千夜カケ紫苑
「それより、彼女、おまえの従妹? ナニちゃん?」
秋美が紫苑を肘先で突く。
「ちがうよ。従妹は、千夜っていうの。そのひとに、『しーちゃん、大好き!』とか言って抱きついちゃう子。萌える妹キャラ──ね?」
「萌えねえ! てか、萌えてねえ!」
紫苑は声を大にして主張したが、里沙はどうでもよさそうに流した。
「私は里沙。千夜の友だち。アンド、この部屋の居候。ちなみに、ヘテロに用はナシ」
そっけなく付け加えたあと、ばりばりと紫苑が持っていたスケッチブックから画用紙を破り取ってフローリングの床に置いた里沙に、紫苑の指示でポーズを取った秋美がうんうんと顔だけでうなずきを返す。
「そーなんだよ、紫苑はヘテロでさー。俺がこんなふうに体張って尽くしてるのにぜーんぜん見向きもしてくれねーの」
あごが外れるかと紫苑はおもった。
開いた口が塞がらない、というのはこういうことをいうのだろう。
里沙はとくに食いつきはしなかったが、秋美に対して、初対面の紫苑相手のようにヘテロと罵って一線を引くこともなかった。
「ちなみに、俺と紫苑だったら、俺が上だよな?」
「……そーね。紫苑は、受っぽいし」
「オイッッッ!」
ぼき、と画用紙の上でえんぴつの芯がへし折れた。
紫苑は親友をにらんだ。
「その妙な会話、よせ」
「べつに、ヘテロだっておなじでしょ? 紫苑カケ千夜にはまるで萌えないけど、千夜カケ紫苑なら考えてもいーもん」
考えるってなにをだ、と紫苑は問いたかったが、答えを聞くのは恐いのでやめておく。
よくわからないが、千夜とカップルあつかいされることからして、心外極まりない。
「へー、じゃあ、俺のライバルはその従妹ってことになるのかー」
秋美が、紫苑にウインクを寄越す。
そんなわざとらしい真似をされるまでもなく、美少女の警戒心を解くためのダシとして親友が自分を利用していることなど、紫苑は百も承知していた。
男の間では、親友といえば見栄さえ張る必要のない相手をいう。
もちろん、親友相手にはつかないウソを女にはつき、見栄を張るのが男だなんて、とっくの昔に分かり合っていることだ。
「俺さー、マンガ家養成学校の生徒なんだけど。すっごく勉強になりそうだし、よかったら君たちの原稿、手伝わせてくれない?」
おいおい、と紫苑は内心で突っ込んだ。
べつにウソではないが、彼の本業はマンガ家志望の専門学校生などではないというのに。
「言っとくけど、そいつがミスなくできるのは消しゴムかけくらいだからな」
「俺だってベタくらい塗れるし!」
「おまえな、そこの原稿見りゃーわかるだろ。ベタはもう神業的なのがいる。杏はそのつやベタ、俺の五倍速くらいで塗るんだぞ」
秋美の顔が、芸術的なまでに絶望をたたえた。
紫苑は、紙のすみにすばやくその表情を写そうとしたが、間に合わなかった。
立ち直りが早い男なのをうらやましくおもうことはままあるが、残念におもったのは初めてだ。
「……消しゴムかけなら、できるカラ」
とたん、里沙がころころと声を立てて笑った。
前かがみに画用紙に向かったままの姿勢で、おかしそうにおなかを抱えている。
「ウケる。消しゴムかけくらい、誰でもできるって。……養成学校生、関係ないし」
「ちぇー。いいなー、紫苑は。かわいい女子高生に、あれ描いて、とかここおねがい、とかいっぱいおねだりされたんだろー?」
そう言われてみればとってもいいおもいをしたように錯覚させられるが、どう考えても、実態は『こき使われた』という方がぴったりだった。
紫苑は、代われるものなら心底代わってやりたかったとおもう。
ただし、毎晩十時に寝る男が、修羅場でどれほどの戦力になるのか甚だ疑問ではあるが。




