6 こだわり
最悪の目覚めから始まった一日は、しかし特別嫌な事もなく、お酒でも飲まないと楽しめない程度に平凡で退屈な金曜日だった。いや、お酒を飲んだことはないのだけれど。
「まぁ、嫌なことがあるよりはよっぽど良いのかしらね」
相変わらずクラスメイトは誰も話しかけてこないし、自分から話しかけに行くような気分でもない。
ゆえに丸一日誰とも会話をせず、放課後に至る。
「お師匠さん」
「誰か呼ばれているわね。まぁ、私は関係ないから帰りましょうかね」
「あーんいじわるです~。あの夜の誓いを忘れたんですか?」
いつの間に教室に入ってきていたのか、帰りの荷物をまとめていた出帆の隣の席に灼が座っていた。高校生用の椅子は小学五年生くらいの少女には大きいようで、脚をぶらぶらさせてなんだか楽しそうだ。
「ていうか、灼ちゃん、なんでここにいるのよ」
小学五年生くらいの少女がナチュラルにいるせいか、まだ騒然としている教室内の視線が集まってきているような感じがした。あまり目立ちたくない出帆としては、非常に好ましくない。
「そもそもあなた何歳? まさか高校生ってわけじゃないでしょう?」
「あきは10歳です。でも、飛び級で、高校一年生になりました」
「あら、珍しい」
出帆は思わず目を丸くした。
「飛び級なんて噂には聞いていたけれど、本物を見るのは初めてね。てっきり別世界の化け物みたいな人のための制度だと思っていたわ」
「お化けは意外と身近にいると言いますからね。気を付けたほうが良いですよ」
「あなたからできるだけ離れたら良いのかしら?」
「あーんそういうことじゃないです~」
歩き出した出帆の背を、とてとてと追う。
まったく、面倒くさい少女に憑かれたものだと溜息をついて共に歩く。
「あれ、お師匠さん、部室はそっちじゃないですよ?」
下駄箱を出たところで、灼に呼び止められた。
「……えーと」
部室に寄って行くつもりはないというか、なんというか。
あまり率直に答えるのもこの無邪気な小学生少女には悪い気がして、しかしでは上手い断り方があるのかといえばないわけで。困ってしまった。犬のおまわりさんの気持ちが少しわかった。わんわん。
「あき、昨日新しい手順を発見したんです。見ていってください」
断られることを寸分も考えていない、無邪気な笑顔。
それを向けられては、むげに断るのも気まずい。
「……………………そうね、間違えたわ」
仕方ない。部室の場所を勘違いしたという設定にして、灼の隣を歩き始めた。
まぁ、一応ぷよぷよ部の部員なのだ。放課後部室に行くのは当たり前であり、わざわざ行かないように努力するのは筋違いだ。
それに、暇だ暇だと呟いて時間を潰すより、灼のぷよを見ていた方が幾分有用な時間の使い方だろう。
それから、出帆は部室で、灼と深緒がひたすらぷよるのをずっと眺めていた。
相変わらず教科書通りのつまらないぷよを打つ深緒と、定型を練習する灼。上級者同士の戦いならば様々な駆け引きが見られるが、灼のレベル上、この二人の間にそれはない。ただお互いに大連鎖を作り、発火する。それだけの退屈なぷよぷよ。
しかし、決して眠気を誘われることはなかった。
灼が、昨日よりハッキリとうまくなっていたからだ。手順もいろいろと改善されており、操作速度も速くなっている。
初心者は皆毎日が成長の連続であるが、灼の場合その成長曲線が異常だ。これほどまで急速に成長する人は見たことがない。
「灼ちゃん、家ではどんな練習してるの?」
「ぷよぷよですか?」
「ええ」
それ以外に何があるというのだろう。
「家ではぷよぷよしないです。両親が厳しくてゲームとかさせてもらえないんです」
「え」
「だから、学校で深緒先輩になぞぷよを出して頂いて、お稽古や勉強の途中に頭の中で解いてます」
「なぞぷよ……」
なぞぷよとは、簡単に説明すると、詰将棋や詰碁のようなものである。
