従妹からの電話
七月のとある金曜日の夜。
時刻は、十九時をすこし過ぎたあたりだった。
「紫苑ー、電話よー」
風呂場の脱衣所で、坂下紫苑はそう呼びかけながら近づいてくる母親の足音を聞いた。
誰から、と問う間も、待ってという間もなく、ガチャ、とドアノブの回る音がして、髪を拭いていた紫苑は、ぎゃあ、と叫んだ。
「開けんなっっっっ!」
タオルで前を隠す方が、顔がのぞくよりも一瞬早かった。
まったく、母親という生き物は、油断も隙もない。
「あーら、そこに居たの。電話よ!」
「誰?」
差し出された白い子機に目をやって、紫苑は訊いた。
あいにくと両手はふさがっている。
「チーちゃん。あんたに用だって」
タオルの両端をつかんだままいっこうに動かない紫苑の両手を軽く笑ってから、母親は子機をこれから穿くつもりだったパンツの上に載せてドアの向こうに消えた。
紫苑は用心深く、再度開けられることのないようドアに背中をあずけた姿勢をとってから、タオルの一端を電話の子機と持ち替えた。
「もしもし、チーか?」
「しーちゃん、お風呂ぉ? 今、ハダカ?」
実に気の抜ける声が返ってきて、紫苑は直ちに電話を切りたくなった。
「そうだ。切っていいか?」
「だめ! 急いでるの、緊急事態なの、今!」
ウソつけ、と言いたかったが、それなりに声に緊迫感が出てきている。
紫苑は、猶予を与えることにした。
「用ってなんだ?」
「今ね、たいへんなことになってて、頼れるひと、しーちゃんしかいないの! おねがい、助けにきてッ!」
「は? それ、警察とか呼んだ方がいいんじゃねーのか」
「ケーサツがなんの役に立つの? とにかく、今すぐじーちゃん家のマンションにきて! ぜったいね? すぐだからね、すぐ!」
「おい、じーちゃん家って……」
問いかけた紫苑の耳に、ツーツーという無機質な音が返ってくる。
しばし、沈黙した。
「────あのやろッ、言いたいことだけ言って、切りやがった」
正確に言うと、『野郎』ではなく『女郎』──つまりは少女で、千夜という名の従妹だった。
年は、紫苑よりも三つ下なので、十六才……いや、十七才か。
「じーちゃん家ィ? ……って、まさかじーちゃんかばーちゃんが倒れたとかか!?」
急いで、子機からパンツに持ち替えた紫苑は、右足を通しかけたところで、それこそ俺を呼んでどうなるんだ、と気づいた。
警察は役に立たないかもしれないが、呼ぶとしたらまず救急車だ。
さらに、身内を呼ぶにしても母親でないなら父親を指定するはずで、紫苑を呼んでも仕方がない。
「…………テレビが壊れた、とかか?」
はたしてそれが、二駅ほど電車に揺られてまで赴かなければならない用件だろうか、とおもいつつ、紫苑はとりあえずTシャツを身につけた。
部屋着の短パンはすぐに着替え直すことになりそうだ。