冗談とやすらぎ
「もし、貧乏で好きなひとといっしょになれなかったときは、私が養ってあげますよ」
「……は?」
「愛情はなくても胸があれば、夫婦生活はできますよね?」
ずれたメガネに遮られない視線を投げて、杏がいたずらっぽくほほえむ。
「い、……今までので、いちばん質が悪いぞ、それ」
カッカッと燃える頬を自覚しながら、紫苑はそれだけしぼり出した。
杏の足首をつかんで、自分の腿の上から引き下ろす。
「さんきゅー。もういい」
紫苑がさっさと体を起こすと、杏が困った顔で腰をかがめた。
「怒っちゃったの?」
「ちがう。冗談に怒っても仕方ねーだろ」
「冗談じゃないのになー」
「よけい悪い!」
「もしかして照れてます? でも、男のひとってそーいうものでしょ? もちろん、好きな相手なら胸の大小なんて問題にならないってわかってますけどね。私で手を打ってもらうとしたら、それくらいしかウリもないし」
紫苑はぺちんと杏の頬を打った。
痛みがあるような叩き方はしてないが、メガネの向こうの杏の目がびっくりしたように大きくなる。
「バカ。手を打つって何だよ。杏には杏の良さがある。それなのに、おまえに惚れた男はみんな胸めあてだとおもう気か?」
「だーって…………」
「じゃあ、胸が小さいチーは、男にとって無価値だとおもってんのか?」
いちおう、紫苑は声をひそめた。
杏も、ちらりとダイニングテーブルに視線を投げる。
「千夜ちんはちゃんとかわいいよ」
「おまえだってかわいい……し。たしかに男にとっては、惚れてどきどきするような相手ってよりは、結婚しても友だちみたいに自然体でいられる存在かもしれねーけど。それのどこが悪いんだ。それだって男を身構えさせない杏の良さだろ。そういう女性にやすらぎを感じるやつだっているよ。手を打つとかじゃなく、おまえじゃなきゃダメだってやつが」
間近で見返す瞳に気づいて、紫苑は力説しながらにぎりしめていたこぶしを解いた。
「あー、いや、その、今のセクハラっぽくなかったか? あと──叩いてごめん」
「平気です。ね、それより、私も、しーちゃんだいすきって、抱きついちゃっていいかな。今、そーいう気分なんですけど?」
紫苑は両手を伸ばして杏との間に距離を取った。
どうして杏は、こういう冗談を真顔で言うのだろうとおもう。
「きもちだけ、もらっとく」
「ちぇー。ガード固いなー。千夜ちんみたいに、無邪気に不意討ち食らわせないと駄目なのかー。こんどはそうしよーっと」
こんどって何だ、と紫苑は叫びたかった。
が、ごはんできましたよー、とキッチンから真名の声がかかって、紫苑はすかさず立ち上がる。
そして、おどろいた。
「ああっ、なんか体が軽いぞ、杏」
「へへ、よかった。じゃ、夜も原稿描きよろしくです。疲れたら、またもんであげますよん」
「足で踏んで、かよ」
「手でもんでもいいけど、それで腕が疲れちゃったら描くのに支障が出るから。それとも、ベタもやってくれますか?」
「…………足で、結構です」
その前に、夜も原稿描きをやらされるのは決定なのか、と疑問におもったが、あまりに杏がたのしそうに笑ったので、紫苑は突っ込まずにおくことにした。