ほとんどの場合、既にいくつかぷよが置かれたフィールドと、予告ぷよが数手分用意されている。その予告ぷよを順に置いていき、問題の指示をクリアしてゆく。『〇連鎖せよ』という問題がスタンダードだが『青ぷよを全て消せ』『14個ぷよ同時消しせよ』といった変化球の問題も多く存在する。
なぞぷよが詰将棋や詰碁と大きく異なる点は、なぞぷよはぷよぷよの上達にあまり重要でないという点だ。プロにもなぞぷよをしない人は多くいる。
ゆえに、出帆は驚いた。ぷよ歴10日の初心者が、なぞぷよでメキメキと実力を付けただなんて、聞いたことがない。できるとも思えない。
「ちなみに、昨日はどんな問題を解いたの?」
恐る恐る、という感じで出帆が尋ねると、灼ではなく深緒が「ん」と言って本を一冊渡してきた。
中に掲載されたされたなぞぷよを見て、目玉がひっくり返りそうになった。
「いちにいさん……、10手!? 15連鎖!? ……これを解けたの?」
「はい。面白かったです。解くのに30分もかかっちゃいましたけど」
灼はなんでもないように明るく肯定する。
そんな彼女の笑みに、出帆は愕然とした。
当然の話だが、なぞぷよには様々なレベルがある。その難易度は単純な手数で計れるものではないが、基本的に3手から4手ほどの問題は初級者向け、6手以上になって来ると中級者から上級者向けであり、10手ともなると、プロでも頭を悩ませる問題がゴロゴロ転がっている状態だ。
そしてその提示された問題も、一目見て出帆は「いや無理でしょ」と匙を投げた。何時間、どころか、何日かけても解ける気がしない。
それを、灼はわずか30分で解いたという。
しかも、彼女の言葉を本当だとするならば、問題を丸暗記し、脳内でやってのけたのだ。
異常、なんていう言葉では生ぬるい。
「……ちなみに、灼ちゃん、これ、答え教えてもらえる?」
「いーですよ」
シミュレーターでその形を作りコントローラーを渡すと、一手一手置いていってくれた。
「これで、15連鎖です」
全く迷う様子もなく組み上げられたその連鎖は、たしかに、15連鎖だった。それも、実戦では絶対に組み上げられないような、神がかり的なバランスの元に成り立った超不定形。こんな問題、作る方も作る方だし、解く方も解く方だ。
「岩浪」
「なんだ」
力なく呼ぶと、深緒も昨日とはうってかわって敵意のない、どちらかというと出帆に同情するような返事をした。
「あなた、どうして灼ちゃんに定型を組ませているの」
通常、ぷよぷよの初心者が最初に練習すべき形は、階段、鉤といったいわゆる『定型』だと言われる。基本的にぷよぷよ初心者に必要な技能は、『完成形を想像する力』と『完成形に持っていくためのツモ捌き』であるからだ。決まりきった形を組む『定型』は、その目標とする形を想像しやすいため初心者向きなのだ。
しかし、灼の場合は全く別だ。彼女は、完成形を想像しない。いやある程度考えてはいるのだが、しかし降ってくるぷよの色、組み合わせに応じて柔軟に完成形を変化させる力を持っている。
こういうタイプの人は、むしろ、好き放題組ませた方が力を発揮するし、伸びる。
「この子はたしかにぷよ歴10日の初心者だけれど、不定形を組ませるべきよ」
「アタシもそう思うんだけどな。本人が定型組みたいっつーんだからしゃーないだろ。文句があるなら本人に訊け」
え、と灼の方へ目をやると、彼女は少し困ったような笑みを浮かべている。
「言わなきゃダメですか?」
「いや、別に言わなくても良いけれど。単純に気になるのよ。不定形の方が圧倒的に上手いのに、わざわざ定型を組む理由が」
「ん~~~~~~~~~~~」
しばらく悩み、やがて、「実はですね」と少し恥ずかしそうに目をそらして、言った。
「あきがぷよぷよを始めたのは、お師匠さんにあこがれたからなんです」