▶『夏休みの始まり』◀
なんかやりたかっただけ
教室に設置されたスピーカーが授業の終了の合図を鳴らす。
「気を付け―。礼。」
『ありがとーございましたーさよならー。』
やる気のない挨拶とともに静かだった教室に笑い声が木霊し始める。夏休みの前日とあって、一際その声は増していた。
六時間目が終了した高校一年生、帰宅部の俺、秋篠爽真は一つ大きな伸びをして机に突っ伏した。
何故こうも午後の授業は眠いのか。甚だ疑問でならない。
だがそんなことを長々と行ってられる程俺は今日、暇じゃない。
何たって今日は小学校に入学する前まで住んでいたという里に里帰りする予定がある。
正直な話俺は全くと言っていいほど記憶がない。何処にあるのか、だとかどんな場所なのか…だとか。
「そーま!!!」
べしっ。明るい声とともに俺の背中に鈍痛が響く。地味に力が強いのが何かときつい。
小学校のころからこいつは何かと俺に付きまとってくる。まぁ別に迷惑ではないから問題ないのだが一つだけ問題がある。
よく恋人だと間違われるのだ。こいつといると。
おかげさまで今まで彼女なんてできた覚えはありません。ハイ。
たまにこいつから「あの子がそーまのこと好きって言ってたよ!」とか聞くことはあるが何度否定しても俺らが付き合ってると思われてしまって話にならない。
「いってーな利理。こう・・・もっと優しくできないわけ?毎回手の跡残るから風呂入って鏡見るとビビるんだよやめろよ。」
鞄を抱えて俺を叩いたこいつの名前は西城利理。この学校唯一の俺と同じ里出身ということもあり、親同士の仲が非常に良い。
それに加え、家もお隣さんなので、向こうの両親が急用でいなくなったときは急に俺の家に飯を食いに来たりもする。
なので休日、こいつと二人でどこかにふらっと出かけたりもするので俺らが付き合っていないという話から信憑性は無くなっている。
「え!?じゃあ今もついたの?」
「うん。多分めっちゃついてる。お前の手の形と同じ大きさのやつがな!!!」
「じゃあ今日夜一緒お風呂入ろ!確認したい!」
「おい馬鹿声がでけぇ・・・!」
―――結論から言おう。静止の声は間に合わなかった。
ぐりんっ、とクラスの男子の視線が俺を殴る(精神的に)。
視線で人が殺せるならもう既に俺の死んだ回数は優に三桁を超えているはず。
やめて、もうやめて。冷や汗が一筋垂れる。それに対して利理のやつ・・・何事かわからないような顔で周囲を見渡してやがる。
「…?なんで?今日私たちの実家のある里に二人で帰るけどあそこのお風呂広いから心配しなくてもいいよ?」
猛烈にツッコミを入れたい。
(そこじゃねぇッッッッッ!!!!!)
ていうかオイ。別のクラスからも人集まってきてねえか。怖えよ目がギロってしてんじゃねえか。
つか風呂が広いとか覚えてねえよそんな情報。
更に地雷を踏みぬいた利理は何故か一人納得したような顔をして
「あ、お風呂が他の人達でいっぱいになってたらってことを心配したの?
確かにあそこ温泉直で引いてるから八時くらいになるといっぱい人来るんだよねぇ。
いっぱいでどうしようもなかったらおうちのお風呂入ろ。ちょっと狭いけど湯船には二人は入れるからさ!」
死んだな、そう覚悟した瞬間、
「野郎どもー!撃てぇぇぇぇぇ!!!」
「「「「「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」」」」」」」
一斉に全方位から消しゴムやノートが投げつけられる。地味に痛い。
だが利理に叩かれたときの方が遥かに痛い。しかしあんまり余裕ぶっこいていられるほど状況は甘くなさそうだ。
「おい、逃げるぞ!」
利理の手を握りしめて教室のドアを乱暴にこじ開けて廊下を疾走する。
階段を駆け下り、追手が来るより早く靴を履き替えて門を潜り抜けて一息つく。
「あんまり・・・ああいう・・・ことは…大声で…言うなよ…」
息も絶え絶え利理にそれだけ言うと近くのベンチに腰かける。ゆっくりと呼吸を繰り返しながら息を整える。
「もー、そーま体弱すぎだよ。もっと運動しなくちゃ…。」
そういう利理は呼吸一つ乱れていない。やっぱ現役運動部は違うな。
呼吸が落ち着いたので話ながら帰路につくことにする。
「そういえば今日はどうやって里まで行くの?私夏休み中ずっと向こうにいるつもりなんだけど。」
「…ん?部活は?」
こいつ部活やってなかったっけ?気のせいかな?
