第1話――全ての始まり――
気付くと白一色のだだっ広い部屋に俺はいた。天上も見上げるほどに高く、俺の身長の数倍はゆうにあるだろう。
ここは何処なのか――そう考えた時、俺の全身に怖気が走った。
俺の名前は坂東彰――それだけしかわからないのだ。食事の摂り方や歩き方が思い出せないのではない。食べた物は何だったのか、何処へ行ったのか、自分が何歳なのか。どこに住んでいるのか。そしてそれは家族すらも。
誰もが人格を形成するであろう根幹を成すその部分が思い出せないのだ。
「気付いたかね、被検体番号百二十九」
部屋と同化するようにその身に白衣を纏った妙齢の女性が俺に話しかけた。観察するような感情のなさが気になったが、何もわからない不安には勝てなかった。
「被検体番号百二十九……?」
「そうだよアキラ。それがここでの君の名前となる。覚えておきたまえよ。今日から君はアキラという名前を捨て、被検体番号百二十九としてここで生きるのだ。光栄なことだろう? 何せ君は人を超えた初めての存在となったのだからね」
白衣の女性が感情の無い瞳のまま、無理に口を歪ませる。まるで出来の悪い人形のように笑みを浮かべた。
「人を超えた存在? 待ってくれ! ここは何処なんだ! そしてアンタは何なんだ!」
「そう慌てるな。ここは私の研究所だよ。それに私だが、何だと言われては困るな。私が君を被検体番号百二十九と識別するように、他の人間が私を識別する記号で言うのなら、私はオルクスという。災厄の科学者――オルクスとな」
「災厄の科学者オルクス……? ちょっと待ってくれ、なんで俺はアンタの研究所にいるんだ。 俺の記憶は!」
「そう慌てるなと言ったはずだが、まぁ仕様がないことなのだろう。如何に超存在といえども不安というものはあるのか。いや、あるからこそ危機察知能力というものがあるのだな」
「超存在だと? 一体何を」
頭に混乱という名の感情が渦を巻く。
思考がループし、冷静を保つことができない。そして何しろ目の前にいるオルクスと名乗る女が敵なのか味方なのかもわからない。俺の問いに対しての回答を放置して自分の思考に没頭しているようだ。
しかし、このままじゃ何もわからない。
安心できない。
「俺にもわかりやすく答えてくれ。アンタは一体俺にとってどういう存在なんだ」
「そういうことか!」
いきなり体勢を前傾に映し、俺に対し下から覗きこむようにオルクスは目を輝かせながら言った。
そこには初めて理解の表情があるように見える。
「記憶がないと言ったな。そうか君は知識を受け継いだようだが、記憶は受け継げなかったようだな。記録する場所が違うから起こったことなのか体の変異につられたのかは私にもわからない。教えよう――君は私が造ったのだよ。言うならば人造人間、かな」
「人造……?」
「改造人間という表現のほうが正しいのかもしれないがね。だが、残っているのはほんの一部だ。私的には人造人間という方が愛着も湧くしね。まぁ少しの違いのようだが、私には大きな違いだ」
俺は全身から一斉に血の気が引く感じがした。
言った意味はわかった。単語の知識もある。しかし、理解はできない。嫌、することを感情が拒否している。
それに、オルクスという女性の言葉をどこまで信じていいのだろうか。
普通に考えたら嘘だろう。俺の知識ではそう認識するのが一番可能性のあることだ。しかしながら、俺を騙す意味が彼女にはあるのだろうか。
見た目は理知的な雰囲気を宿す女性だ。虚言癖があったり、妄想壁があるような女性には見えないし、感情を見せないその表情からは嘘の情報を言ってこちらを嘲笑うような人物にはとてもじゃないが見えない。
ならば、どこまでが本当なのか。
「信じられないかい?」
出来の悪い子供を見るような目でオルクスは俺を見ながら言った。
しかし、納得しろという方がどだい無理な話だ。
「じゃあまず簡単に君の現状を理解していただこうかな。ただ言われたことよりも自分で見た方がわかりやすいだろう」
オルクスはそう言い、懐から一つの手鏡を取り出した。
それは女性が持つにはあまりにも飾り気の無い物だったが、彼女が持つともの凄い違和感を俺は覚える。とてもオルクスが持ち歩く必要性があるようには見えなかった。
案外、見た目にも気を使うのかもしれない。
「それでまずは自分の姿を見たまえ。それで少しは現状が理解できるだろう?」
俺はその手鏡を少しの恐怖を感じながら受け取った。
これを見ればもう引き返すことはできない――そんな強迫観念を感じたが見なければ始まらない。
そして、そこには俺の顔が映っていた。
雪のように白い肌とそれを覆う髪は肩近くまで伸びる。白衣と合わせて白一色に見えてしまいそうなのを一変させるのがその禍々しいまでに赤い瞳だ。
年の頃はまだ十代の後半といったところだろうと思う。
