じゅういち
その日、ひよっ子魔女のミナは町の門の前にいた。たくさんの人が行き交っていて、それでもまだまだ幅に余裕のある大きな門だ。門扉は今は開いているけれど、一度閉じてしまえば再び開くのは難しそう。門から続く高い外壁も重そうな石を積み上げてできているので、どんなに力のある動物でも壊して入ることはできないだろう。
門の入口からは少しだけど町の様子が見えた。村とは違って大きなしっかりした造りの家々が整然と並んでいて、道を歩く人々もすっきりと清潔そうな服を身に着けている。顔つきや所作も村の人とはどこか異なっているように思えた。
とりあえず言えることは。例えば人里離れて森のほとりの風車小屋に済んでいる魔女とかには全く縁のない場所だということ。彼女らは普段は誰かを必要としない。誰かに必要とされることもない。
じゃあなんでミナがここにいるのか。それには深いようでいてよく考えてみるとそうでもないかなぐらいの理由ならある。
ここでまず最初に確認しておかなければならないのは、ミナが自分の明確な意思でここに来ようと思ったわけではないということだ。時間は少しばかりさかのぼる。
「ちょっと休憩しようか、ペル」
一本の高い木の下、歩き疲れたミナはバスケットの中の黒猫にそう言った。太陽が一番高いところからだいぶ傾いた昼下がり。彼女は今までピクニックと称してその健脚っぷりを存分に発揮し、長い長い道を踏みしめてきたところだった。黒猫がのっそり顔を出して面倒くさそうに低く鳴いた。
木の根元に座り込んで幹に背中を預けると、涼しい風が額を撫でて汗を少し乾かした。ミナは心地よい疲労感が身体を包んでいるのを感じて伸びをする。
「ずいぶん遠くまできたねえ」
見回す。広い草原はミナの家の付近と同じだけれど、この辺りは丘が多くて起伏に富んでいる。そしてそこに見え隠れする地平線の上には山脈が波打っていた。意識してみれば匂い、多分風のだろうけどそれもどこか違う気がする。
ミナは『遠く』が好きだったからそういう違いはたまらなく感じられた。できればもっともっと遠く、さらに異なる景色が見えるところに行きたい。山や海、砂漠や沼地、出来るならば空の果てなんかにも。
きっと、とミナは思う。願えばきっと大体は叶うのだろう。自分は魔女だから頼み方さえ間違わなければ魔法は少しだけ手助けしてくれる。チャンスをしっかり与えてくれて、だからあとは自分の力でそのチャンスをきちんとつかみ取ればいい。
楽しみだなあと純粋な気持ちで思った。とてもクリアな気分だった。あまりに爽やかだったので、自分がそのまま眠っていたことに気づかないほどだった。
ペルがぺちぺちと顔をたたく感触でミナは目を覚ました。あれ、と思って立ち上がると、結構な時間を眠っていたようだ。太陽はさっきよりもっと傾いていた。
「……あちゃー」
つぶやいて来た道を振り返る。砂色のそれはずっとずっと遠く続いていて、日暮れ前に家に帰りつくのは難しそうに思えた。野宿の道具は持ってきていない。
「ごめんペル」
不機嫌顔でこちらを見上げる黒猫に謝る。猫はプイと横を向いた。謝ったところで早く家に着くわけではないのだからさっさと歩けと言っているようにも思えた。
「ホントごめんね」
もう一度謝ってミナは歩き出した。けれどもその足はすぐに止まる。なんでかというと、目の端に何かが見えた気がしたからだ。
振り返る。つまりさっきのと合わせて一回転。その視界に入ってきたのは丘の陰に隠れて見える石の建造物だった。
道は丘を回り込むように曲がっている。少し進むと丘で見えなかった景色が見えてきた。
「あれは……」
そびえたつ石壁。にょきっと生えた高い塔。あまり離れていないところに町があった。
それからそれなりに歩いて、ようやく話は冒頭に戻るのである。
門を見上げながらミナがまず思ったのは、
「変だねえ」
ということだった。
いやいや門はちっとも変じゃない。しっかりと造られた立派な門だ。ミナが変だと思ったのは別のことだった。
「魔女が町に行きつくなんてほぼ絶対あり得ないのに」
普通の人にはそのこと自体が変に感じるかもしれないけれど、魔女にとっては当たり前すぎるほど当たり前のことだ。なぜかと考えることもないくらい当たり前。そもそも歩いてくるときに見えていてもおかしくないほどの大きい町なのに、ちっとも気づかなかった。それなのに今現実として町は目の前にある。
