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私は、幼い頃の記憶から、柿の木のある家の話をこれまで三度書いてきている。
それが、なんの付帯条件もなく、そのままの私が愛されていた記憶だからだ。
その藁クズのような記憶にすがって、荒波の世間を渡る。
書きあげた物語の三度とも、私は、私を愛してくれた人たちのことを、引越しをしたあたらしい家、それこそが柿の木のある家なのだけど、その家を見た瞬間に忘れ、新たな世界に飛び込んでいった、と記している。
何かを小説にするには、何が必要なのだろうか?
同人の重鎮たる教授がよく口にした。
「これを小説にしなくてはならないので、ここで無理をしてますね」
事実がそのまま小説になるわけではない。
が、しかし、どれほど事実に忠実に筆記したとしても、それは本来の事実とは当然異なる。
私は、柿の木のある家を出て、次なる世界に向かわなくてはならない。
なぜなら、私の生には限りがあるからだ。