これは違う。
俺の知識に俺の容姿に関わる知識は無い。だが、そんな俺でもわかる。俺の本能が警鐘を鳴らす。焦燥感が駆け巡り、俺の意思を現すように心臓ががなり立てる。
これは誰だ。
嫌、これは一体何だ。
「少しは理解して頂けたかな?」
「これは……一体誰だ?」
「誰って君だろう? その手鏡は君が持ち、君の顔を映しているのだから、それこそが君なのだろうさ。違うかい?」
当り前のことだ。
そんな事は俺だってわかる。
「違う! 口では説明できないけど……違う! それだけはわかるんだ!」
「フフ。記憶は無いと言っていたけど、本能的な部分で理解しているのかな? そうさ、その姿は君ではないだろう。けれども同時に、今の君なのだよ。変化したと言っただろう?」
人造人間――その言葉が初めて俺の中で現実味を帯びた。
唇が渇き、喉が枯れる。夢ではなく現実なのだと五感のあらゆる感覚が俺に今を伝える。
「い、一体何のために、どんな理由があって俺を造ったんだ?」
「何のため、ね。人が人を超える。進化する。それが目的さ、それに理由なんているかい? 足が速くなりたい。力が強くなりたい。強くなりたい。賢くなりたい。そこに明確な理由を持つ者も中にはいるかもしれない。だが、ほとんどは大した理由など持たずに漠然と、それでいて強くそう思っているものではないかい? 生物は皆本能でわかっているのさ。より優秀な個体にならなければならない、とね」
まるで言葉遊びだ。しかし、それを打破する言葉を記憶がない俺は持たない。それを超える意思が、俺にはない。
けれど、そこで疑問が生まれた。
俺は自分の手を見る――そこには皮膚があり、血が通っている。手術されたような痕は見られない。ましてや機械でもない。
俺のどこが人造なのか。
「アンタの言葉を信じたとして、一体どうやって俺をどうやって造ったんだ? 俺は何なんだ? 俺がロボットになったわけではないよな? 遺伝子操作か? クローンか? おれは何なんだよ」
「そう熱くなるのはやめたまえ。それにしても君はよくわからない言葉を言うな。ロボットや遺伝子操作? それにクローンだったか? それは何を指す言葉なのかな? 君の造語なのかな。興味深いことだがそれは置いて君の質問に答えよう――君は私の科学と魔術が融合した存在。名を付けるならば魔術科学で出来ている」
「魔術……? 科学……」
茫然と今言われた言葉を反芻した。
魔術とさも当然とオルクスは言い放ったが、そんな情報は俺の知識には入っていない。
「魔術のあらゆる属性の合成には本当に苦労したよ。それを人の形にするのも人としての機能付けをするのも私の科学知識が無ければ実現できなかっただろう」
俺の動揺など意に介さずオルクスは説明を続ける。
「だが、やっと完成したよ。被検体番号百二十九。その言葉の通り、私はやっと百二十九回目にしてやっと私の理想とする個体に仕上がった。君は最強だよ。人類最強なんてちゃちなもんじゃない。現存するありとあらゆる生物の中で、君こそが最強だ。それこそドラゴンですら君はいともたやすく屠ることができるだろう」
そこでオルクスは俺を見た。
いままでの感情がなく、どこか観察するような瞳とはまるで違う。子供が親に玩具を自慢するようないきいきとした表情だ。
「その体の性能は自分自身で確かめた方がいいだろう。私もそれも見てみたいしな」
「確かめる? 一体どうやって――ッ!」
俺が問いかけた途端、先程まですぐそばにいたオルクスが掻き消えた。まるでそんな存在など最初から存在しなかったかのように。
『すまないね。さすがの私も初見の君の近くに生身でいる度胸は持ち合わせていなかったよ。今までの私は投影させていた偽物だ』
無機質な声がだだっ広い部屋全体に響き渡った。
部屋全体に聞こえるほどの音量は真ん中に位置する俺にとっては大き過ぎる。耳を塞ぎたい衝動にかられたがそれを気合で抑える。
『これは音声のみを届ける装置でね。私が開発したものだ。そこに被検体番号二を入室させる。心配するな被検体番号には私が造った中で最低の個体。君なら苦戦などありえない』
「心配? 苦戦?」
オルクスが突如消えたことには驚いたが、それ以上に今発せられた言葉の不穏さに俺は焦燥感を募らせる。
俺は一体これから何をさせられるのか。
そんな中、俺の対面の壁が上にずれ、中から一人の少女が現れた。年は十代前半、海のように蒼い髪をした美しい少女だ。だが、その体を包むのは申し訳程度しかないボロい布。そしてその全身に広がるのは夥しい数の傷だ。
そんな少女が一直線に俺に向かって来る。
意味もわからぬまま、事の成り行きを見守ることしか出来ない俺に無機質な声は尚も告げる。
『被検体番号百二十九と 被検体番号二の戦闘を開始する――――さぁ、殺し合え!』