魔女が町と縁がないのは魔法の働きのせいだ。彼女らは人を頼らなくてもいいし、普段は人と関わらない方が都合がいいことが多い。だから人と会いたくないなと思う無意識を、魔法が拾って叶えているのだ。少なくともミナは祖母にそう聞いた。魔法は訳の分からない不思議なものだから、もっと別な理由や複雑な仕組みがあるのかもしれないけれど。
だとするならば。とミナは視線を門から町の中へと移して考える。魔女が町に行きつかないという当たり前のことを覆す何か別の理由があるのだ。
普通の人はただの偶然と片付けるだろうけど、そこは魔法という不思議に関わる魔女の考え方だ。流れには乗っておこうとミナはうなずいた。
「もうすぐ日も暮れちゃうしね」
黒猫に言うと不服そうな顔はしたけれど、特に反対する様子はなかった。
てくてくと門の方へと進む。人々は特に大きなチェックも受けることなく門をくぐっていて、ミナも何の気なしに入ろうとしたのだけれど。
「ちょっと止まって」
門の脇に立っていた番兵らしき制服の人に呼び止められてしまった。わたし、なんか変だったかなあと不安になって自分の身体をちらりと見下ろす。確かにあまり綺麗とはいえない野良着だけれど。
「見ない顔だね。それにずいぶん軽装だ。どこから来た?」
近づいてきた番兵さんはとても歯切れのいい声でミナに聞いた。敵意というほどではなくて、でも無視することを許さないきっぱりとした口調。
「ええと。この道を真っ直ぐ行ったところにある森のほとりの風車小屋から……」
ミナは若干ひるみながら答えた。その様子が番兵さんの不信感を呼んでしまったのだろう。彼の言葉に鋭さが加わった。
「そんなところは知らないな。この町には何の用で?」
これには困った。だって用事はまだ分からないからだ。そう言うと番兵さんは顔をしかめた。
「分からない? それはどういうこと?」
ああだめだ。番兵さんもうはっきりとこちらを怪しい人と認めたみたい。理由を無理矢理説明しようとしても、魔女の言うことを普通の人が理解できるとは思えない。かといって魔法に逆らって帰ろうとしても、それはそれでよくないことが起こりそう。
(まいったなあ……)
ミナは途方に暮れて口をつぐんだ。
「君、ちょっとこっちに来てくれないか。話を聞かせてもらいたい」
そう言って番兵さんは門脇の詰め所を指さした。きっと話を聞きたいといっても魔法に興味があるわけではなくて、ミナにとっては絶対愉快なことじゃないだろう。どうしようどうしようと焦り始めた時だった。
「うわっ!」
短く悲鳴が聞こえた。ミナの後ろの方だ。
振り返ると大きな荷馬車が大きな音を立てて傾いたところだった。道に溝でもあったのだろう。詳しいことは分からなかったし考える余裕もなかったけれど。
馬車は傾いただけにとどまらずに次に車輪がバキっと壊れた。勢いよく荷台が落ちて半壊する。まだ終わらなかった。荷台からさらに大きな音がする。いや、それはただの音というよりは……
(……悲鳴?)
ミナが疑問符を浮かべるのと同時、壊れた馬車から灰色の波が勢いよくなだれ出た。近くの男の人が押し倒されて地面に転ぶ。波は急激に広がって周囲の人をなぎ倒し始めた。
悲鳴を上げて別の馬車から貴婦人と見える女性が飛び出て、もっと大きな悲鳴を上げる灰色の塊に突きとばされる。彼女はもみくちゃになって倒れて、綺麗なドレスが灰色たちに踏み荒らされていく。
豚の群れだ。近くの農村から買い付けてきたものを荷馬車で運んでいたのだろう。それが壊れてこのありさまとなったというわけ。
と、冷静に考えられるほどミナだって落ちついていたわけではない。壊れた馬車はミナからだいぶ離れていたけれど、豚たちは案外足が速かった。迫る怒涛のごとき足音に背を向けて、負けないくらい大きな悲鳴を上げて逃げ出した。
たまたまその方向が町の中だっただけで、ミナに悪気があったわけではない。番兵さんの方はといえば、豚さんに踏まれたり怒ったり事の収集に努めたりで忙しく、ミナのことは忘れてしまうのだけれど、こちらも仕事を怠けていたわけではない。
まあ偶然というのはいつでも起こりえるしそれがなぜか今だったというだけ。それに理由をつけたければ、やっぱり魔法という言葉を持ち出すしかないんだろう。




