二
孫娘はどうやらあの後近くの川の水で肘の傷を洗うことを思いついたらしかった。まあそれはいい。化膿しても困るのでむしろあの鈍い頭で思いついたことを褒めてやりたいくらいだ。ただそれ以降がヘレナとしては不満だった。
さてどうしてくれようか。水遊びに興じるミナを離れたところから眺めながらヘレナは頭を抱えた。
まったく誰に似たのだろう。ヘレナはそれを考えるたびにげんなりする。
どう考えても自分ではない。ミナの親でありヘレナの娘であるキーナにもそれほど似ていない。
ヘレナは小さなころから聡く魔法の才覚もとびぬけていたし、キーナはそれに及ばないにしてもその分要領がいいというべきか、かなり世渡り上手なところがあったからだ。
となると考えられるのは……
(やっぱりあのクソ男どもか)
舌打ちする。
優しさだけが取り柄の男だった。ヘレナがかつての夫を思い出すときに真っ先に浮かぶ文言だ。その通り優しいだけの頭のゆるい男だった。壊れた屋根の修繕を頼むとろくに仕事を完遂しないどころか途中で放り出して日向ぼっこをしていたりする。ヘレナが見つけて下から怒ると――かつて森の王すらも怯えさせた睨みなのだが――意にも介さずこういうのだ。
「ヘレナも上がっておいでよ。この日の光を楽しまないと太陽が気の毒だよ」
もちろん上った。ぶっ叩いて仕事に戻らせるために。だが上るまでの短い時間に夫はすっかり眠り込んでしまっていて、その寝顔を見ているとなんだか怒る気がなくなってしまうのだった。
この男は一体何なんだろう。何度そう呆れたことか。そしてそんな男に引っかかった馬鹿な自分をどれだけ呪ったことか。
後に娘のキーナの夫になったのも似たような若者だった。いやアレにそそっかしさを足した輪をかけて救えない男だった。だが娘はそこがいいのだとほざくのだ。
「なんかほっとけないじゃない」
あんな男と一緒になるつもりならこの家から追い出すよ。ヘレナはそう脅したがキーナにとってはそれは全く脅しになっていなかったようだ。
「ええそういうつもりなら喜んで」
その晩キーナと忌まわしきあの若者は出て行ったらしい。ヘレナが朝目を覚ますと娘の部屋はもぬけのからだった。
まあ過ぎたことはともかく。自分たちをたぶらかしたあの男共のボケた血が孫娘にも流れているに違いない。それはまったくもって気に入らないことなのだった。
「ミナ!」
ヘレナが呼ぶとミナは「お婆ちゃーん!」と歓声を挙げた。なあにがお婆ちゃんだ。ヘレナは苦々しく口を歪ませた。一応は師匠と弟子なのだからもっとふさわしい呼び方があるだろうに。
思い返せば初めて彼女と対面した時もそうだった。数年ぶりの母と祖母の険悪な睨み合いなど全く気にすることなくこの孫娘は満面の笑顔で言ったのだ。
「お婆ちゃん、あそぼ」
……礼儀を知らんのかこのガキは。
(まったくあのアホ娘はどんなしつけ方してたんだろうねえ……)
アホはアホなのだからアホみたいな教育しかしなかったのだろうが。まあそれはいい。
「ミナ! どうしたんだい?」
川から上がってこない孫娘に叫ぶ。
「さっさとこっちにこないかい」
「お婆ちゃんも一緒にあそぼーよぉ!」
ヘレナの雷が落ちたのは言うまでもない。
「そんな、やだよー」
ミナはびしょ濡れのまま取りすがってくる。
「絵本よんで。お歌うたって」
孫娘の手の湿り気から退避しながらヘレナは首を振った。
「いいやならん。今日は絵本も子守歌もなし」
ミナを叱るのには普通に怒声を上げるよりもなぜかこちらの方が効くのだった。
ミナも風車の軋みが嫌いらしい。ヘレナと違って怖いからというのがその理由らしく毎晩絵本を読んだり子守歌を聞かせてやらないと眠れない。夜をどうしのぐかはミナにとってかなり重要な事項のようだった。
晩飯抜きよりもよほど効くのがいまいち理解しがたいところだが。
「わかったからぁ、ちゃんと探すからぁ……」
ほとんど泣き出しそうなミナの様子にヘレナはこっそりほくそ笑んだ。
「本当かい? 一生懸命に探すかい?」
「探す!」
「嘘じゃないね?」
「ない!」
視線の高さを少女に合わせてしばし見つめ合う。
「それならよし」
「やったぁ!」
小躍りを始めるミナにヘレナは発破をかけた。
「さっさと行かないと取り消すよ!」
「はーい!」
ミナは再びぱたたたと駆けていった。
やれやれとため息をついてから空を見上げると、太陽はやや西側にあって柔らかい陽光を地上に注いでいた。風がヘレナの白髪を撫でる。草花がさわさわとかすかに囁いた。
振り向くとやや離れたところに風車屋敷。丘というには足りないが周りよりも少し高くなった地面に鎮座している。風車がゆっくり回っているのが見えた。痛む膝に鞭打って、ヘレナはそちらに足を向けた。




