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変事

七月の、最後の金曜日。

紫苑はその日、前期試験日程を間近に控えての補講授業を受けるために大学へと行き、ついでに苦手なパソコンを使ってちょっとした調べ物をしていたため、家に帰り着いたのは二十二時近かった。

ただいま、と家のドアを開けると、そこにおもいがけない顔があっておどろく。


「チー!?」


いっしゅん、自宅に帰るつもりで、千夜の暮らすマンションへと来てしまったのかともおもったが、そんなはずはない。

両親の靴もある玄関で、主人の帰りを待つ犬のごとくしゃがみ込んでいた千夜が、しーちゃんっ、と呼ぶなり立ち上がって、がばりと抱きついてきた。


「おい? どうした?」

「もうっ。何度電話してもまだ帰ってないってママさんが言うから。てっきり、うちに来るのが嫌で、しーちゃんてば居留守を使ってんのかとおもったんだからぁ!」


いくら千夜でも、義理の叔母に向かって本当に居ないのか、などとは追及できなかったのだろう。

紫苑は後ろ頭をくしゃりと撫でた。


「悪かったな。ほんとうに今まで大学にいたんだよ。ケータイに電話すりゃ良かったのに」

「したもん。そして、さっきしーちゃんの部屋で鳴ってたよ、ケータイ」

「……うそだろ?」


紫苑は、チノパンツのポケットと、半袖シャツの胸ポケット、それからリュックのファスナーポケットの中まで漁ってみて、納得せざるをえなかった。


「まあ、持ち歩いたからって、ろくに使わねーからな。秋美に、携帯されないケータイと名づけられたくらいで」

「知ってる。だから、もう五年くらいおなじやつ使ってるんでしょ。でも今日はほんとに用があったの! ちゃんと持っててよぉ!」


ぽこ、と涙目の千夜に胸をぶたれて、紫苑は怪訝におもう。

もし、原稿を手伝えというはなしだとしたら、そもそも千夜がここに来て紫苑をただ待っている余裕などあるはずもない。


「何かあったのか?」


訊いた瞬間、紫苑の脳裏に例の不審な郵便物の存在が思い浮かんだ。

おもわず、千夜の手首を取る。


「おい。誰かの身に、何かあったんじゃねーよな?」


と、いちどは口を開こうとした千夜が、みるみる表情をくしゃくしゃにする。

そして、紫苑の胸にぽて、と顔を伏せてしまった。

ぐすぐすと嗚咽が聞こえてきて、いつも明るい従妹がほんとうに泣いているのだということが紫苑にもわかる。

すぐには信じられないくらい、それは変事と言ってもよかった。


「どうしたんだよ、チー!?」

「もうだめかも……ねぇしーちゃん、どうしよぉ。──どうしたらいいのぉ?」


問いに問いで返されても、紫苑にはさっぱり事態が呑み込めない。

仕方ないので、紫苑は千夜をなぐさめることに専念した。

とにかく千夜を落ち着かせないことには、はなしを聞くことさえままならない。


「な? あったかいお茶でも飲むか? コーヒーもあるし。ホットミルクでも、ココアでもカフェオレでも、何でもいいぞ」


よしよしと頭を撫でながら問うと、千夜がぴくっと反応して、濡れた目を上げる。


「……カフェオレ、飲みたいな。甘いやつ」

「わかった。作ってやるから上がれ。ハンカチあるか?」


ふるふると首を振ったので、紫苑は自分のシャツで千夜の頬をぬぐってやった。



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