2 嫌いと苦手の違い
出帆が案内されたのは、部室棟の一角だった。あまり人通りのない、さびれた場所。扉に貼られた紙には、おそらくマッキー極太で書かれたと思われる『ぷよぷよ部』の文字。
「…………えー」
ぷよぷよ部がこの学校にあっただなんて、聞いていない。学校はたしかに母が勝手に選んだところだけれど、一応、ぷよぷよ部の有無について転校前に調べてきたのだ。
「芳乃さん」
「灼って呼んでください。あとさん付けよりちゃん付けの方がいいです」
「要求が多いわね」
「ずーずーしーとはよく言われます」
自覚がないのか、自覚がありつつ直す気がないのか。全く悪びれる様子もなく笑む。
「それで、灼ちゃん」
「はい」
「ここは何かしら」
「ぷよぷよ部です」
一切の曇りや悪気の見えない笑顔で答えてくる。出帆は、若干の落胆と合点を胸にしまい、代わりに拒絶の言葉を口にした。
「帰りたいのだけれど」
「えーなんでですか! あきと一緒にぷよぷよしましょうよ!」
目を丸くし、心底驚いた風に尋ねてくる。そんな少女の様子に、出帆の方が驚いてしまった。ひょっとしてこの子は、自分が転校してきた理由も、引退した事すらも知らないのだろうか。ぷよぷよと関わりを持たない人ならばともかく、わざわざこうしてぷよぷよ部へ引っ張ってくるような人が知らないとは到底思えないのだけれど。
何故断るのかという不思議そうな顔と、それでも中に入ってくれると信じるキラキラした目をこちらへ向けてきている。
……これは、断りづらい。先のタイミングでは落ち込んだ気分のままに断れたが、こうして出鼻をくじかれてしまっては、もう一度断るのは極めて気まずい。
仕方ない。ここまで来たら、あとは中に入って適当にやり過ごして、それからなんとか灼を避けて生活するしかない。
そう思って扉を引いた。
六畳ほどの狭い部室。中には、ブラウン管テレビと、ゲーム機と、ボロボロのソファー。
「どうです出帆さん、狭いですけど良い環境だとってあれなんで帰るんですか!?」
出帆は、見た。そのソファーに座る、一人の女子生徒を。
この、茶味がかったセミロングの量産型女子高生を、出帆は知っている。岩浪深緒。この地球上で、唯一嫌いな人間、ぷよらーだ。
だから、すぐさま、回れ右をした。灼の制止も聞かずに、部屋を出ようとする。
「待てよ」
当の女子生徒のぶっきらぼうな声が、出帆の足を止める。舌打ちを一つして、ふりかえった。
「……なによ」
「太田出帆。お前を呼んだのは、アタシだ」
「は?」
彼女が自分を呼ぶ心当たりが、全くない。いや、そりゃあ灼が自分を呼ぶ心当たりもないけれど、の場合自分を呼ばない心当たりがある。であるにも関わらず灼を遣わしてまで自分を呼んだのは、一体何のためなのか。
……いや、まぁ、大体想像はつくのだけれど。
「お前にはうちの部に入ってもらいたい」
「嫌よ」
「まぁ待て。そう答えを焦るな。とりあえずこっちに来てぷよりながら話そう」
「嫌よ」
「最悪入らなくてもいいから、今度の県大会の団体戦、一緒に出てくれ」
「嫌よ」
「嫌よ嫌よも好きのうちってやつかこのツンデレめ」
「死んで」
嫌よ嫌よは嫌に決まってるだろう。
「結局、アレでしょう。ようは、再来週の大会に出たいから人数合わせとして私に入ってほしいっていうことでしょう?」
「よくわかったな」
「全部あなたがさっき言ったことよ」
溜息をついて言う。
「お断りよ。私は引退したの。というか、そもそも、あなただって引退していたじゃない。一年も前に」
「ああ。こないだ復帰を決めたんだ。復帰戦で優勝して全国出たらかっこいいだろ?」
「それなら個人戦出なさいよ。あなたなら二週間もあれば全国レベルに戻るでしょう」
「ま、そうなんだけどさ。どうせならお荷物抱えて全国行った方が格好いいじゃん」
「ならそこら辺から初心者連れてきなさいよ」
「お前も初心者みたいなもんだろ? 定型しか組まないし」
「あ?」
ブチッという音が脳内で聞こえた。
ゆらり。出帆はこの部屋に入って初めてその足を動かし、深緒の隣にドスンと腰を下ろした。
「上等よ。10先でいいわね? 負けたら入ってやるわ」
「ふぅん、一度もアタシに勝ったことないくせにずいぶん強気だな」
「あなたこそ、一年もブランクあるのにまだ私より上だと思っているのかしら?」
バチバチと、至近距離から火花を散らす。
先まで楽しげな笑みを浮かべていた灼は、そんな二人のギスギスした空気におろおろと狼狽しているのだが、彼女らは既に、灼の事など考えている余裕がなくなっていた。
『よろしくお願いします』
闘いの火ぶたが切って落とされた