「えーとね…そーまと二人で実家に行くって言ったら呆れた顔されて『ずっとイチャコラして来いこのやろー!』って言われちゃった☆」
「言われちゃった☆じゃねえよ!!!あぁ…すごい誤解を生んでるんだろうなぁ。」
とはいっても言って来てしまったものは仕方がない。遠い目をしながらふと自分の予定と噛み合ってない事に気づく。
「俺2,3日で帰る予定だったんだけど…。」
そういうと焦ったような顔つきに利理は豹変した。
「え、えええ!?困るよ!そーまがいなかったら私生きていけない!」
「あのな?そう言うことは軽々しく言っちゃだめなんだぞ?」
不覚にもドキッとしたじゃねえかクソ。こいつ天然だけど結構顔立ちは整ってるし体つきも・・・うん。
「…?そーまにしか言わないよ?」
(結婚してぇ・・・」
「そ、そーま!そういうのはもうちょっとしてからね!?まだお付き合いの段階から始めないと!」
(!?聞かれてた!?)
「じ、じゃあ俺も夏休みの間ずっと向こうに行くか。里のこと全然覚えてないからちょっと気になるし。」
「やったー!もう私たちの家族はついてるみたいだし楽しみ!」
そういいながら俺に飛びついてくる利理。むぎゅう。何かとは言わないが悩ましげな何かが俺に押し付けられて形を変える。
やめてくれ、俺の理性が持たん。小さなころからの付き合いとは言え異性として認識せざるを得ない。
と言うかこんなところを人に見られたらいよいよ否定できなくなるぞ…。
そんなことを話している間に俺と利理の家の目の前まで到着する。
「んじゃ準備終わったら俺の家来いよ。一緒に出発するから。」
そう言って自宅のドアを開けると俺のトランクケースと隣に女性用のトランクケースが並べておいてある。
状況から察すると…
「もしかして、俺の分までやっちゃった感じ?」
こくり、何故か後ろに張り付いている利理はしっかりと頷いた。
お互いがお互いの家の合い鍵を所持しているから別にありえない行動ではない。ましてやこいつだ。
昔からこういうのはあった。もう慣れたしいいや。
「んじゃ俺は財布とスマホと充電器くらい持ってくればいいのか?」
「あ、もうそこに置いてあるよ。ほら。」
そう言って指差した先には俺の財布と充電器、それにスマホとバッグがあった。
「すまん助かるよ。お前いい嫁になれるな。お前の夫になるやつが羨ましい。」
ぶっきらぼうにそう吐き捨てると俺は奥の部屋に入って手短に着替えを済ませる。ちなみにこの時こいつの顔は耳まで真っ赤だった。
膝までの丈のハーフパンツに薄手のTシャツ。その上に半袖のパーカーを羽織り、鞄を肩からかける。
「そういやお前は着替えなくていいの?」
「あっ!忘れてた!ちょっとそーまの服貸して!」
「いや別にいいけど…サイズとか大丈夫?あわなかったらあれだし…。」
心配そうに問いかけつつも何か服がなかったか探す。
「というかお前自分の家から持って来いよ目と鼻の先じゃねえか。
おしゃれとかに気を使うんだったら自分の来た方がいいんじゃない?」
そう提案するも利理は首を横にぶんぶんと振り、
「そーまの服が着たい!」
俺の服の何がいいんだろうか。別にどこにでも売ってるような服しかないんだが。
「だってそーまに包まれてるような気分になれるから落ちつく!」
やめろ恥ずかしい。でも可愛い。もう貰ってもいいかなこいつ。
まぁ適当に選んでくれ、と言ってスマホを弄って時間をつぶす作戦に入る。
充電残量は100%・・・流石利理。このへんもしっかりしてるな。気が利くからマジでモテるんだよねこいつ。
優しいし気が利くし可愛いしスタイルいいし。当然高校入学当初からクラスの男子にモテモテだった。もちろん中学までの時も。
同級生はおろか、先輩にまで一目惚れされる始末。こいつ目当てに最初のころは別学年から先輩たちがやってきていた。
だがそれも最初までの話だ。全校で集まった時の催し物で、一世一代の告白タイムみたいなものがあった。
当然その標的に利理も含まれており、同級生の一人・・・学年一のイケメンが利理に告白を行った。
正直焦った。名前も知らないような輩に幼馴染を譲る…っていうニュアンスはちょっと違うか。まだ俺のものじゃないし。
だがまぁいきなり顔も知らない人間に利理を渡すのはちょっと嫌だった。中学時代の同級生で相当仲がいいやつだったら任せられたのかもしれんが。
―――結論から言おう。
状況は更にまずくなった。その時の冷や汗の量と言ったら体中の水分出ていくんじゃないかと錯覚するほどだった。
ひと月と少しを遡る。
