されていました」


 それを聞くや、杉山と不知火はお互いを見据えた。


「おいおいおい? ちょっと待て? 証言がちょっと可笑しいぞ」


 杉山はパッと脱いでいたコートを肩にかけるや、


「もう一回嬢ちゃんのところに行ってくる」


 と言い残し、急ぎ日下生花店へと向かった。



 杉山が日下生花店にやってきた時は空が薄暗くなってきた午後五時をすこし回った時であった。


「いらっしゃ……」


 店のドアが開き、客が入ってきたためそう声をかけようとした菊李であったが、相手が杉山だとわかるや、途端に嫌そうな表情を見せた。


「客が来たのにそういう態度はどうかと思うぞ」


「杉山さんがそれを買ってくれたら笑顔で接客しますけど」


 そう言って菊李が指さしたのは花を咲かせた『黄色のカーネーション』であった。


「これってなんか意味があるのか?」


「それくらいは自分で調べてください」


 菊李の態度からしていいやつではないことはたしかだなと杉山は思った。


「それより嬢ちゃんに聞かなぁいかんことができた」


「ぼくにですか?」


「あぁ犯人が絞れそうなんだ。こういうのはちょっとした矛盾でわかるからな」


「それをどうしてぼくなんかに言うんです?」


「すこし気になっていたんだよ……タバコガだ。どうして干からびたタバコガの幼虫がいたのか、それが妙にひっかかっていた。――嬢ちゃん煙草は草花に分類しても構わないんだよな?」


「草を乾燥させたものが煙草の原料になりますから、そう分類しても別にいいとは思いますけど」


「いちおうたずねてぇんだが、煙草の花言葉はなんだ?」


 菊李はすこし考えてから、


「花言葉と言うのはひとつじゃなくて、後になって付け加えられたものもありますけど……そうですね、『触れ合い』や『あなたがいれば寂しくない』、『秘密の恋』というのがありますね」


 と聞かれたことに対して素直に応えた。



「『秘密の恋』……か――」


「それがどうかしました?」


「いやこれはオレの想像でまだ裏付けが取れているってわけじゃないんだが、秘書の証言だと事件当時の午後三時に被害者と連絡がとれたって言っているんだが、他の人間はその時間、連絡が取れなかったって証言しているんだよ」


「折り返しの連絡もなかったってことですか?」


「そういうことだ。秘書の携帯番号が被害者のスマホに受信記録に残ってはいたが、……それだけ『不在』が付けられていなかったんだよ。その前後にある従業員からの番号には『不在』が付いていたにもかかわらずだ」


 菊李は杉山を見据え、


「部屋を出る時、指紋はどうなっていました?」


 とたずねた。

 杉山は不知火から聞いた話を、従業員の名前を伏せて彼女に教えた。


「指紋っていうのは重なっていくからな……オレたちが現場に来た時はドアが閉められていてオレがそれを開けようとしたんだ」


「……もしかして手袋もなにもしないでですか?」


「なんで……わかったんだ?」


「はぁ……」


 菊李は大きく、ためいきをついてから、


「指紋を取る前までの状態で、部屋を最後に出たのは?」


 とたずねた。


「泉海里ってやつの指紋が一番上だったが……」


 杉山はしばらく考えこんで、頭を抱える。


「あぁそういうことか……あぁそうだっ! そうだったのかっ!」


「あまり店の中で騒がないでくれません?」


「いや、そうだったとしか言えないだろ? 犯人は被害者のスマホを持っていたんだよ。これなら犯人が掛けた時に被害者が取ったとしても、その前後に他の人間の電話が不在になっていたこともわかる」


「スマホは現場のどこにあったんですか?」


「机の上だ。犯人がさり気なく置いたとしたら誰も気付きゃしねぇなぁ」


 杉山の言葉は……その推理どおりであった。



 結論から先に述べれば、水谷泰智を殺したのは秘書である山川であった。

 彼女は午後三時を回るすこし前、社長室で水谷泰智と会っていた。

 二人は秘密裏に付き合っていたが、水谷泰智には妻子があった。

 許されない恋愛といったところであり、別れを切り出したのは水谷からであった。

 しかしこれは事件直前に言われ、感情的になった山川が破ったのならば、なにも麻縄を用意することもなく、その場にあるもので殺害していたであろう。

 別離の話は前々から言われていたことであり、彼女が殺害を計画していたことは否定できない。

 彼女は部屋に入る時、わざと自分の指紋を残した。

 そうしなければ怪しまれると思ったからである。

 頻繁に出入りしている人間の指紋が残っていないとなれば怪しまることは見えていたからだ。

 山川は泉を電話で呼んださい、彼には指紋を付けないよう最新の注意をしてもらって中に入ってもらい、彼の指紋を内側のドアノブにのみ付着させ、お互いにこのことを秘密にし、指紋をわざと残したのである。

 午後三時半を過ぎたあと、社長室のドアノブに手を掛けたのは山川であった。


 それならばなぜ死亡推定時刻が本来の殺害時刻とずれていたのか。

 それは部屋の気温の変化にあった。

 気温が変化したことで死後硬直がズレていたからであった。



 結局のところ、山川がなぜ煙草の押し花を水谷泰智に送ったのか、タバコガの幼虫が干からびて発見されたのかは結局のところわからずじまいとなり、また事件との関連性も薄いだろうという上の判断で、事件は解決した。


 だがひとつだけ杉山の頭に残っていた事があった。


「嬢ちゃんと関わってから、妙に花に詳しくなっちまった」


 最初は道端に咲いているだけの雑草としか思えなかった花も、菊李から聞けば聞くほど、ひとつひとつに伝承や所以(ゆえん)があるのだと、杉山は珍しく感慨深く思った。

 のちのち他にもあるんじゃないだろうかと、彼自身が調べたことであったが、煙草の花言葉は他にも……『孤独の愛』というものがあった。

 加害者のひとりよがりな愛情を花言葉でたとえるのならば、一寸の狂いもなく当てはまった言葉であった。

 それこそ春になろうとしているというのに、まったく暖かくならない外の外の冷たい冷気は、肌で感じるよりも冷たい。

 人の生き死にってもんは、手前(てめぇ)のおこないで決まっちまう、吐く息のように白くはかないものだなと、その性格からは考えられないほどに感傷的(センチメンタル)な考えが杉山の脳裏によぎった。

黄色のカーネーションの花言葉は『軽蔑』。

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― 新着の感想 ―
[一言] 菊李ちゃんかわいいですね。 このシリーズ好きなので続きがあれば是非読みたいです。
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