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建築家である彼、彼は假屋崎尚といったが、彼は待ち合わせの場所に車を走らせながら、今朝方の夢のことを考えていた。
夢を見ることは珍しい。基本的に人は毎日夢を見ており、ただ目覚めたときにそれを覚えてないだけだ、といわれるけれど、假屋崎にはその言い分には賛同できなかった。
夢を見るべきステージにおいて、もちろんここでいうステージとは精神のそれであるのだけれど、夢は何か得体の知れない暗黒としか呼べない存在によって、根底から食われてしまうことがあることを感覚的に知っていたからだ。
あくまで感覚的に。けして論理的にではない。たぶん、論理的に説明がつくものであるなら、それについてありとあらゆるところで議論が始まってもおかしくないような類のものだ。
つまり、おとついまで、彼の眠りの中に夢が存在するステージはなかった。けれども、今朝、唐突にそれは訪れた。気づくと、薄明かりの水平な場所に己は横たわっていて、遥かな高みから、フラスコのような形をしたガラス製の器が落下してきている。なんとか食い止めなければと思うのだけれど、何をどうやればその落下を食い止められるのかちっともわからなかった。
落下の速度は緩やかであった。けれども何の抵抗もなく、同じ速度でそれは己が横たわっている場所に向かって落下し続けている。
身の危険は感じなかった。それが己の体の上に落ちてこないことは不思議と分かっていた。けれども、その落下は阻止しなければならない種類のものだということも、また、はっきりとわかっていた。
阻止することは出来ず、そのガラスの器は己の顔のすぐ左脇に落ち、砕けた。
そのことによって起こった変化はなんということもない。
假屋崎が目覚めただけだ。
薬のハングアップもなかったし、寝たりないという感覚もなかった。どちらかというとすっきりしていた。
假屋崎は、ソファーベッドから起きだすと、入念に歯を磨き、顔を石鹸を使って三度洗い、コーヒーサーバーにコーヒー豆をセットして、ゆっくりとたばこを吸った。
あわてることは何もなかった。すべて順調に動き出した朝だった。
ステアリングを握っていた左手を外し、顎の下を撫でてみた。剃り残した髭の感触はなかった。
バックミラーを覗き込む。過ぎ去ったセンターラインが、何かを祝福するかのようにずっと後方へつながっている。
「悪くない」
假屋崎は声に出して確かめると、もう夢のことは忘れることに決め、これから合流するクライアントへの説明について、頭の中で繰り返しシュミレーションを行った。
「悪くない」
假屋崎はアクセルを少し踏み込み、それまでより少し車の速度を上げた。