ある美青年が美少女に告白をした。
学年の女子を全員・・・いや、〝ほとんど〟を魅了したその美青年は自信満々にこう告げた。
「僕と付き合ってくれ。君に一目惚れした。」と。
何も問題はなかったはずだった。
全校の前と言う断りにくい状況、ストレートな告白、そして美青年の規格外のスペック。
これはこいつのものになったな。長い付き合いの俺でさえ確信した。お世辞にも気分がいいとは言えなかったが、
利理が自ら望んだことなら俺は止める権利もつもりもない。となりの男子がチョンチョンと俺の腕をつついて、
「お前も運が悪かったよな。相手が悪すぎた。」
その言葉は彼女を盗られて残念だったな、という意味合いが込められていたのだがその時の俺は全く気が付いていなかった。
ただ俺の元から利理が去っていく。それだけの話のはずだった。
全ては気味の悪い笑みを浮かべてこちらを覗き込む美青年をみて内心ムカッと来たのが引き金だった。
(なんであいつに利理を渡さなきゃいけないんだ?絶対おかしい。)
今まで感じた事の無い衝撃が俺の中を奔った。
みんながステージに注目する中、俺が一人暗闇の中で立ち上がる。近くの司会の人間のマイクを半ば強引に奪い取り、ステージへと昇る。
周りからは何事かとざわめきが漏れ、数秒後に静寂を取り戻す。
ステージへと目をやれば美青年と利理が不思議そうな目をこちらに向けている。
一つ深呼吸を行い、目を見開いて言った。
「こいつは…利理は俺のもんだが何か?」
その瞬間、周りからキャー――!!という女子特有の黄色い悲鳴と男子陣がイケメンに対する挑発的な行為に口笛をふき出す音が聞こえてくる。
そして利理はというと…。
「そーま!!!!!!!大好き!!!」
そう言って俺を抱きしめたのであった。
そして現在に話は戻る。
ああ思い出すだけでも恥ずかしい。何であんなことをしたんだ俺はバカか。あほなのか。
もういっそ殺してくれ!!!
胸の中で悶々とそんなことを思い出していたが前方からかけられた声で意識が引き戻される。
「ねぇねぇこっちとこっち、どっちがいい?」
そう言って利理は二つの服を交互に自分の体の前に重ねる。
片方は俺の大きめのワイシャツにベルトを付けたジーンズと言う恰好。男物だが、案外似合っている。活発そうなイメージが漂っている。
もう片方は俺のゆったりとした白のTシャツに青い薄手のカーディガン、それに短めの黒のハーフパンツ。これも存外可愛く、俺好みの服のチョイスである。
しかし一つだけ問題点があった。
「お前・・・なんで下着姿なんだおかしいだろ隠せよ。」
「え…?なんで?いっつも一緒にお風呂入ってたじゃん。」
「いやそれ小学校低学年までだから。今高校生だから。なんか意識しちゃうからやめろ。」
「へぇ…意識しちゃうんだぁへえそうかそうかぁ。覚えておこう。
んで…!そーまはどっちがいいと思う?」
なにやら怪しげな笑みを浮かべながら問いかける。この時俺は気が付かなかった。この時弱みを見せたのが後に回ってくることを。
「右のやつかなぁ。俺的にはそっちの方がいい。」
「わかった!そーまが好きならそっちがいい!」
そういって服を身体に纏う。後ろを向いて見ないようにしているが、衣擦れの音がやけに気になる。
気にしちゃだめだ気にしちゃだめだ。そう自分に言い聞かせる。時間にしては1分もなかったが俺にとってはやけに長く感じられた。
「もういいよそーま。じゃあいこっか!私たちの故郷へ!」
故郷。その言葉を聞いた瞬間ズキン、と頭が軋むように痛む。
(何か思い出せそうな気が・・・クソッ。わかんねえ。)
「どうしたの・・・?顔色悪いよ?」
心配した利理が俺に声をかけてくれる。
「わり、ちょっと頭が痛くなっただけだ。もう大丈夫。行こうか。
とはいっても場所覚えてないから案内よろしくな。」
家の戸締りを確認し、家のカギを閉めながら心配を振り払うように言う。
せっかくのこいつとの旅行だ。初っ端から暗い雰囲気は作りたくない。
「う、うん…。」
だがまだこいつは俺への心配に気が行って、まだ気分が盛り下がった状態のままだ。
こいつは優しいんだがこういうの引きずるから注意しなきゃいけないんだったな。俺としたことがやってしまった。
しょうがない。かくなる上は、
「ほら、暗い顔してんじゃねえぞ。」
そう言って利理の手を握って歩き出す。一瞬戸惑いの表情を見せた利理はその次ににっこりと笑ってくれて。
俺の決意は無駄じゃなかったと確信した。
自分で言うのもあれですけど甘すぎて砂糖吐きそう