やっつめ
ラリー爺さん困ってた。どうしたもんかと悩んでた。あまりに深く悩んでたので、仕事で少し怪我をした。大した傷じゃなかったけれど、手元がよく見えてなかったのだ。
切り傷を手当てしてもらいながら白髪頭をかく爺さん。周りのみんなは心配し、どうしたのって訊ねてみた。爺さんかなり渋ったけれど、ようやく重い口を開いてくれた。
話が終わってみんななあんだと拍子抜け。全然大したことじゃない。そんなの悩みと言えないよ。爺さん反論しなかった。そう言われるのはわかってた。すまんねみんな、もう怪我しないよう気を付けるから。
言葉の通り爺さんあれから怪我してないけれど、それでも悩みはなくならない。むしろ日に日に気分がなえてくる。爺さんすっかり元気をなくして、ぼーっとしてることが多くなった。
これはまずいとみんなは思う。なんとか気分転換させないと。爺さん町へ行ってきて。町にはたくさん人がいて、少しは気分が上向くかもよ。
そこで爺さん馬車に乗り込み、町の方へと繰り出した。物々交換用に特製の燻製肉をたくさん載せて、ガタゴトガタゴト繰り出した。
爺さんなんであんなに悩んでるんだろう。見送るみんなは首を傾げて考える。悩むほどのことには思えないのに。
馬車はすでに小さく遠ざかり、どことなく寂しそうにも見えた。
……
規則正しいようでいて案外そうでもない揺れが、爺さんを小さく揺すっていた。出発からかなりの時間が経って、そろそろ道の先に町の影が見えるかなといったところ。ここまで特に何もなく、ここからもこれといった出来事は起こりそうにない。正直なところを言えば爺さんかなり退屈していて、大きなあくびを連発していた。
馬車をひく馬のひづめの音と馬車のガタゴトいう音、それから近くの木立から聞こえる鳥のさえずり以外は何も聞こえない。それはある意味静寂と同じだ。柔らかい日光を浴びて、爺さんぼんやり考え事をしていた。
考える内容はもちろん悩み事について。それはみんなが言ったように大したことじゃないんだけれど、そのくせこれといった解決方法が見当たらない。延々考えても頭をよぎるのは役に立つことじゃなくて困ったなあ困ったなあと泣き言ばかり。顔に当たるそよ風は優しいけれど、爺さんに助けを与えてはくれないみたい。
爺さん憂鬱なため息をついて荷物の箱に背中を預けた。空を見上げてまたため息。悩みが解決しないのはまあ仕方がない。でもせめて誰か分かってくれないだろうかこの気持ち。婆さんが生きていてくれたならなあ。爺さんは寂しくなって目をつむった。
ぼんやりとしたまぶたの裏の暗闇。温かくてとりあえず居心地はいい。ゆったりと考える力がほどけて意識が遠のいていく。そして眠りに落ちるギリギリのところでふと爺さんは思いついた。
普通の人が解決できないことは、普通じゃない人が解決してくれるかもしれない。
ずいぶん虫のいい話。けれど眠りの手前で考えの鈍った爺さんは気づかない。普通じゃない人、不思議な人。例えばどんな人だろう。例えば……例えば、魔女、とか。
そこまで考えて、爺さんは寝息を立て始めた。
「すみませーん!」
しばし後。呼びかけてくる声で爺さんは目を覚ました。自慢の馬はちゃんと道に沿って進んでくれていたようで、馬車はいまだ町に向かって進行中みたい。
そしてこちらに手を振る人影。髪を三つ編みにして背中に垂らした、黒っぽい野良着の女の子。腕にはバスケットを提げていて、中から何かがひょいと頭を出した。仏頂面の黒猫らしい。
爺さん手綱を操って、少女の前に馬車を停めた。
「何か用かね?」
訊ねる爺さんに、少女はぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい急に呼び止めて。わたし、ミナっていいます。この道の先に行きたいんですけど思ったより遠くって。もしよかったら乗せていただけませんか?」
爺さんは親切な人だったし退屈さにうんざりもしていたので、こりゃ話相手にいいやと思って快諾する。荷台に場所が余ってたから、ミナにはそこに乗ってもらうことにした。彼女は身軽に乗り込んで、よろしくお願いしますと再び頭を下げた。
「どこで下ろせばいいかのう」
「ちょっとわかりにくいので、その時になったら声かけます」
爺さんはうなずいて、馬に進めの指示を出した。ゆっくりと馬車が動きだす。背後で猫が一声にゃーと鳴いた。
爺さんさっそく上機嫌に口を開いた。
「お嬢ちゃんはどこから来たんだい? わしの村ではないじゃろう。お嬢ちゃんみたいなべっぴんさん、うちの村にはおらんから」
さすがに持ち上げがすぎたけど、ミナは気にしなかったようだった。ふふっと笑った後、別の村からと答えた。
「道を少し戻ると南の方から合流する道があります。その先にある小さな村から歩いてきました」
爺さんほほうとうなずいた。そんな道は知らなったけれど、きっと居眠り中に通り過ぎてしまったのだろう。そりゃ爺さんだって全部の道を覚えているわけじゃない。
爺さんは続けて訊いてみた。
「じゃあそこからどこに何しに行くところだったんだい?」
「この先に湖があって、その近くにしか生えない薬草があるんです。それを採ってこなくちゃいけなくって」
ほほう。爺さん再びうなずいた。爺さんが訊ねてミナが答えてそれにまた爺さんがうなずく、そんな会話がしばらく続いた。
「その猫はお嬢ちゃんの友だちかい?」
「ええ。ペルという名前です」
「ほほう」
話をしているうちに爺さん不意に懐かしくなった。なんとなく数年前に亡くした奥さんを思い出したのだ。奥さんは口数の少ない人だったけれどいつもにこにこ笑っていて、爺さんの話を静かに聞いてくれていた。そういえば奥さんも爺さんとは別の、小さな村の出身だった。
物思いに少し言葉が途切れて、今度は逆にミナが爺さんに訊いてきた。
「そういえばなんですけど、お爺さんさっき居眠りしてました?」
「おや見られておったかのう」
爺さん恥ずかしくて頭をかく。ミナはくすっと笑ったようだ。
「お昼寝日和ですもんね。いい夢見てる顔でしたよ」
それを聞いて爺さんはぴたりと黙り込んだ。その気配を察したのか、ミナも一緒に言葉を止める。
「どうかしました?」
気を使う声色でミナが問いかけてきたけれど、爺さんは「夢……夢な」と小さくつつぶやくだけだった。
居心地の悪い沈黙が流れて、しばらくしてから爺さんはようやく口を開いた。
「夢は見んかった」
見られたらどんなにいいことか。元気のない声で爺さんはそうも言った。
爺さん実は長いこと夢を見ていない。もしかしたら起きた瞬間忘れてしまっているだけかもしれないけれど、とにかく夢を見た記憶がない。
爺さん夢が大好きだった。鳥になって空を飛ぶ夢、魚になって海を泳ぐ夢。夜になるたび今度は何の夢だろうと楽しみにしていたのに、ある時ぱったり見なくなった。何かこれと分かる原因があるわけでもない。そもそも何かあったからといって夢を見られなくなるなんてそんなことあるのだろうか。多分年のせいだろうけれど。
そんなわけで、夢を見れなくなったのにそれへの対処方法が全然思いつかないのだ。かといって周りは大したこととは思ってくれず、助けは全く得られない。爺さん完全に孤立無援。
そう、つまり、夢を見たいのに見られない、そのことこそが爺さんの悩みなのだった。