じゅうに
ぜいぜいと息切れを起こして立ち止まったときには、もう豚の足音は聞こえなかった。ミナはそばの建物に手をついて大きく息を吐いた。
「はー……びっくりした」
奇跡的に取り落とさずにすんだバスケットの中をのぞきこむと、黒猫は目を回したようでふらふらと頭を揺らしている。なんだか少し弱ったようにも見えたけれど、まあ一応無事ではあるようだ。なら大丈夫。結構歳がいっている猫だけれど、身体は結構頑丈だ。
もう一度深呼吸して周りを見回す。夕日が照らす中――もうそんな時間になっていたのだ――、道の両脇にはいくつもの建物が続いている。どれも住居というような造りではなくて、どうやら商店が並ぶ通りのようだ。
日暮れに向けて店を閉めるところが大半のようでまばらにしか人影がない。ふき出てきた汗を拭きながら考える。今日はどこで夜を明かそう。
「あの」
ミナは道に出て歩いてきた男の人に声をかけてみた。どこか泊まれるところを訊こうと思ったのだ。しかし。
「あれ?」
男の人はちらりとミナを見ただけで何も答えずに行ってしまった。何も見なかったし聞かなかったという様子で、そのあまりの自然さにミナは呆気にとられた。
自分が透明にでもなったのかなと思って両手を見下ろす。魔法はたまに変なことをするけれど、大丈夫、そんなことはないみたい。
「あの!」
今度はもうちょっと大きな声で、向こうから来た中年ぐらいの女の人に声をかけた。女の人はするっとミナの横を抜けていった。今度はミナを見ることもしなかった。
「あれぇ……?」
その後もチャレンジしたけれど、何度声をかけてもまともに相手をしてもらえない。さすがにくたびれて、ちょっとイライラもして、近くの店の壁にドンと強く寄りかかった。
「なんなの一体」
むくれてつぶやく。これじゃあ野宿しかないかもしれない。一応宿は探してみるけど、考えてみればお金の類は持っていない。どうしたものか、まいったなあと頭を抱えてしゃがみこんだ。
その時声がした。
「なにやってんのあんた」
「え?」
驚いて見上げると寄りかかっていた店の入り口が開いていて、そこから短い黒髪の少女が顔を出してこちらを見ていた。
ミナはいきなりのことと疲れているのとで、言葉もなくぽけっと見上げていた。少女は眉をしかめてもう一度言う。
「ここでなにやってんのって聞いてるの」
「あ……」
ミナはわたわたと立ち上がってわたわたと言葉を探した。
「いや、その、ごめんなさい、わたし、あの、ちょっと困ってて……」
そこまで言って頭がストップする。ええと、とか、あーうー、とか、そんな言葉しか出てこない。すっかり進退窮まって俯く。しばらく気まずい沈黙があって、それからぷっ、と吹き出すのが聞こえた。
「慌てすぎ。落ち着きなよ」
ミナはびっくりして顔を上げた。少女はにやにや笑って通りを指さした。
「さっきまでそこでいろんな人に声かけてた怪しい子だよね。見てたよ」
「そんな、怪しくなんて……」
「悪いけどすっごく怪しかった。誰が見ても不審者だよ」
そんなあ、とミナがしょげると、少女はあははと笑った後「わたしはリン」と名乗った。
「この店の店主をやってるんだ。宿を探してんだよね? よかったら泊まってきなよ」
ミナは当然びっくりした。
「いいの!?」
「別にかまわないよ。特に困ることもないしね。その代わりちょっと手伝ってもらいたいことはあるけど」
「いいよいいよなんでもやる! わたしはミナ。よろしくね!」
ミナが手を差し出すと、リンは一瞬キョトンとした後、にっと笑ってその手を握った。よろしく、と彼女が言うと同時、ミナのバスケットの中から夜と同じ色の猫が顔を出した。
「あ、忘れてた。この子はペルっていうの」
「……猫、いたんだ」
リンは微妙な苦笑いを浮かべた。




